出会いは必然
「すまねえ、もう店じまいなんだが……」
源は女を見つめて息を飲んだ。長い黒髪を束ねもせず背に垂らしている。
衣服は湿り気を帯びているようで、微妙に肌に貼りついている。言い知れぬ艶があった。
「そうですか……」
女は青白い顔でつぶやいた。消え入りそうな小さな声であった。政は女から目をそむけた。暗い女は好みではなかった。
「まあ、なんだ。湯は冷めちまったが、それでよければ」
源が席を勧めると、女は床几に腰を下ろした。政は女から席一人分離れた。十兵衛は未だに柳の木を相手に一人稽古していた。
席に着いた女は源がうどんを準備するのを、ぼんやりと眺めていた。
源は器にうどんを一玉放りこんだ。うどんは、店を出す前に茹でてある。
うどんの上に刻みネギ、更にかまぼこを乗せ(源の好意らしい)、つゆをかけて湯を注ぐ。
非常に簡潔ながら、うどんの準備が終わった。本来なら残飯として源が食べる分だ。
「これでどうだい。お代はいらねえよ。湯も冷めちまったしな」
「おいおい、豪華じゃねえか。俺と若旦那の分には、かまぼこなかったぞ」
「それは別料金になってんだ」
源と政が歯に衣着せずに語り合う側で、女は黙々とうどんをすすった。
「美味しい……」
「そ、そうかい。そう言われると男冥利に尽きるな」
女と源の会話を政は横目で眺めていた。やがて、うどんを食べ終えた女は床几から立ち上がった。
「ありがとう……」
「ま、またのお越しを」
源は女を見送った。まるで幽霊のような女は、一人稽古している十兵衛を一瞥して歩み去っていった。
「おい、かまぼこくれよ。いけるじゃねえか」
「あ、ああ」
「……ち、全く。俺も嫁さんが欲しいぜ、ちっくしょう」
政は酒を猪口で飲みながらつぶやいた。この頃、江戸には大勢の男が集まっており、男女の比率は男が六、女が四と言われていた。
数万人の浪人が江戸に集まっている事を考えると、更に女が少ない状況だろう。
女は選り取り見取り、男は一人身。
江戸に吹く初冬の風は、十兵衛や政には様々な意味を含んで肌寒い。
「また来ねえかな……」
源は女が去っていった方向をじっと見つめていた。
政は屋台に戻ってきた十兵衛と共に、酒を飲みながらかまぼこに食らいついた。
「今の女は誰だ、俺の後ろを通りすぎながら『変な人……』とつぶやいていったぞ」
「知りやせんよ、こっちが聞きたいくらいでさあ……」
源は上の空でつぶやいた。まな板の上の鯉であろうか。例えは違うが意味は似ている。
それから十日ほどして、江戸で盗賊団の事が噂になった。
商人の家に押し入って金を奪い、それを貧しい者の住む長屋にばらまいたというのだ。
しかも率いているのは女らしい。噂に尾ひれがついて、美しい女盗賊が悪徳商人をこらしめたなどと巷で騒がれていた。
「女盗賊か」
十兵衛の姿は、いつもの茶屋の店先にある。床几に腰かけた彼は、団子を食べ終え、食後の茶を堪能していた。
「働きなさいよ、あんた」
おりんが側に来て小言を言った。彼女の真意は知れぬ。
「いや、俺は働いてるんだがな」
十兵衛は気まずそうに言った。昨夜は春日局の依頼で、大奥に侵入していた。