言葉は心を隠す
夜な夜な魔物が出るという噂が大奥に流れており、春日局はその解決を十兵衛に依頼したのだ。
十兵衛と春日局の関係は深い。家光の辻斬りを止めたのは、春日局の依頼を受けた十兵衛だ。
また十兵衛の愛刀、三池典太(後世では国宝に数えられる)は春日局が賜ったものだ。
何にせよ、十兵衛は魔性とも斬り結んでおり、先日消えた女中の骸も気になった。
ひょっとしたらと考えた十兵衛は夜半、黒装束に黒塗りの般若面をつけ、大奥の敷地内を探索したのだが、徒労に終わった。
魔性の噂は、密かに男を引き入れていた女中が流したものだったのだ。
ーー全く女は姦しいというか……
心中に愚痴を吐き、十兵衛は大きなあくびをした。夜の中で出会った男女は、裸で大奥敷地内で戯れていたので朝まで説教をした。
馬鹿馬鹿しい話だが、魔性の噂を恐れた女中らは夜に出歩く事もなかった。しめしめとばかりに、女中は引き入れた男と広い敷地内で好き勝手に戯れていたのである。
「あらあ、朝まで女遊びでもしてたのかい」
店の奥から、おまつが出てきた。
「い、いや、違うぞ婆さん」
「何が違うんだい」
普段は穏やかなおまつだが、今日は大変に機嫌が悪かった。
「ま、また来る」
「ふん、病気もらったって知らないからね」
おまつの声を背に聞きながら十兵衛は店を去った。
ーー全く、女に関わるとろくな事がない……
十兵衛の心は折れそうであった。
かつては春日局の依頼で家光の辻斬りを止めた。隠密行の最中では、女の無念を晴らすため、京の粟田口で盗賊団と死闘を演じた。
「やれやれだ……」
十兵衛は苦笑して空を見上げた。その死闘もまた十兵衛には人生の充実であった。
そして江戸の往来を見渡せば、行き交う人々の活気に満ちていた。その平穏こそ自分が守ってきたものだと思い到った時、十兵衛は言い知れぬ満足を得た。
「男は最高だな……」
十兵衛は心も足取りも軽く、柳生屋敷へと戻った。
「ーーおばあちゃん、あそこまで言わなくても」
「あれぐらい、いい薬だよ」
「そうかなあ、傷ついてないかなあ」
「なんだい、おりん。あの若旦那がそんなに気になるのかい」
「き、気になんかしてないから」
「どうしたんだい、顔が赤いよ」
おりんとおまつはそんな会話をしながら十兵衛を見送った。女心は永遠の謎だ。
昼下がりの江戸は人の往来も多く、にぎやかだ。江戸の町には命と活気があふれている。
それを守っているのが柳生の剣士たる十兵衛と、その仲間達だ。
江戸は夜を迎えた。
月明かりに照らされた暗い町並みは、昼とはまるで違う世界だ。