53話:巨大でした
私は採集と好奇心から湖の縁へと近づいた。
水は澄んでて石と砂利の湖岸が広がってる。
けどその水を濁らせる泥が舞い上がってた。
私が湖に近寄ると、そこには一人の青年が倒れていたのだ。
「う、うわ!? ちょっと、大丈夫!?」
「…………うぅ」
あ、良かった! 死体じゃなかった!
倒れている青年をよく見ると、手には抜き身の剣が握られていて漁師などではないことがわかる。
そして呻きと共に動いた青年からは、怪我を負ってるのか血の臭いがした。
「ともかく手当を!」
「に…………げろ…………」
半ば湖にはまってる青年が、そう絞りだした。
顔色が悪く震える唇は、痛みだけではない異常さだ。
「何にやられたの!?」
「…………む、し」
「虫?」
そう言われて思い当たるのは衛兵のロディの言葉。
『あ、そうだ。エイダ、虫に気をつけろよ。刺してくる奴が最近多い』
いや、まさか。
けどこの人、湖から引き揚げようとしても重いくらいしっかりした体つきをしてる。
こんな青年がやられてるのに、そんなたかが虫なんて。
そう思った私の耳に騒音としか言えない激しい翅の音が聞こえた。
その方向を見ると、透ける翅を打ち鳴らすように滑空してくる巨大ガガンボ!?
「虫ぃぃいい!? 巨大すぎるよ!」
私は咄嗟に動けない青年に覆いかぶさって庇う。
それと同時にガガンボを避ければ、頭の上を通りすぎる影は私と同じくらいの大きさがあった。
「虫っていうかあれモンスター!? と、ともかく虫は、えっと、えっと…………火! 火よ、火よ、火よ!」
もうアイシクルスライムの杖じゃないから、私は遠慮なくガガンボに向けて火の粉を散らす。
けど届く範囲だと思ったのに火は届かず、予想の半分も飛ばなかった。
「あ! 水辺だから湿気が多くてつきにくいんだ! じゃあ、どうすれば?」
「さが、って」
ようやく起き上がった青年が私を逃がそうと剣を上げる。
けど肩の辺りを鋭利な物で引っ掛けたような傷があり、そこからは今も血が流れていた。
ガガンボの足か口にやられたんだろう。
それと動きがおかしいから、他にも見えないところに負傷があるようだ。
「無理だよ! ともかく南門まで走って」
「…………いや、寄ってこない?」
剣を構えようとしてた青年が疑問の声を漏らした。
見るとガガンボは最初に滑空した以上に近づいてこず、辺りを旋回してる。
まるで何かを嫌がってるような?
「あ! 蜂避けの魔法? あれが効いてるのかも」
私は可能性にかけて、改めて杖を向けた。
「《蜂よ去れ》!」
杖から噴出する白い煙。
届くかどうかの距離でガガンボは動きを変えると、そのまま一目散に離れていく。
どうやら巨大ガガンボの撃退に成功したようだ。
「…………はぁ、びっくりした。虫があんなに大きいなんて」
一定量噴出するから辺りに虫除けとして散布しつつ、私は改めて巨大すぎる虫の姿に鳥肌が立った。
青年を顧みると、そちらも息を吐き出して座り込んでいる。
「大丈夫? 回復薬あるからちょっと待って。その肩以外も怪我してるでしょ」
「いや、助けてもらった上にそこまでしてもらういわれは」
「せめて自力で帰れるくらいになってもらわないと私も気になって採集もできないし。あ、それとどうやってやられたか教えて。情報料だと思ってくれればいいから」
固辞する青年に、私はヘクセアさんを思い出して言ってみる。
すると青年も湖から出るだけで痛みが襲うためか、一人で帰ることもままならないと諦め頷いてくれた。
「私はエイダ。まだテーセに来て十日くらいかな。周辺のこと良く知らないんだ。あなたは? あ、もしかして偉い人だったりする?」
肩に小回復薬を使いながらよく見ると、この青年身なりがいい。
「イーサンだ。平民ではないが気にしないでくれ。虫と魚にやられて助けられる程度の者だ。こんな状態では偉ぶれもしない」
「魚?」
「あぁ、実は…………」
このイーサン、お城のほうに務めてるいい家の人らしい。
そして今日は休暇だったそうだ。
お城のほうでも刺して来る虫のモンスターが増えたことが問題になっていたけれど、イーサンは虫が苦手。
「なのになんでわざわざ休みの日に? さっき顔色悪かったのもそのせい?」
「面目ない。城の守備に関わるからにはその内討伐が命じられる。けれど仕事で怖いなんて言っていられない。そんな勇気のない姿は見せられないから、休みの内に克服できないかとやって来たんだが」
「いや、怖いものに自分から行くだけ勇気はあると思うけど」
ちょっとあの大きさ相手に一人は無謀だったかんじゃないかな。
イーサンの肩は小回復薬で血も止まり、剥きだしの傷も軽く塞がる。
次の傷をと促すと、イーサンはおもむろに服の裾を捲った。
鍛えられた硬そうな脇腹には見事な青たんが広がってる。
「うわ、痛そう。これが魚にやられたところ?」
「そうなんだ。虫の中でも大型に遭遇してしまって攻めあぐねている内に、それを食べようと湖の主が飛び出て来て」
苦手な虫、しかも巨大で凶暴な相手に気を取られていた。
すると見事に湖の主の巨体に体当たりされ、吹っ飛ばされて湖の縁で転がったということらしい。
私が声をかけるまで気絶していたそうだ。
「怖! ここって漁師もいるって言うからもっと安全な採集場所かと思ったのに!」
「いや、あの大きさの虫は珍しい。湖の主も湖畔の城に仕えて初めて見た。…………見た? いや、衝撃だけでよくは見てないが」
私は眼鏡をずらして傷の具合を観察する。
どうやら骨や内臓は平気。
ただ腰回りを大きく打撲してるから、歩くのにも支障がありそうだ。
「これ、手持ちの薬では完全に治せないなぁ。魔法で痛みを紛らわせるからそれで我慢してくれる?」
「いや、こちらは助けてもらってばかりだ。そこまでは」
そう言って捲った服を戻そうとするイーサン。
すると何かがイーサンの後ろから転がり落ちた。
光を反射する大きな薄い石?
なんか違うな。
ずらしてた眼鏡の脇から魔眼が捕らえる情報は生物の一部というものだった。
「これ、鱗?」
おっきくない!?
私の顔より大きいよ?
「あぁ、体当たりをしてきた湖の主だろう。誇れるものでもないが、何もないよりはましだろう。魔法の触媒に使えると聞く」
そう言ってイーサンに鱗を差し出される。
他にも鱗の欠片を服からはたき落として集めると、粉にして使うこともあると説明してくれた。
「えぇ? 湖底の石でも拾えればいいと思ったのにこんな珍しいもの」
「それは良かった。ちょうど拾ったんだ。その後虫と湖の主に襲われたが」
イーサンはポケットから紺碧の石を取り出してそれも私に差し出した。
たまたま見つけて共闘し、手当をしたら採集する必要もなく杖の素材が手に入るなんて。
「いいのかな? けど…………占い師って、すごい」
私はイーサンから鱗と石を受け取って、思わず呟いたのだった。
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