無明の明日19 ~十兵衛見参~
「これはーー」
國松はうめいた。女首領の体は服を引き裂くほどに肥大し、全身は獣毛に包まれた。
およそ七尺を越える巨体が月下に咆哮する。それは後ろ肢で立ち上がった巨大な狼のごとくである。
「おのれ化物!」
決死の黒覆面がーー
風磨の忍び達が数名、刀を手にして人狼に斬りかかった。
「待て!」
國松の制止がかかる前に、人狼が右手を振るって忍び達をまとめて薙ぎ払った。男数人がまとめて吹っ飛ばされるとは、なんという力だ。
ーーオゴオオオオオ!
女だった人狼は夜空に咆哮した。いや、それは嗚咽であったか。彼女は仲間の死に悲しみ、絶望してしまったのだ。
今や人狼の目からは涙があふれて止まらない。女首領と配下の浪人、彼らに何があったのか余人は知らぬ。
あるいは男女の契りを結んでいたかもしれぬ。浪人達は皆、彼女を守る為に斬り死にした。それもあるかもしれない。
「鬼も哭くのか」
國松は再び刀を抜いて人狼を見据えた。
その技量は十兵衛以上だが、國松は人外の者と命のやり取りに及んだ経験はない。
國松ですらが人狼を前にして、心身の震えを抑える事ができなかった。
心は闘いに向かっても、刀柄を握る右手が小刻みに震えている。
「未熟千万ーー」
國松は尚も刀を正眼に構え、人狼に突きつけた。彼と風磨の忍び、更に繁みからとびだした源と政も人狼を取り囲む環に加わった。
人狼の視線が一瞬、源の方へと流れた。
「なんだ?」
源の戸惑いも一瞬である。人狼は夜空を見上げて咆哮した。それは身を挺して死んでいった男達への挽歌であったか。
ーーあの屋敷か!
夜の中を駆けてきた十兵衛は、國松らが潜んでいる商家の側まで来た。
その時、十兵衛は月夜に響く人狼の雄叫びを聞いた。
それを聞いた瞬間、十兵衛の心は白紙の境地へーー
自らの説く捨心の境地へと達した。
「ふ」
声にならぬ吐息を漏らし、十兵衛は駆けながら三池典太を抜き、そして商家の屋敷を囲む塀の手前に投げつけた。
地に突き刺さる三池典太、その刀柄を踏み台にして十兵衛は跳躍した。
黒装束の十兵衛は月下に身を踊らせ、体を捻りながら塀を飛び越えーー
商家の敷地内へ着地した。
「十兵衛!」
國松は般若面の十兵衛の姿を認め、叫んだ。
敷地内に着地した十兵衛は、静かに人狼の姿を見据えた。般若面を被った彼は、人狼に劣らぬ一個の化物のようである。




