無明の明日3 ~姿は即ち是、空なり~
ーーこいつら、どこから現れた。
十兵衛は黒塗りの般若面の奥で瞠目した。いつの間にか、彼の周囲には無数の人影が現れていた。
淡い月光に照らされた夜の世界で、彼らの目だけが不気味に深紅の輝きを発していた。
しかし十兵衛は怯まぬ。己が命を捨て江戸を守るという意思、それこそが彼の魂に宿った降魔の利剣であるのだ。
何も恐れる事はない、ただ最善と全身全霊を尽くすのみだ。
「ふふふ……」
十兵衛は般若面の奥で含み笑いした。
「明日は遠いな……」
十兵衛は明日、おりんと共に旅芸人一座を観に行く約束をしていた。
だが、それは果たせるのか。周囲に現れた不気味な人影は、瞳を深紅に輝かせながら、ゆっくりと十兵衛に近づいてきていた。
しかも、人影は歩を進めるたびに人ならざる存在へ変貌していた。
見よ、人影の全身の肉が、歩むたびに剥がれ落ちていっている。人間の姿をしていたものが、得体の知れぬ生物へ変化していく様子は、正に地獄の光景であったか。
ーーおあああ
怪物と化した人影の一体が、両手を差し出しながら十兵衛へ迫った。
次の瞬間には、一条の銀光が夜の闇を切り裂いた。
十兵衛はすでに人影の脇を駆け抜けている。無の境地に到った十兵衛、その動きは目にも留まらぬ。
そしてまた、十兵衛の剣もだ。怪物は胴体を真っ二つにされて、地に倒れた。十兵衛の入神の一手は、忠明が生きておれば目を見張ったであろう。
無論、父の宗矩もだ。隻眼の十兵衛は剣の理を深く学んではいないが、死地をくぐり抜けた経験が彼の技を高めた。
姿は即ち是、空なり。
二刀を提げて闇に佇む十兵衛は、天地宇宙と調和していた。




