46話:本領です
「兄さん、叔父さん…………!」
エリーは叫び、灰の舞う中二人の姿を探す。
二人がいた場所には、私が呪文で作った魔法の壁がなんとか立っていた。
けど、二人は重なり合うように壁の向こうに倒れている。
「ぼぉああああぁぁあああ!」
「「「うひゃぁぁあああああ!」」」
強化されてしまった火鼠は、吠えると同時に三人組の冒険者へと走り出す。
私とエリーはその隙に、倒れたまま起き上がらないシドとヴィクターさんの下へと駆けつけた。
「二人とも、しっかりして!」
「ぐ、ぅう…………」
「俺は、大丈夫。叔父さんが、庇ってくれたから」
下敷きにされていたシドが、エリーと一緒にヴィクターさんを抱えて起き上がる。
ヴィクターさんの盾は動かした途端、炭と化して崩れ落ちた。
見れば横に落ちてる剣も歪んで使い物にならない。
それらを握っていたヴィクターさんの手も、真っ赤に腫れあがってしまっている。
「エイダ! 火傷の薬出して!」
「う、うん!」
「馬鹿、逃げろ…………」
「叔父さん、奴も突然の強化に我を忘れてる。今は動かないほうがいい」
シドはヴィクターさんをエリーに預けて、走り回る白熱した火鼠を目で追う。
三人組の冒険者を火傷させて方向を変えた火鼠は、当てもなく走り回っており、混乱しているようにも見えた。
無秩序な走りは予想ができず、下手に逃げようと動けばあの三人組のように火鼠の熱波に当てられる。
エリーと一緒にヴィクターさんの火傷を手当てすると、嫌でもわかる。
耐火装備が意味を成さないほどの熱量を、大きな火鼠は手に入れてしまっていた。
私の防具もこの場に居るだけで表面に施された樹脂が溶け始めている。
火鼠に攻撃されなくても、私たちはもたない。
「確か、お祖父ちゃんの魔術書に…………。《至高なれ、至高なれ、万軍の王たる霊。礼賛の歌は天地に満つ。天のいと高き天にて我らを導き給え》! 英雄の志」
「うわ! なんか体が光ったぞ!」
「戦闘能力を上げる呪文だったと思う。これで、少しは動きやすくなるんじゃないかと、思って」
見たことはあっても使ったことはない呪文だ。
上手く作動したのも、私の力じゃなくアイシクルスライムの杖の性能のお蔭だと思う。
「う…………っ。確かに、痛みが引いたが、これは痛みを一時的に感じなくさせただけだな。火傷で傷んだ手は動かねぇ」
ヴィクターさんが自分で身を起こし、冷静に呪文の効果を見定める。
「だが、これでお前たちの足手纏いにはならずに済みそうだ。幸い、エイダの呪文で足は無事だからな」
「でも、叔父さん…………。逃げ道、塞がれちゃったみたい」
エリーはヴィクターさんの様子に安堵しつつも、眉を顰めて大きな火鼠を指した。
見れば、火鼠の走り回った後には炎が壁のように立ち昇り、逃げるための道を塞いでしまっている。
シドも槌を握り直して渋い顔になっていた。
「思うに、火の壁を越えて横道に入っても、中は窯焼き状態だろうな。まだ天井に外へ通じる通気口が開いてるここのほうが…………って言ってられないな。確実に温度は上がってる」
逃げ込んだ途端焼け死ぬ可能性は高いが、ここに留まっても結果は同じだとシドは言う。
確かに汗さえ蒸発するような火鼠の熱量は、命の危険を感じさせた。
「となると……、残るはあそこか…………」
呟くヴィクターさんが見るのは、大きな火鼠が出て来た地下への道。
「地下から砦に戻れないこともないけど、装備がほとんど駄目になってる状態じゃ、危険すぎるよ」
「けど、あの火鼠をどうにかするには武器がもたないだろ、エリー」
不安げなエリーに、シドが他に道はないと告げる。
「何、逃げるにしても一度あの火鼠の動きを止めなきゃ隙もねぇ。…………エイダ、さっき放った氷の魔法、最大出力で行けるか?」
ヴィクターさんの問いに、私は眼鏡をずらしてアイシクルスライムの杖と走り回る火鼠を交互に見た。
