56話:都会って怖いです
私はオニオンスープを目的に、商業ギルド近くの食堂へ向かった。
すると前回も見たお店の人が声をかけてくれる。
「おや、今日は会頭一緒じゃないのかい?」
「はい、商業ギルドの帰りですけど、お腹が空いちゃって。会頭さんとアンドレアさんからここのオニオンスープを勧められました」
「あぁ、夕食までのつなぎにはちょうどいいだろうね。すぐ用意するよ」
私は空いてる席について待つ。
すると本当にすぐ持って来てくれた。
「はい、お待ち。添えてあるパンは焼きもできるから次は好きなほう注文の時に指定しとくれ」
「ありがとうございます」
置かれたお皿の半分には、一切れのパンが蓋のように乗ってる。
そのパンをどけると立ち昇る湯気と共に鼻を刺激するオニオンの匂いが広がった。
吸い込めば食欲をそそられて唾が湧く。
茶色に近いスープにほとんど具はない。
だからパンがついてるのかな?
確かに繋ぎにはちょうどいい量だ。
私はスプーンで一口、オニオンスープを飲んだ。
「うはぁ、すっごい濃い味。塩味はそこまでないのに味が深くて甘みもある」
そしてパンを浸せばさらに小麦粉の甘さと、オニオンのスパイシーな味わいがより鮮明になる。
「これも熱いくらいが美味しい。…………けど、スープなせいか眼鏡が」
すごい勢いで曇ってしまった。
これは拭かなきゃしょうがない。
私はスプーンを置いてハンカチを取り出す。
そうして眼鏡を拭いていると人影が差した。
「はい、こんにちは。ラスペンケルさん」
人好きのする笑顔の二十代半ばの女性が私にそう声をかける。
けど知らない人だ。
あれ? どこかで見た気もするかな?
胸元を強調する服に、高く結った赤い髪。
手には大ぶりな弦楽器を持っていて、健康的に日に焼けてる様子が屋外活動を頻繁に行っているように見える。
「私は吟遊詩人をしているトゥリー。ちょっとお話を聞かせてほしいの」
「あぁ、冒険者ギルド近くの酒場にもいた…………」
「あら、あの夜のこと覚えていてくれたのね、嬉しいわ」
トゥリーは破顔するけど、私は眼鏡をお皿の横に置いてスプーンを取る。
「すごいわね、あなた。炎熱地帯の火鼠のボスを倒したんでしょ。私より十も年下でしょうに相当なやり手じゃない」
「どうも…………」
私はテーブルの横で喋るトゥリーに、スープを飲む間に適当に答える。
けれどトゥリーは気にせず話し続けた。
「あの衛兵隊の隊長さんも大怪我負った中で無傷とか、ラスペンケル独自の魔法なの? 興味出ちゃってちょっと話を聞いて回ったら、テーセの慰杯ってあなたが考案したそうじゃない」
ん?
どうやらラスペンケルの名前だけで私をクライスと混同しているらしい。
今までクライスに間違われることはあったけど、だいたい一緒にいる誰かが説明をしてくれていた。
けどたぶんこのトゥリーは、クライスとも直接会ったことはないんだと思う。
私とクライスの言動の違いに気づかないなら本当に話で聞いだだけ。
だとしたら私とクライスは自分でも驚くほど外見が似てる。
というか髪の色や年頃、背格好は同じで、言葉で聞くだけなら男女か名前の違いで判断するしかない。
「次々に新しい技術を考案してテーセに寄与してるんですってね。その秘訣を教えろなんて野暮は言わないわ。ラスペンケルの魔女の秘密主義は知ってるし」
「はぁ」
「けど、あなたがこのテーセに来てからの一年の軌跡を取材させてほしいの。歳は十五行ってるかどうかでしょ? その歳で実績を修めて自分の店を持ち、さらには一カ月前に突然姿を消したなんてセンセーショナル! ねぇ、いったい何処へ行っていたの?」
本当に興味があるならその内間違いに気づく。
私から特に訂正するつもりはない。
というか、この人に関わりたくない。
「あら、黙秘? 駄目よ、そういうの。俄然好奇心をそそられちゃうもの」
ウィンクしてくる表情はとても明るく親しげだ。
気づかなければこの勢いに呑まれて話してしまっていたかもしれない。
けど、ちょうど眼鏡を外してた。
だから気づいてしまった。
この人は嘘を吐いている。
「姿を消して戻って来たと思ったらダンジョンに入って大物ゲット! これも吟遊詩人としてはネタにしない手はないのよ。ちょうど新しい物語を探してたところだったの。あなたの邪魔はしないから、仕事の合間にお話聞かせて?」
「お断りします」
「もう、ガード硬い。ま、愛想がないしとっつきにくいっていうのは聞いてたからいいけどね。この一回で頷いてくれるとは思ってないわ」
それはやっぱりクライスなんじゃないかな?
というか、そう言われてるのによく一年で会頭さんから頼られるようになったな、クライス。
それだけクライスも頑張ったんだろうけど。
私はさっさとスープを飲み干し、パンでお皿の水分を拭って席を立つ。
「そういうのは他の人を当たってください」
「私はあなたが素敵な物語の主人公になれると思って言ってるのよ?」
「興味ないんで」
私は眼鏡をかけ直すと、代金を払ってさっさと食堂を出た。
トゥリーは追って来てまで取材をする気はないようだ。
けど言ったとおりこの一回で諦める気もないんだろう。
「…………警戒されちゃった」
気楽にそう笑う声が食堂を出た時に聞こえた気がする。
私は足早に商業ギルド周辺から店に向かって歩いた。
トゥリーの真意が知れなくて正直怖い。
店に戻った時には軽く走る勢いになっており、『自動書記ペン』が不思議そうにビューロから私の様子を見ていた。
「…………都会って、怖いなぁ」
吟遊詩人を名乗ったトゥリーは嘘を吐いていた。
豊満な胸を晒した無防備そうな恰好、ただの楽器にしか見えない装備。
けれどその実、吟遊詩人という職業ではないし、服には金属が仕込んであった。
さらに楽器は刃と針が仕込んであるのも魔眼で見えてしまったのだ。
「あれって、絶対吟遊詩人なんて芸事の人の装備じゃないよ」
あえて言うなら暗器?
そんなの持ってる職業って暗殺者とか言うんじゃない?
「なんでそんな人が私に声かけて来るのぉ…………?」
オニオンスープ美味しかったのに!
トゥリーに話しかけられてからほとんど味がしなかった!
勿体ない!
「うぅ、たぶん身体能力相当高いよ。あれでいきなり襲われてたら私対応なんてできないって」
取材とか言ってたけどたぶんそれも嘘だよね。
楽器は弾けるし唄も歌えるようだけど、それが本職じゃないんだから、取材以外の意図があるはず。
「手が…………なんだろう、すごく器用な感じだった。足、足も強くて体幹が柔軟?」
魔眼で得たトゥリーの情報はやっぱり吟遊詩人っぽくない。
人が多く集まるところでは犯罪も多くなる。
それは人のいない山から中腹の村、麓の町と移動しても感じる程度に当たり前のこと。
「となると、テーセはもっと広いし人も多いんだから、気をつけないといけないんだよね。…………うん、トゥリーとの出会いは自衛を考えるいい機会だと思おう」
私は机に並べたままだった鱗と石を見つめて、杖という武器の大切さを再確認したのだった。
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