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柳生の剣士  作者: MIROKU
江戸の守護者
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魔物の誘い

 伊三郎の意識は朦朧としていた。

 目の前の女は、とても現実のものとは思われない。


 それにしても何たる美しき女の魔性。

 白く透き通るような肌、長く白い髪、伊三郎を見つめる媚びを含んだ眼差し……

 伊三郎でなくとも、心を囚われそうな魔性の美しさであった。


 すでに色欲も失せていたはずの伊三郎は、この時、立ち上がって魔性へと近づいた。


「お、おおおあ……」


 伊三郎自身も訳のわからぬ行動であった。彼は両手を広げた女の魔性へ歩み寄った。


“ふふふ……”


 魔性の妖しい声もまた伊三郎の理性を吹き飛ばすに充分だった。彼は魔性に魅入られたのだ。



   **



「十兵衛はどうした」


 と三代将軍家光は宗矩に問う。


「は、あやつには特別な任を与えておりますゆえ」


 家光の前に平伏した宗矩は畏まって言葉を紡いだ。


「そうか」


 家光は気難しい顔をした。本心はわからぬながら、彼は十兵衛に会いたがっているのかもしれない。


 ーーとても会わせられぬ。


 宗矩は心中に考える。かつて家光は辻斬りの凶行に及んだ。しかも狙うのは女ばかりであった。

 これは大奥の支配者、春日局が乳母だったからとも言われている。彼女の厳しすぎるしつけによって、家光は女を憎むようになったと。


 今も家光は女を遠ざけていた。後世に衆道と伝えられる家光は、この時まだ世継ぎどころか、妻帯すらしていなかった。


 ーー会わせられようはずがない。


 以前の事を思い出せば、宗矩は生きた心地がせぬ。家光の辻斬りを止めたのは、十兵衛であった。

 しかも春日局の依頼だったという。十兵衛と春日局、両者の間にどのような密約が交わされたかはわからない。


 が、家光は辻斬りを止め、春日局は十兵衛に名刀の三池典太を賜った。宗矩は家光の癇癪を恐れ、十兵衛を密偵として世に放った。

 家光の小姓には、十兵衛の弟の左門と又十郎を差し出した。


 それから十数年、十兵衛は望んで江戸の治安を守るために身命を捧げている……


「十兵衛ならば、ひょっとすれば」


「何でありますか」


「いや、一人言よ」


 家光は言った。宗矩もあえて問いはせぬ。

 そして家光と宗矩は、江戸城の敷地内に設けられた道場にて剣の修行に励んだ。





 昼近い頃合いに、十兵衛は馴染みのうどん屋へ足を運んだ。


「お、若旦那」


「いつものを頼む」


 十兵衛が注文すると、うどん屋の主人である源は「へい」と威勢よく応え、うどんの準備を始めた。


「そろそろ寒くなってきやしたから、また浪人の凍死が増えますかね」


「そうだな……」


 十兵衛は源がうどんを準備するのを、ぼんやりと眺めていた。

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