74話:スライム塗れです
ロックキャンサーという大きなモンスターが現われ、近くにいた私たちは目をつけられた。
そこで研究家だと言うオリガさんに指示されて、地底湖からロックキャンサーに匹敵するモンスターを呼び出すことには成功する。
成功、なんだけど…………。
「お蔭でロックキャンサーの狙いは逸れたけどさー!」
ただし大型モンスター二匹の大暴れで、辺りは不穏な地響きが広がるばかり。
私たちは息つく暇もなく、流動するアクアスライムの中を逃げる羽目に陥った。
そしてアクアスライムを逃れた岩の上で、さらなる指示が飛ぶ。
「さて、岩の上にいても逃げ場はない。スライム溜の動きを良く見て出口を目指そう」
鼻眼鏡をかけた知的な女性なんだけど、オリガさんは何処か気楽に無茶ぶりを口にする。
スライムが半固形でうぞうぞと逃げる下の様子に、顔が引きつるのを感じた。
「あれ、足滑らせたらどうなります?」
「運が良くてそのままスライムのぬちゃぬちゃした体表を流される。運が悪いと巻き込まれてスライムのネバネバで窒息かな」
想像してしまい身震いが起きた。
トビアスたちも神妙な顔でスライムを見下ろす。
「テーセの住民の多くがスライムを嫌う理由が今わかった気がする」
「こんなのが近くに住んでたら、確かに怖気が走るな」
「スライム溜になってても、こんなに動くんですね」
どうやら教会パーティとしてもこんな事態は初めてのようだ。
「さて、悠長に話してもいられないんだ。震動で地底湖が馬鹿みたいに明るくなっているからね。いつもは静かな他の魔物たちも大騒ぎになる」
オリガさんがそう言って指したのは、渦を巻くように集団で飛翔した虫モンスター。
少し離れた所では無軌道に飛ぶ蝙蝠型も見える。
きっとここにいても危険なのは変わらない。
だから一番攻撃性の少ないスライムの中を進もうとオリガさんは決断したようだ。
「…………ふぅ、よし。行きましょう」
私は覚悟を決めてオリガさんに応じた。
「よし、その杖どうも湖の主の鱗を素材にしてるね。水系統が得意そうだし、スライムの結合部分を狙って水噴射できる? 潰して進むよりも、割いて進む感じのほうがスライムに巻き込まれないはずだから」
「わかりました」
「じゃ、私と君が先頭だ。後ろ三人は遅れないように、あとロックキャンサーたちの動きにも注意して」
私たちはオリガさんの指示に従ってアクアスライムの中へと踏み込んだ。
アクアスライムも暴れるモンスターから逃げるために動き続けてる。
あまり俊敏ではないけど粘りと群体の流動的な力で、踏み込んだ私たちは足を取られそうになった。
「きゃ!」
「ワンダ!」
振り返ると足を取られたワンダをダニエルが腕を掴んで支えてた。
「心配はわかるけど、君はこっちに集中。ロックキャンサーが水辺から離れようといてる。本当に時間がないよ」
オリガさんが言うとおり、水に住むダークオクタンから逃れようと、ロックキャンサーは地底湖から離れるような形で移動していた。
その動きはちょうど私たちの進行方向とかち合う。
そこを塞がれると逃げ場がなくなる位置だ。
これは、ちまちまやってる場合じゃないよね。
「一気にアクアスライム吹き飛ばします」
「できるの?」
「さっき地底湖に放った魔法は、本来矢なんです」
「なるほど、貫通力があるわけか。いいアイデアだ」
私はオリガさんに魔法を放つまでの間、アクアスライムに呑まれないよう体を支えてもらうことになった。
支えてくれてる間に呪文をしっかりと口にする。
火喰鳥には使いどころなかった水の矢が、ここで威力増強に使えるなんて、備えってしておくものだな。
「あぁ!?」
水の矢を放とうとした瞬間、背後でトビアスが悲鳴染みた声を上げた。
今集中を切らすとせっかくの貫通力が弱まる。
気になるけど、今は退路確保!
いけ!
「薬草が!? なんてことでしょう!」
トビアスに続いてワンダも何かにショックを受けた声を出す。
慌てて振り返った時には、何故かそこにはワンダ一人で。
「やめろ! このスライム!」
「トビアス! 待て!」
トビアスが一人スライムの逃げるほうへと駆けだしていた。
それをダニエルが慌てて追いかけている。
「え、何!?」
「あっちは、そうか。く、勿体ない。けど、今は自分の安全だよ! 戻りなさい!」
状況を理解したらしいオリガさんが叫ぶ。
私はトビアスの向かう先を窺った。
よく見ると岩が階段状になっていて、その上には青い光を受ける草らしき群生がある。
「トビアス、戻ってください!」
「今は、諦め、ろ!」
「うわぁ!?」
ワンダの声と同時に、ダニエルが大きく踏み込んでトビアスを両手で抱え上げた。
私はもう時間が惜しくて叫んだ。
「もうそのまま走って! スライムの切れ目がくっつきそう!」
水の矢で一直線に現れた道。
だけどスライムは動き続けてるし、ロックキャンサーも迫ってた。
私たちは、その後はもうむだ口を叩く余裕もなく足を動かす。
「うわ!? 通路にもスライムが!」
「止まらないで! ロックキャンサーのせいで崩落するとも限らないよ!」
逃げ込んだ通路もまだ安全じゃない。
オリガさんの指示に従ってひたすら走る。
そして勢いのまま砦まで私たちは走り通した。
「「「「出、たー!」」」」
青い光から暗い通路へ。
そして慣れ親しんだ日の光に照らされ私たちは叫んだ。
「衛兵! 地底湖でロックキャンサーとダークオクタンが取っ組み合いだ! 私たち以外に周辺にいた冒険者は!?」
私たちと違って、オリガさんは端的に状況を説明して他の人を心配するくらいの冷静さを持っていた。
飛び出してきた私たちに驚く衛兵はすぐに周囲へと報せる笛を吹く。
そしてオリガさんに答えた。
「今日地底湖には、あんたが最初に入って、その後三組が入ってる。二組はすでに戻ってるから、そいつらで最後だ」
「ふう、自分だけさっさと逃げなくて正解だったね」
確かにオリガさん一人ならもっと早く逃げられただろう。
ダークオクタンでロックキャンサーを牽制したのも、私たちを助けるためだった。
「ありがとうございます」
「いやいや、面白いもんを見せてもらった。まさかスライムが群体でもあれだけ動けるなんて。…………想定範囲をもっと広げないとね」
オリガさんは謙遜じゃなく本心から言っているようだ。
どうやらスライムの生態に興味があるらしい。
私たちの会話を聞いて衛兵が不自然に動きを止めた。
「うん? スライム? …………も、もしかして、お前たち濡れてるのって、地底湖の水、とかじゃ、なくて?」
「はい、スライムの中を逃げて」
「「「ぎゃー!?」」」
私の答えに衛兵が揃って悲鳴を上げると、そのまま身を縮めて私たちに近づいてこなくなってしまう。
どうやらスライム苦手な衛兵たちだったようだ。
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