無明の明日16
「大儀であった……」
忠長は床に倒れたまま、満足げに目を閉じた。死んだわけではない。十兵衛の無刀取りにーー
柔よく剛を制す、その体現に敗北し満足したのだ。
「恐悦至極であります」
十兵衛は床に横たわる忠長に、慇懃に頭を下げた。彼もまた満足した。
死線を乗り越えた先にある無の境地、そこに到達し、なおかつ忠長の刃を制するーー
それを達成した十兵衛の胸には、正しく感無量の思いが満ちるのだった。
二人の命懸けの対決を見守っていた助九郎も、満足げに微笑した。胸熱くする対決であった。
そして、これより後、忠長は十兵衛の言に従い、幕府転覆の意思を捨てた。
それで全てが終わったわけではなかったが、少なくとも十兵衛は天下大乱の危機を防いだのだ……
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ーーそうだ、あの時だ。
十兵衛の意識は深い闇に捕らわれたままであった。
彼は月光蝶によって精神を責められていた。人知を越えた幻怪なる術に十兵衛の魂は汚染され、発狂もしくは崩壊の危機にあった。
彼を救ったのは、学んで身につけた技と、歩んできた道の中にあった。
即ち、兵法・無刀取りだ。
無刀取りは人殺しの技だが、人を救う技でもある。現に忠長は救われたのだ。
彼は切腹した事になっているが、密かに救われ、今では染物屋風磨の店主の國松となっている。
風魔忍者の子孫を率い、忠長は江戸を守るために日々奮戦しているのだ。
ーー剣禅一如、活人の技……
十兵衛の意識は闇でもがいた。それは母の子宮内で動く赤子のようである。
自身の達した行い、最高の技。
その充実あるゆえに、十兵衛の魂は自我を保っていられたのだ。
ーー俺がやるべき事は……!
十兵衛の意識は目覚めた。彼の右手は三池典太の柄を握りしめていた。春日局から賜った三池典太の名刀は、十兵衛と共に死線を越えてきたのだ。
全ての闇が晴れていくようであった。
十兵衛の魂は、虚無の中からよみがえったのだ。




