無明の明日9
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十兵衛の意識は記憶の中をさまよっていた。
駿河への潜入は、最初にして最大の使命だった。
駿河大納言、徳川忠長。幼名を國松という。その忠長には、無数の勢力が接触していたのだ。
北の独眼竜、薩摩の島津公、更に紀州の徳川家……
十兵衛と他の隠密達は震え上がった。彼らのような木っ端隠密に何ができようか。江戸へ命がけで報告に上がっても、幕閣の何者かによって口封じに殺される可能性もあった。
ーー何たる事よ。
若き十兵衛も緊張に脂汗を浮かべた。独眼竜政宗公は、十兵衛とは見知った仲である。
“ほう、どうした一つ目小僧”
十兵衛が家光の小姓を務めていた頃、城内で出会った政宗が声をかけてきた。互いに隻眼であるという事が親近感を高めたのだろう。
ーー政宗公ですらが未だ天下を狙う野心を抱いているのか……
十兵衛は決して政宗を嫌っているわけではない。むしろ右目を失い意気消沈していた十兵衛に喝を入れてくれた存在だ。
「大藩の大名に紀州徳川家など、我らの手に負えませぬ」
隠密の一人は顔を蒼白にしていた。十兵衛と協力し、駿河に滞在する彼らは出自もバラバラだ。
伊賀甲賀の忍び、江戸城御庭番、旗本の二男三男……
使命の為に命を懸ける事ができる彼らでも、天下の乱れを止める事はできぬ。
駿河大納言忠長に、後ろ楯として政宗公、島津公、更に紀州徳川家までついているとなると、彼らが命を捨てても、どうにもならぬ。
世の中が再び戦乱に包まれるーー
そんな暗黒に似た絶望感が、十兵衛を始めとした隠密達の心を支配していた。




