77話:試薬をお願いしてみます
教会で出会ったロディは、地底湖での顛末を聞いて砦へと走って行ってしまった。
そして私とイザークが残される。
「…………あいつもスライム苦手なくせに」
振り返らないロディを見送ってイザークが呟いた。
そして私に顔だけを向けて確認する。
「一応聞いておくが、全滅かどうかわかるか?」
「それが、スライム掻き分けて進まなきゃいけなくて。薬草のある場所とは方向逆だから、先頭を進んでた私はよく見てないんだ」
言ったらまたイザークが目に見えて鳥肌を立てた。
スライムを掻き分けて進むことを想像しちゃったらしい。
「ロ、ロックキャンサーはどうだ? ダークオクタンは水辺から離れないからな。スライムが薬草を全滅させるとも限らない。だが、ロックキャンサーの巨体に潰されれば絶望的だ」
スライム一匹では確かに難しい。
だけど襲ったのは群体だ。
しかも中を進んだからわかるけど、それなりの重さと勢い、そして水分があった。
「群生があそこしか見つかってないってことは、その薬草、育つのに環境が大事なんじゃない? そこにスライムがなだれ込んだ時点で楽観はしないほうがいいと思う」
「なるほど」
「あとロックキャンサーは通路のほうに行ってたから、たぶん薬草には近づいてない。ダークオクタンから逃れようとしてたし、アクアスライムの群が動いてる時には私たちにも襲いかからなかったから、あえて薬草のほうにはいかないと思うよ」
「なら少しは残っている、か? また次が生えるだけの余地があればいいが」
「それも、難しいと思う。スライム多かったし」
私の推測にイザークは唸る。
フードの中で顔は見えないけど、渋い表情をしてるのかもしれない。
薬草を思ってか、それほどの量のスライムを想像したのかはわからないけど。
「…………ねぇ、イザークってスライム苦手?」
「あんなの、好きな奴いないだろ」
つっけんどんな答えが返る。
「オリガさんは慣れたら可愛いって」
「何処が!?」
私の言葉を遮るように叫び返して、イザークばつ悪そうにフードの縁を下げた。
そして教会の入り口に足を向ける。
「ダンジョン帰りに引き留めて悪かった」
「あ、待って」
言ったら案外待ってくれる。
見た目怪しいけど悪い人じゃないんだよね。
それにいきなり走って行くロディよりも冷静だ。
そして感情的になってもすぐに落ち着くこともできる。
「ねぇ、苦手なものを前に少しだけ勇気を後押しする薬があったら、試したいと思う」
「何?」
出口に向いてたイザークの足が私に向き直った。
思った以上の反応だ。
「実は治験が必要な薬を考えているんだけど、試してみてくれる人を探してるんだ」
私は精神に作用する試薬を売るには治験が必要であることを説明した。
「恐怖を、忘れる薬。そんなものが本当にできるのか?」
「いや、まぁ、一時的にね。それにどれくらいの効き目になるかまだ作ってなくて。まず私が試してからになるんだけど」
やろうと思ってたけど杖作りを優先した。
そして火喰鳥討伐に向かってからの、今日のスライム調査だ。
ただ、今声をかけないとイザークは店に来るとは思えないし、ロディは駄目って名指しされてるから仲介を頼むこともできないだろう。
だから思いつきだけど話を持ち掛けることにした。
「呪文として使用したこともないのか?」
「えっとね、これはまず薬を作るために編み出された呪文で違うんだ。呪文から魔法として発現させるのとは全く違う行程の方法になるんだよ」
「そう、か」
よくわかってないみたい。
だけど今も私に向き合って話てるから興味はあるんだろう。
「ならその薬を使ったことは?」
「あるよ。というか、呪文書には恐怖を忘れるって書いてあったけど、使った感じは嫌なことでもやろうって気になるくらいなんだよね」
「具体的には?」
「え、うーん。私が使ってた時には、冬の寒い中外に出なきゃいけない時。積もった雪掻き分けて息するのも痛い中動くのに使ってたよ」
「それで準備不足で飛び出すなんてことは?」
「ないない。そんな無謀になるようなものじゃないから」
そういう呪文は別にあった。
錯乱の魔法だ。
魔女が呪いをかける時に使うのが主な用途になる危ない魔法。
さすがにそんなの売りに出そうとは思わない。
「準備も億劫だなって思う気持ちを抑えて、さぁ、準備しようって思えるの。外に出ても寒いものは寒いし痛いけど、それでも目的を果たそうって気持ちにさせてくれるんだよ」
「なるほど」
すごく真剣な声でイザークは考え込む。
これは効果を疑ってる?
それとも言い方悪かったかな?
たぶん恐怖を忘れるってのは誇大だったんだ。
今度からは改めよう。
もしかしたら商業ギルドでアンドレアさんの反応が微妙だったのもそのせいかもしれない。
「治験を引き受けたとして、こちらがすべきことはなんだ?」
「商業ギルドから貰ったチェックリストで体調管理と変化の記録かな。店に泊まってもらって私が記録するでもいいけど」
フードの合間からすごく呆れた視線を向けられた気がする。
「そういうことは同性に限定しろ」
「あ、そうだね」
どうやら心配してくれたようだ。
「安静時と活動時で比べるとか、平時と効果対象に遭遇した時の変化とか。イザークの場合はスライムと会ってもらうことになるから、嫌なら」
「それは、いい。効くかどうかは確かめたい。正直、恐怖を覚えるものにお前が使ってないのが気がかりだ」
「あー、私お母さんと違って鼠平気だったからなぁ」
「なるほど、親が使ってたのか」
「そう。鼠の痕跡見つけた時に飲んで、やる気を起こして台所と貯蔵庫を一斉捜索」
薬がないと遠くを走り抜けるのを見ただけで悲鳴を上げるほど苦手だった。
けれど薬を飲んで取りかかると杖でバンバン魔法をかけて捕まえる上に直視できる。
「…………記録だけ、出すのでもいいのか?」
「え、どうだろう? 商業ギルドで貰ったのは、記入用紙だけだけど」
「なら商業ギルドにはこちらから問い合わせる」
「え」
「だから、俺がやって効果があったと思った時はもう一人治験として薬を回してくれ」
イザークが食いぎみに、だいぶ無理なお願いをしてくる。
けどその声は何処までも真剣で、簡単に断れない響きがあった。
「副作用とか、体に合う合わないとかを見るための治験だよ? イザークに効いたとして、別の人はわからないし、薬が体に合わないかも」
危険性を伝えると、イザークはさらに考え込む。
「…………その治験を言い出したのは誰だ?」
「会頭さんだよ。アンドレアさんは心配そうだったけど」
「なるほどな。だったらやはり商業ギルドにはこちらから話を持って行く。場合によっては治験希望者を必要なだけ用意しよう」
「え?」
「後日また店に行く。今日はこれで」
「えぇ?」
なんか自分の中で段取りを決めた様子のイザークは、足早に教会の入り口を出て行った。
今さらだけど、イザークっていったいどんな人なんだろう?
少なくとも親切なだけの青年ではないようだ。
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