「…………最大出力でも、あの呪文じゃ弱すぎる。もっと、強い呪文じゃないと。でも、私に扱える範囲の呪文じゃ…………」
お父さんが持っていた先祖の魔術書は、やることの少ない冬の間に良く読んでいた。
大半は私の力では制御しきれない呪文ばかりで、知っていても使えない。
私はクライスの魔術書を手に取り、『自動書記ペン』を見下ろす。
「やべ! こっちに来るぞ!」
「来るなー! 《巡る流れに身を任せ、心のままに押し流せ》!」
叫びながら矢を番えたエリーが呪文を唱えると、指輪の青い石が光を放つ。
指輪の光は水となって、火鼠に射かける矢が水を纏った。
クライスがエリーに作った呪文だろう。
けれど、強化された火鼠の前では、矢ごと水は蒸発してしまう。
ただ火鼠は鼻先に生じた水蒸気を嫌うように、私たちから進路を変えた。
「火鼠を倒すには体と同じ量の水をぶっかければいいんだが、あの大きさじゃな」
「それすると、毛皮も使い物にならなくなる、なんて言ってられないか」
「ちょっと嫌がったってことは、その性質は変わらないのよね?」
水の気配を生じさせれば、火鼠から逃げられるかもしれない。
私は三人の視線を受けて頷き、『自動書記ペン』を手に取った。
「君はきっと、私よりこの魔術書に詳しい。お願い、一番強力な水の魔法を教えて」
もちろんクライスの作った呪文も、高度なものは失敗の可能性が高い。
それでも使った感触から、クライスの呪文のほうが私には合っていた。
『自動書記ペン』は、私が開いた魔術書を尻軸で猛然と捲り始める。
迷うことなくページを捲ると、ペンは一つのページを示した。
それは、水源から水を召喚する呪文。
呪文発動に必要なのは、水源ゆかりの物品と、召喚する水の重さと同じだけの魔力。
「水は、持ってきた飲み水で行けるけど、魔力が、そこまで…………」
「魔力回復のためのアイテム持ってきてるよ! 土鬼の冷酒!」
受け取ったお酒を飲んでみたけど、回復するのは十分の一程度。
量は飲めないし、私の魔力が全て回復しても、同じ水量の水では普通の火鼠一匹くらいしか倒せない。
「倒す…………? いや、顔に集中させて怯ませるだけでも…………。でも、その程度じゃ逃げる隙にもならない。動きが早いし、まずは温度を下げて動きを鈍らせるために冷やして…………あ」
私は手に持ったアイシクルスライムの杖と、クライスの水を召喚する呪文を見比べる。
呪文は、媒介となる水源ゆかりの物品の質で、召喚できる水の量を増やすことができると書いてあった。
「できるかな…………? そうじゃない。うん、できるかどうかじゃなくて、やらなきゃ。エリー、このお酒どれくらいある?」
「あと三本。飲める?」
不安そうなエリーに、私は無理をして笑って見せた。
自分を鼓舞する勢いのまま、土鬼の冷酒を三本飲み干す。
う、不味くはないけど、美味しくもないし、自分の息が気持ち悪い感じがする。
「おい、まずいぞ! 火鼠の奴、正気になり始めた!」
「危ねぇ!」
シドが警告すると同時に、私とエリーをヴィクターさんがほぼ体当たりで突き飛ばした。
全員で私が作った魔法の壁に隠れるけれど、すぐ側を走り抜けた火鼠の熱波に、壁は崩壊する。
あの白い状態じゃ、きっと武器での攻撃さえ届かない。
「俺たちを獲物として認識しやがったみたいだな」
無闇に走り回っていた火鼠が、距離を置いて私たちを見据えている。
私は魔術書とアイシクルスライムの杖を構えて立ち上がった。
もう一刻の猶予もない。
それでも私は、確実に瞳に魔力が集中するよう強いて息を落ち着ける。
やり方は、湖の杖を作った時と同じ。
今ここで、私は新たな呪文を作り出す。
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