92話:容赦はしません
薄暗い山中の洞窟で、千切れかけた縄に捕まった泥棒のトリィを狙って魔法が飛ぶ。
「さて、今度は闇市でのあんなふわふわした弓矢じゃないよ」
オリガさんは今回自前の弓矢を構えた。
そこに呪文を込めた媒介となる金属球を開いて魔法を発動。
すると弓に闇魔法が纏いついて模様のように一体となる。
オリガさんが引き絞った一射は、弓から矢に影を纏いつかせて飛んだ。
すると空中で飛ぶ矢と全く同じ影の矢が二つ浮かび上がり、狙いより広範囲に突き立った。
「ひゃぁぁああ!? おち、落ちる!」
避けることさえ難しいトリィがブチブチと音を立てる縄に悲鳴を上げる。
縄を下手に揺らせもせず、かと言って慎重に降りる暇は与えられない。
泥棒仲間のフューエとノインはトリィを容赦なく狙うこちらを攻撃対象にしてカバーに入る。
けれど二人の前進をソフィアさんが止めた。
「闇市ではひと撃ちしかできませんでしたが、今回そうはいきません」
ソフィアさんの攻撃のやり方は闇市と同じ。
触媒を両手で持って光線を撃つ。
けれど放たれる光線が違った。
棒状で直線だった闇市の時とは違い、今は短槍のような状態の光線が乱れ撃ちされ、暗い周囲を照らす。
さすがに無尽蔵というわけではないけれど、ソフィアさんの攻撃がオリガさんに敵を近づけない。
「この、舐めるな! サザンクロス名乗る女がこの程度で止まるもんですか!」
気合を入れるように叫んだかと思うと、勢いをつけてトリィが縄を滑り下りる。
いつ縄が切れてもおかしくない状況で、下は硬い石だ。
ぶつかるだけでも大怪我を負う可能性が高い中、トリィは怯まず勢いを殺さず降りた。
そして着地の直前に縄を放して身を転がすことで勢いを殺す。
素早い身のこなしから中腰で起き上がることまでしたトリィだけれど、そこには薬屋さんが待ち構えていた。
「知っているかね? とある国では盗みを働いた者の悪い腕は贖いと共に切り落としてしまう刑罰があることを?」
「…………そんなの、知るわけないでしょ!」
丸腰とみてトリィが腰の短剣を抜く。
けれど薬屋さんは片腕で黒い縄を引いた。
それは縄ではなく闇の魔法。
縄は投げた影のナイフに繋がっており、引くことで後ろからナイフがトリィを襲う。
「危ない!」
フューエが手持ちのナイフを投げて薬屋さんの影のナイフを弾く。
けれどその隙にソフィアさんが光線でフューエを狙った。
仲間の危機に光線を防いだ黒髪のノインだったけれど、死角から飛ぶオリガさんの矢を避けられず得物を落とす。
「…………不覚」
ノインは得物を落とされ、さらに影の矢で服を縫い止められてしまう。
少ない布地面積を狙ったオリガさんの腕の良さが良くわかるようだ。
「エイダくん、縄ちょうだい!」
「縄!?」
オリガさんの言葉にフューエが過敏に反応した。
その隙を逃さずオリガさんとソフィアさんが一斉に魔法を発射。
怯えたフューエに一切の容赦なしだ。
たぶん昨日の夜、毒を含む縄に捕まったせいで過剰反応してしまったのだろう。
けど縄はただの縄で、砦から借りたもの。
身動きのできなくなったフューエとノインを縛るために使うだけだ。
「無駄な体力を使わせてくれるものだね」
見ると薬屋さんがトリィを影の縄で縛りあげていた。
ここまで来るのに口数も減って座り込んでいたのが嘘のようだ。
あまりよろしくない薬らしいけど、これだけの効き目を目の当たりにするとクライスが量産を考えたのもわかる気がした。
ただ一つ、おかしなことがある。
「あの薬屋さん、どうしてその人は鼻を覆った状態で縛られてるんですか?」
「五感への刺激というものは身を硬直させ反射を生むほど強烈だ。互いに得物の届く範囲で睨み合う中、かわしようのない五感への刺激が襲ったらどうなると思う? 反射とは防衛、すなわち本能に訴えかける危機感。まず第一に攻撃されたと思われる場所を庇うものだよ」
それで鼻を押さえているということは…………。
「何か臭いで隙を作ったってことですか?」
「うむ、魔物から逃げるために作った腐敗臭だったが、まぁ、これが人間にも効く」
そう言って薬屋さんが片手に小壷を揺らすと、なんとも言えない不快臭が漂って来た。
生ごみとも違うもっと嫌な感じの臭いで、獣臭に近い気もする。
「うわ…………」
山で遭遇する獣の死体を思い出し、私も鼻を覆う。
「こちらは大まじめ。だが、すこぶる女性陣からの評判が悪くてな」
