99話:麦粥のトマト煮です
職人通りには気軽に食べられる物が多い。
イーサンは街の北にほとんど来たことがなく、何があるのかもわからないというので私は麦粥を一緒に食べることにした。
「ずいぶん、見ためが…………。血のようなと言ってはいけないか」
「赤いよね。でも野菜の色だから大丈夫。お好みでチーズを入れると溶けて美味しいよ」
私はこの赤い麦粥を前に食べたことがある。
麦を柔らかくなるまで煮てあって、一緒に入れられてる鶏肉の出汁が出ているんだ。
そして基本は赤い野菜の汁に浸っているのでさっぱり味。
チーズを入れると溶けて絡んでより美味しい。
私が口をつけたことで警戒しながらも口に運んだイーサンも、簡単に完食した。
「街にはこんなものがあるのか。知らなかった」
「あぁ、南門からも遠いしこの辺り来ないだっけ? 私も最近テーセに来たんだけどすごく珍しい食べ物多いよ」
そんな話からいくつか食べ歩きをすることになった。
兵士さんだからかイーサンは麦粥では全然足りなかったみたいだ。
イーサンに奢ってもらった勢いで、私はちょっと食べ過ぎた。
なので人気のない路地の植え込みの段差に座って一休みをすることに。
お腹が満足して闇市出てすぐの気まずい雰囲気もなくなっている。
「ふぅ、ごちそうさまでした。それで、少しは落ち着いた? 闇市で、偽物だってわかってたのに迷ってたでしょ」
「ばれていたのか。あぁ、頭は冷えた。明らかに怪しいけれど縋りたいと思ってしまったが、そんなことをしてもなんの解決にもならないのにな」
「もしかして、誰か大切な人が、病気?」
イーサンは迷う風に視線逸らし、けれど私に向き直る。
「冥府の恵みを求めるなら、それ以外にないか。助けてもらったのだから今さら誤魔化すのも不誠実だろう」
「別に言いにくいことなら。私も勝手にしたことだし」
「それで知り合いに怒られていただろう? 私のために、ありがとう」
改めてイーサンはお礼を言ってくれた。
「私の所属と冥府の恵みで誰かに聞けばすぐに答えはわかる。だったら自分の口で言わせてほしい」
「南の城砦に務めてて、生薬を飲み続けなきゃいけない病人?」
私に心当たりはない。
「最近テーセに来たなら知らないだろうが、あそこには療養中の姫君がいらっしゃる。お心の清い方で、城砦の者にもお優しいんだ」
「そう、だったんだ。知らなかった。つまりお姫さまのため? でも偉い人なら冥府の恵みの当てないの?」
「元からあのダンジョンで得られる冥府の恵みは冒険者ギルドを通して伯爵に優先権が握られてる。伯爵から委託を受けている商業ギルドが薬屋に分配して薬にするんだ。その薬は医師や教会に配分が決まっていて薬を作る薬師自身もそうそう手元に残せはしない」
そう言えば会頭さんはテーセのダンジョンで採算が取れると冥府の恵みを当てにして私財を投入したと聞いた。
競合相手のアダルブレヒトさんが罪を得たから、今はその冥府の恵みで得られる財を独り占め状態になっているらしい。
けれどオリガさんや教会の司祭さんの様子から分配はちゃんとしていると思う。
実際薬屋さんは長持ちしないというようなことを言っていたし、在庫を抱え込むより消費してもらうべき商品なんだろう。
「えっと、これは知り合いからのまた聞きなんだけど、優先順位はもう決まってて必要な分は配分されるって聞いてるけど?」
私の言葉にイーサンは黙る。
もしかしてそこまで重篤じゃないのかもしれない。
それでもお姫さまのために何かしたくて闇市にイーサンはわざわざ?
