茶屋の娘
「ほうほう」
十兵衛はのんきに見物していた。娘の立ち姿が絵になる。
ただの娘ではない。背筋はまっすぐに伸び、小柄ながらも腰に手を当て浪人の顔を見上げる様子には、わけもわからず感心した。
「ええい、この娘」
浪人が娘の胸ぐらつかもうと手を伸ばした。娘はその手を取ると、気合いと共に浪人を転がした。
「ほほう」
十兵衛は隻眼を見開いた。娘が使ったのは組討の術であろう。瞬時に浪人の手首をひねって、投げたのだ。
十兵衛が父から学んだ無刀取りに通ずるものがある。組討術は全国にあり、後年まで伝わったいわゆる柔術の諸流派は二百以上だったという。
「な、何をする小娘」
浪人は吠えた。さすがに刀柄に手をかける事はなかったが、娘の気迫には負けた。
「あんたらみたいな奴らにただ飯食わせる道理はないんだよ」
娘のまっすぐな眼差しに刺し貫かれた浪人達は、悔しそうに店から去っていった。十兵衛のみならず、足を止めて見物していた者達も痛快な気分にさせられた。
「いやはや、大した女傑だ」
十兵衛はニヤニヤしながら店先へ近づいた。いつもの通り、食後の茶と団子を堪能しようと思っての事だ。
「ん、何よ、あんたもなの」
娘の視線を浴びても十兵衛は涼しい顔をしていた。
「婆さんはどうしたかね」
「え、おばあちゃんの知り合いなの」
「あんらあ、いらっしゃあい」
その時、店の奥から茶屋の老婆が姿を見せた。手にした盆には、たくさんの団子を乗せた皿を乗せていた。
「おばあちゃん、あんな奴らにお団子あげようとしたの」
「お腹空いてるだろうと思ってねえ。前にも来たんだよ。今日は違う人だったね」
「ああ、そうか、それで」
十兵衛は合点がいった。おそらく茶屋の老婆は以前、浪人に団子を恵んだのだろう。
その噂を聞いた別の浪人がたかりに来たのだ。危ういなあ、と十兵衛は思った。団子だけでなく金目のものをせがまれたり、居座られたら大変な事になっていた。
実際、そのような事件は江戸で珍しくはない。この茶屋が浪人の標的にならなかったのは、老婆の持つ仁徳ゆえかもしれぬ。
「あんた食べなあ」
老婆が穏やかな笑みを十兵衛に向けてくる。十兵衛の顔は緊張からほぐれた。
「うむ、ではいただこう。金は俺が払ってやる」
十兵衛は店先の床几に腰かけた。老婆は盆を床几に乗せ、今度は茶の準備に店の奥に入っていく。
「あんた何者さ」
娘は十兵衛を凝視した。彼女から見れば隻眼の十兵衛は町民にも思えぬし、かといって浪人風情にも見えなかった。
「俺は七郎だ」
十兵衛は名を偽った。七郎とは十兵衛の幼名であり、世を忍ぶ仮の名だ。
「あたしは、おりん」
娘は名乗った。茶屋の老婆の顔見知りという事で、警戒を解いたのだろう。
「おりんか」
奇しくも十兵衛の母親と同じ名だ。