「それ確かに効くけど、無理。一日中その臭いが鼻の奥にこびりついてご飯美味しくないの」
オリガさんが拒否を示すと、ソフィアさんもフューエとノインを縛り上げながら頷く。
「人体に害がないように作ってはいるんだが、女性はにおいに敏感なようで、ほら、このとおりなのだよ。腐敗臭がしていれば大抵の魔物も食物として除外するため、頭からかぶれば襲われる可能性を大いに減らせるんだがね」
薬屋さんは作り手でもあるせいか、有用性を訴えつつ臭い薬を直した。
けれど私は本来の使用方法を聞いて頭の毛が逆立つのを感じる。
不快感のある液体を頭からかぶるなんて、拷問にも等しい気がした。
そして薬屋さんは、何ごともなかったかのようにトリィから取り戻した薬草の保存箱を確認し始める。
「うむ、中身は無事だ。少々乱暴な扱いで箱の表面に傷がついている以外は」
「では料金を徴収しましょう」
応じてソフィアさんが、縛ったままフューエとノインの身ぐるみをはがし始めた。
武装解除も兼ねているので、少々大胆な行動でも止められない。
そしてオリガさんも武器や何に使うかわからない道具を検分していくつかに分ける。
「武器は悪くないし、これもう一揃い持ってないかな? 売れば箱もう一つ買えるかも?」
「その身軽そうな服、内側に何か隠してますね。抵抗しないでください」
「待って! そこは何もないから! やだ! 脱がさないで!?」
「く…………屈辱…………!」
胸元を遠慮なく開かれて騒ぐフューエ。
嫌がりながらも言葉数は少なく歯を食いしばるノイン。
ソフィアさんが容赦なく服を捲る間、一応薬屋さんはそんな女性陣に背を向けていた。
その手持ち無沙汰を紛らわすように、トリィへと声をかける。
「さて、泥棒の頭目。面倒だがやらかしたからには突き出すぞ」
「ふん、できるの? あんたたちの悪事を白日に晒すことになるのに」
強気なトリィに、薬屋さんが私を見る。
けど思いつくことなんてないので首を横に振った。
「一体何を思い違いしているのか。まぁ、まず一番の勘違いを指摘しておこう。ここにいる『ラスペンケル呪文店』の留守番は、クライス・ラスペンケルではない」
「そんな見え透いた嘘…………」
「私、エイダです。エイダ・ラスペンケル」
「よく似た双子の兄弟で女だ。テーセに来てひと月も経っていないのに悪事とはずいぶんなことを言っていたが?」
私の名乗りにトリィは疑いの目を向ける。
「嘘だと思うならお風呂屋さんで聞いてみればわかると思いますけど」
「ふ、ふん…………。けれど、兄弟が悪事をしているなら同罪。それに店の留守を預かっているのだから知らぬ存ぜぬでは通らないわ」
「では、クライスは一体なんの悪事を働いたというのかね? 法に触れることは一切していない。単に態度と口が悪く、生意気で能力をかさに着た大言壮語を口走るただの子供だ」
庇うようでいて、薬屋さんがクライスを貶す。
けれど確かにそれは罪ではない。
本人の個性だし、それで悪事なんて言って襲うほうがどうかしてる。
「いや、暴利を貪ったはずだ。ラスペンケルのせいで借金を負ったという者がいた。客を選ぶ真似をしている上に仕事もあまりしていないようなのに、一年で有力者に取り入って若くして店も手に入れている」
「それが悪事? 商売人が自らの商才と才能を使って商業ギルドの会頭に売り込むことの何が罪だ? 冒険者ギルドで腕のいい冒険者が重用されて実入りのいい依頼を回されるのも悪か? 馬鹿馬鹿しい」
薬屋さんはばっさり否定する。
同時に話しながらトリィが縄抜けをしようとすることに気づいて不快臭の薬を出した。
途端にトリィは硬く鼻を押さえて動かなくなる。
「有力者、ふむ、闇ギルドにいたことが悪事だなどというなら、少なくとも君とあちらのもう一人は同じ時にいたはずだがね? しかも闇ギルドの元締めの命令に従ってスライムを送り込んだ馬鹿な冒険者を取り押さえようとしていた」
どうやらトリィたちがいたのを薬屋さんも見ていたらしい。
「確かに魔女は厄介だ。だが、その一族だからと言って正攻法で成功を掴む者がいないと思い込んでの行動がそもそもの間違い。少なくともクライスは少々強引ではあっても自らの力で信任を得て仕事を任された。それを悪事とはノーザンクロスの後継を謳うサザンクロスがパッとしないわけだ」
止める間もなく嘲笑う薬屋さんに、トリィが敵意をみなぎらせてしまった。
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