「偽物を与えて余計に悪くするよりも回ってくるの待ったほうがいいと、私は思うけど」
「そのほうが割を食わされるんだ」
イーサンは拳を握って否定した。
そこに籠るのは確かな怒り。
驚く私に気づいてイーサンは拳を開いて眉を下げた。
「すまない。関係のない君に当たってしまった」
「ううん、私は事情も知らずに言ったんだし。けど、私も商業ギルドに所属してる形なんだけど、割を食わされるって言うほどあくどいことするような人、見てないんだ。何か理由があるの?」
「あぁ、商業ギルド自体が問題なんじゃない。問題は、伯爵だ」
伯爵と言えばテーセの領主だろう。
そしてソフィアさんの弟。
兄弟だからって同じような人格とは限らないからなんとも言えない。
私もクライスほど口は悪くないし。
「もしかして政治とか、難しい話?」
「そう、そうなるかな? もともと伯爵が姫にこの地での療養を勧めたのは、城砦に一定の兵力を駐留させることで、ダンジョンの脅威に備えつつ、国から補助金を得るためなんだ」
「あぁ、確かに生薬なら近いほうがいいし、お姫さまは守らないといけないから必要だよね」
「それでも本来ならこんな危険な場所、いらっしゃるべきじゃない。けれど姫は、朝な夕な苦しむ姿に心傷める陛下たちの心労を軽減するとおっしゃってこちらにお移りになったんだ」
聞けば冥府の恵みが必要な病気は呼吸器の不調。
季節の変わり目や食べ物が合わないなんて簡単なことで息ができなくなる。
それを軽減して時間をかけて平癒させるのが冥府の恵みから作られる薬だそうだ。
「お姫さまも大変なんだね。苦しい思いするなら、薬が手元にあったほうが安心はするんだろうな」
「そう、そのとおりなんだ」
イーサン自分のことのように不安そうな顔をする。
「けどなんで分配のほうが割を食うの? お姫さまは伯爵が招いたんでしょ」
「もう何年も療養なさっているから、小康状態で優先度は低いんだ」
「治りそうなの? 良かったね」
素直に病状の回復を祝う私に、イーサン困ったように笑った。
「ただ症状が出た時が重い。だからこそ、姫が完治して王都に帰るとなれば、今まで引き留めていた兵力と補助金もなくなることに伯爵は良い顔をしないだろう。だから今回のことも、完治を遅らせるための伯爵の陰謀じゃないかと城砦では噂になっている」
「え、今回って冥府の恵みの群生地のこと? それはないよ。スライムの群体がどどって移動して荒らしてしまったんだから。誰もそうしようとなんてしてない」
つい力強く反論してしまった私に、イーサンが驚いた顔をする。
「まさか、その場にいたのかい?」
「あ…………」
口を押さえても遅いし、イーサンもじっと私を見つめて答えを催促する。
これは、変に勘繰られるより言ったほうがいいんだろう。
「その、ロックキャンサーに襲われそうになったんだけど、その下にアクアスライムが連なった群体がいてね。ロックキャンサーから遠ざかる形で大移動した先が、冥府の恵みの群生だったの。その時地底湖周辺にいたのは私たちだけだったから、誰も意図して群生地潰したわけじゃないんだよ」
「その、ロックキャンサーとやらを、刺激しないことはできなかったのか?」
「わからない。そこにいたことも気づかなかったし、アクアスライムの群体も気づいた時にはもう大移動してて私たちも動けなくなってたから」
イーサンはさらに何か言おうとして口を閉じる。
私を責めても状況は変わらないし、お姫さまを思って責めるなんてお門違いだろう。
でも私はイーサンに申し訳なさを覚えた。
「あの、一応、ダンジョンにある冥府の恵みは、地底湖周辺の群生だけじゃないから。別の自生地をいくつか見つけられれば、安定供給できる、かもしれないし」
「あるのか?」
「このテーセのダンジョンは特殊だからって…………」
イーサンが私をあまりに見つめるので、圧されて黙っていると重々しく聞いて来た。
「群生以外の冥府の恵みを、見たことがあるんだね?」
「う…………」
「何処に!?」
「だめだめ! もう伯爵のほうに報せは行ってるし、ダンジョンの中でもたぶん保全のために封鎖されてるから!」
口早に手に入れられないことを教えると、途端にイーサンはがっくりと肩を落とした。
イーサンの熱意は本物のようだ。
「ダンジョンの研究家が、他にも自生してそうな場所割りだして街の協力も取り付けて捜す予定らしいから、焦って偽物掴むより待ってたほうがいいよ」
「それでは結局伯爵にいいようにされてしまう」
そこまで伯爵って嫌われてるの?
いったい何したんだろう、ソフィアさんの弟。
悩むイーサンを見て、私も首を傾げた。
するとそこに声をかけられる。
「イーサン、どうした? ナンパ?」
見るとイーサンと歳の近い青年と、ひと回り上だろう男性がこちらに近づいてきているところだった。
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