55話:実績がいるそうです
薬草を買いに商業ギルドへ行くと、会頭さんはお仕事で役所へ行っているそうだ。
ただの買い物なんだけど、やって来た私の相手をしてくれたのは秘書のアンドレアさんだった。
「状態にもよりますが、湖の主の鱗も湖底の石もBランクの素材。錬金術などでは、かけ合わせによってCランクに落ちることもあるとか」
「なるほど」
「ですから、触媒にAランク相当の薬を使うのは間違ってはいないと思います。よほどの失敗をしない限り、Bランクを下ることはないでしょうから」
ランクの高い物を使えばそれなりの物ができるのは、物作り界隈では共通認識らしい。
アンドレアさんは物知りだなぁ。
薬屋さんで融通してもらった薬草の名前を私が知らなくても、特徴と作った薬を伝えただけで、天秤草と呼ばれるものだと当たりをつけてくれるくらいに。
天秤のように長い茎が左右に伸びてその下にぶら下がるように葉がつくことからそう呼ばれるそうだけど、私が見たのは葉の部分だけだったのに。
「属性専用の杖は魔術師ギルドの管轄ですが、こちらでも時折在庫確認が回ってきます。もしエイダさんが作れるようなら依頼を回すこともできますよ」
「クライスはそう言う仕事もしてたんですか?」
「していませんね。基本的に呪文は店に足を運んだ相手のみに絞っていたようです。一人でやっていたので店を空けることも多く、依頼数を制御していたのでしょう」
つまり依頼を回す云々はクライスが戻った後の話か。
「もし作ってはみたものの使う予定がなく死蔵するほかないようでしたら、どうぞお持ちになってくださいね」
あ、違った。
普通に商談だった。
けど私は今ともかく腕を磨くことが必要だろう。
それだけ失敗もあるだろうけど、成功しても持て余すことになる可能性もある。
「まだなんとも言えない状況ですけど、その時にはお願いします」
「この日数ですでにBランクの杖を完成させているんですから。エイダさんの腕はいいと言えますので自信を持ってください。経験が足りないというのならこちらも相談に乗りますから」
そう言われて、私は祖母の呪文で作れる薬について相談してみることにした。
「あの、だったらちょっと売り物にできるか聞きたい薬があるんですけど」
薬草以外も、祖母の呪文に使える物品があったから購入を依頼してる。
お酒、薬効のある根、麻痺の毒草、真っ白な塩、薬効のある種子、毒の石というちょっと物騒なラインナップだ。
「注文した物を使って二種類の薬を作るんです。それをさらに湖の主の鱗の粉末を中和剤にして一つの薬に仕立てるという作り方なんですけど」
「薬屋でも相当難易度の高い行程と言えますね。それを呪文で? どんな薬効の薬ができる予定ですか?」
「恐怖心を忘れる薬になります」
私の言葉にアンドレアさんは目を瞠る。
なんでそんなに驚くの?
しかもその後すごく難しい顔をしてるけど。
「えっと、あの、湖で虫が苦手って人がいて、巨大なガガンボ相手に震えてたので需要あるかなって」
「いえ、はい。なるほど…………」
思いついた理由話せば頷いてくれるけど、悩んでるのは本当になんで?
