73話:岩の下にいました
地底湖近くでロックキャンサーという巨大なモンスターが現われた。
明らかに甲羅は岩と同じ強度で、ハサミは私たちより大きい。
こんなの敵うはずがない!
「逃げるよ!」
蝙蝠相手に苦戦する私たちが相手にできる敵じゃない。
そう判断したんだけど予想外なことが起きてることに気づいた。
「え? 他にも反応が、下?」
「どうした、ん、どぁ!?」
守る体勢だけどじりじり後退していたダニエルが、噴出するように現れた新手のモンスターに仰け反る。
「まずい、数が…………!?」
私はすぐにダニエルたちの前に出て杖を構えた。
悠長に詠唱してる暇はない。
ここは力技で魔力を必要以上に籠める。
「魔法壁!」
透明な魔法の壁が立ち上がり、危機一髪、新手との間に守りを敷けた。
同時に立ち上がったロックキャンサーの足元から起こった波の正体が知れる。
「なんだ!? 水、いや、あれはアクアスライムか!?」
トビアスがようやく事態に追いついて叫んだ。
ロックキャンサーの足元から溢れる波のように現れたのは、アクアスライムの群体。
半円を描いていたはずの体が連なるようにしてくっつき這い出して来てた。
「ロックキャンサーの足元にスライム溜があったということですか? けれどあんな風に動く姿なんて見たことがありません」
ワンダは守りを維持する私を補助するため、魔法をかけながら不安そうな声を出す。
その間にも溢れたアクアスライムが魔法の壁に当たる。
攻撃らしい攻撃でもないのに、群体という質量で壁を軋ませた。
私たちは壁の後ろの結合の途切れた狭い空間に身を寄せ合うしかない。
「うわ!? 普段より粘着質だ! 気をつけろ! 足を取られるとまずい!」
壁を回って来たアクアスライムに剣を振り下ろしたダニエルが警告を飛ばす。
肩越しに振り返ると、ダニエルがスライムから剣を引き戻そうとすると尾を引いて粘りついているのが見えた。
「一体を倒したところで止まらない! こいつらロックキャンサーが立ちあがって動き出したのか!?」
「早くはないですが、このままでは逃げ場もありません! いつ途切れるのか、わかりませんわ!」
トビアスとワンダも杖で殴って、近づくアクアスライムに応戦する。
けれど確かにアクアスライム一体くらいは倒せてるはずが、全体としてアクアスライムは動きを止めない。
「スライムのお蔭でロックキャンサーも動かないけど、私たちも動けないんじゃ時間稼ぎにしかならないね」
ロックキャンサーはまるで波が退くのを待つかのように動かない。
ただハサミの両手を上げて威嚇のポーズを取ってるから、私たちを敵認定してるのは確かだ。
「お腹が弱点なのはわかるけど、この杖でどれだけ威力が出るか」
攻撃するなら今。
だけど倒せなかったらこちらも身動きができない状態での戦闘になる。
辺りはアクアスライムで逃げられもしない。
向こうは大きさの分だけ少し前に出れば私たちは射程圏内に入る。
明らかに不利だ。
「うっわ、すごいことになってるね」
「え!?」
私は突然降って来た知らない人の声に振り返る。
すると私たちを見下ろす岩の上に鼻眼鏡をした女性が顔をのぞかせていた。
髪はまとめて結い上げ動きやすい恰好をしている。
ベルトの目立つ服装にはポケットがいっぱいで、どうやら冒険者の類らしい。
ただ気になるのはナイフ一本持っているように見えないことだ。
私の魔眼でもそれらしい装備を見つけることはできない。
「あなたは、オリガさん!」
「ワンダ、知り合い?」
私が聞くとダニエルが端的に答えた。
「テーセに住む研究家だ!」
「危ないから逃げろ!」
トビアスの警告に、オリガさんは難しい顔をする。
「確かに私は武装してないし、逃げるのが基本だけどさすがにこれはね。助祭くん、あっちに地底湖があるんだけと、そこに向かって光球を飛ばすような魔法は使える?」
「そんなの、どうして」
「聖騎士くんと修道院長ちゃんは私のほうへ逃げる道の確保。そして、君」
オリガさんは私を差した。
「地底湖の水面をそこから揺らせたりしないかな?」
言葉にそこまでの緊張や本気度は感じない。
けれど逃げられる状況で指示を出してくれる誠意はわかった。
「…………やります」
「うん、いい返事。じゃあ、スライムがロックキャンサー足止めしてる間にやろう」
私が目を向けるとトビアスが頷く。
そして杖を掲げると光球を生み出した。
その光に蝙蝠が騒ぎ、ロックキャンサーもまたハサミを振り上げる。
「行くぞ!」
力の限り杖を振って、トビアスは地底湖があるらしい方向に光球を飛ばした。
私は遅れて三叉の杖を構え、片手に水の矢を封じた触媒を持つ。
触媒と杖の両方を使って、本来の威力を跳ね上げるためだ。
「流圧矢!」
腕ほどの太さになった水の矢を、光球に照らされた暗い水面へと飛ばす。
威力を上げたことでスピードがついて、叩きつけるような水の矢が地底湖に突き刺さった。
水の中に矢が消えると、暗い中にも波紋が広がる。
けれど少し波立つくらいで、地底湖全体を揺らすほどではない。
「弱かった?」
「…………うーん、いや。大丈夫だよ。よし、逃げよう!」
上から何かを確認したらしいオリガさんが、突然そう言った。
まだロックキャンサーいるのに、背を向けることには不安が大きい。
私たちが戸惑っていると、光球を横切る影が走った。
蝙蝠よりもずっと大きく不穏な動きを私の魔眼が捉える。
「今…………」
確かめようとした途端、ロックキャンサーに太い触手が襲いかかった。
「何あれ!?」
「地底湖に住むダークオクタンさ! あの粘つく足に捕まるとロックキャンサーでも水に引きずり込まれるよ! さぁ、逃げろ逃げろ!」
唯一状況を把握しているオリガさんが手招きをして私たちを急き立てる。
地底湖を照らし、水面を揺らして誘い出したのは、ロックキャンサーに劣らない巨大な水棲生物だった。
「何あれー!? 蛇の群体? 気持ち悪い!」
「まぁ、エイダさんは蛸を知りませんか?」
「今はそれどころじゃない、ワンダ!」
「そうだ! 暴れてこっちに来てるぞ!」
私の叫びに律儀に答えようとしてくれたワンダを、トビアスとダニエルが叱るようにして急かす。
私たちはアクアスライムを潰しながらオリガさんのいる岩場へ向かって必死に足を動かした。
「よしよし、それじゃダンジョンの入り口までダッシュだ! あの二体が暴れてるなら、当分ここは近づけない!」
「ひぇー」
全力疾走したところで、オリガさんは笑顔を浮かべて厳しい現実を突きつける。
私はまだ残る光球に照らされ暴れる巨大な影二つにおののきながら逃走を図るしかなかった。
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次回:スライム塗れです