父と子
「貴様に何がわかる」
突き刺した刀を宗矩はひねる。彼の眼光は鋭く、全身から殺気が発散されていた。
宗矩は自身にもわからぬ憤りに支配されていた。それこそが長年の間に、彼の心の底に積もった澱にも似た鬱憤だ。
「欲望のままに生きる餓えた化物が」
宗矩は更に刀をひねった。が、すでに大地に魔性の姿はなかった。
美しい女の姿をした魔性の体は、すでに溶けて腐汁のごときだ。
宗矩は眉をしかめた。
「心のままに生きる……か」
宗矩は夜空を見上げた。いや、その眼ははるか彼方を見ていた。
陽光の差す深緑の中で、父や兄、更に甥(年齢差は八歳だったので、少し年の離れた弟のように思っていた)と共に兵法修行に励んだ柳生の庄を。
あの日々こそ宗矩にとって、最も充実していた時期であった。
父と兄という強大なものに挑戦する日々、それこそ男は本望ではないか。
だが、宗矩が柳生の庄を訪れる機会は、永遠に失われたに等しい。
ーーあやつはどうやって生きているのだ。
宗矩は考える。嫡子の十兵衛は、心の置き所を何処に置いているのかと。
翌日の昼、十兵衛は九段にある染物屋の風磨にいた。
江戸城から程近いこの染物屋は評判がよく、繁盛していた。
「ごちそうさん」
風磨から出てきたのは十兵衛だ。彼は腰に小太刀を差した着流し姿だった。髷も結わない十兵衛は町民らしく見えた。
「今日もただ飯にありつけた」
十兵衛はニヤニヤしながら通りを行く。染物屋の風磨は、実は江戸城の御庭番が世を忍ぶ仮の宿なのだ。十兵衛が訪れれば、食事くらいは出してくれる。
「今日もお江戸は日本晴れだな」
十兵衛は食後の散歩だが、見た目も中身も町民に成りきっていた。
いや、これが十兵衛の本性かもしれぬ。右目を失ってから長い間、十兵衛は感情が凍結したまま生きてきた。
それから二十数年、ようやく十兵衛は感情の働きを取り戻したのだ。
命懸けの死闘を経て生き延びた今の十兵衛は、明るく軽く、迷いを遠く離れて生きていた。
少なくとも昼の時分はーー
「ーーお」
十兵衛は左の隻眼を細めた。馴染みの茶屋の店先で、数名の浪人と娘が言い合っている。
「はて」
十兵衛は首をひねる。娘は前掛けもしている。茶屋の店員は老婆だったはずだが。
「うっさいね、あんた達に出すようなものはないよ」
茶屋の娘は店員のようだが、相当に気が強いらしい。