「きっと、需要はあるでしょう。ですが、制作後すぐさま売るとなると、問題が生じます」
「問題ですか?」
「きっとその薬は国が認可しているどんな製薬とも魔法薬とも違う物でしょう」
ラスペンケルの魔術書は制作者本人のオリジナルが主だ。
中には元からある呪文をより効率的にしたものもあるけど、公表して認可を貰うたぐいじゃない。
「法律上、責任者として認められていればその裁量と責任において販売はできます。ただ精神に影響を及ぼす薬や魔法は取り扱いが難しく、安全性が重視されます」
アンドレアさんがわかりやすく説明してくれるには、問題が起きないように心がけないといけないそうだ。
もし問題が起きた時、安全確認の作業がなされていなかったとなれば、毒を盛ったのと同じ殺人未遂の判決が下ることもあるんだとか。
「え、えぇ。そんなにですか?」
「確かこの判決が下る以前に、そうした精神に作用する魔法によって犯罪教唆が行われたために重くなったと聞きますね」
「な、なるほど。じゃあ、作らないほうがいいんですね」
「いえ、それは違います。技術の進歩には挑戦が不可欠。また確かに恐怖心を忘れられるならば需要は確実にあります」
そう言う割にアンドレアさんの顔は晴れない。
「ですから、安全確認を行ったという実績が必要です。つまり、試薬を作ってのデータ収集、治験が必要でしょう」
きちんと効果は出たのか、その後の体調の変化はあったのか、副作用の有無や老若男女などの服用者の違いによる個別差など。
「これも一つ経験かもしれません。手順と、必要な提出書類について説明をしましょう」
「は、はい。お願いします」
そうしてただの買い物のつもりが、ずいぶん長々と話し込むことになってしまった。
アンドレアさんと話している間に会頭も帰って来る。
窓の外はもう夕暮れだった。
「なるほど、なるほど。恐怖心を忘れるとはまた、需要の計り知れない」
「そうなんですか? 効果は半日程度で、別に自前の能力を上げるなんてことはないんですけど」
それで言えば硬化時間は短くても、能力向上もある祖父の呪文のほうが効き目はいいと思う。
「いやいや、少しの勇気が欲しい者は存外多いものだよ。その湖で虫嫌いを克服しようとしていたという者も、その薬があれば仲間と共に駆除を行い安全にいられただろう」
確かにイーサンは、無様を晒さないために一人で危険に踏み込んだ。
最初から仕事をこなせると思える薬があるなら、服用するほうが安全だっただろう。
「それに、苦手なものというのは誰にでもある。ましてやテーセのダンジョンは出現するモンスターの幅が広い。苦手な相手が出るからと避けていては先に進めないこともある」
「あ、スライムとかですか? エリーたちがすごく苦手って。ヴィクターさんまで」
そう言ったら会頭さんもアンドレアさんも苦笑いを浮かべる。
もしかして二人もスライム苦手?
アイシクルスライムの杖は平気で触ってたけど生きてるのは別ってことかな。
本当にテーセの住人はスライム嫌いだ。
けど祖母の薬でも限度はある。
「あの、祖母の魔術書にはこういう但し書きがあるんです。『生を勝ち取るために時に恐怖はその足を鈍らせる。しかれど勇んで踏み出したその足こそ、死地に赴く一歩ともなる。夢忘れるな。逃げ延びる選択こそが生を掴む手段であることを』って」
「ふぅむ、含蓄のある戒めだ。つまり恐怖心を忘れて調子に乗ってはいけないということだね」
「確かに時に臆病なくらいの者こそ長く生き延びます」
会頭さんとアンドレアさんは納得したように頷く。
「うむ、そうした戒めを踏まえた上でなら、やはりその薬の治験を行ってもいいとわしは思うがね」
「そう、ですね。けれど、あまり若者に治験を勧めないほうがいいかもしれません」
まだ表情の晴れないアンドレアさんに、会頭さんも同意する。
「ヴィクターならいいだろうが、シドやエリー、ロディはやめておいたほうがいいかもしれん。その、向こう見ずなところが元からあるからな」
「そう言われてみれば」
治験するとしても手当たり次第に知り合いに頼むんじゃなくて、相手を選ぶべきってことか。
「虫が苦手な青年くらいならいいのではないでしょうか。できるだけ苦手なものが魔物でない方を選んで」
「わかりまし、た…………あ」
アンドレアさんに返事をしたらお腹が鳴った。
前にもあったよ、恥ずかしい。
「ふふ、ごめんなさい。長く引き留めて」
「い、いえ、お世話になります」
「小腹が空いたのなら、近くの食堂でオニオンスープを一杯飲んで帰るといいかもしれませんよ」
「腹持ちは良くないが、濃厚な味わいなので満足はするだろうね」
アンドレアさんと会頭さんが二人しておすすめしてくれる。
もちろん私は商業ギルドを出た後、二人の勧めに従って近くの食堂に足を向けたのだった。
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