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柳生の剣士  作者: MIROKU
江戸の守護者
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降魔の利剣





 江戸に夕刻が迫った頃、おまつとおりんの茶屋も店じまいを始めた。


「夜は怖いからね、しっかり閉めとかないと」


 おりんはあくびしながら茶屋の戸を閉め、つっかい棒をした。彼女は店主のおまつの好意に甘え、茶屋に住みこみで働いていた。





 今夜は満月だった。

 月明かりによって、かろうじて人の姿を判別できる。

 夜の中に蠢くのは数名の浪人だ。夜の中で活動する内に、夜目が利くようになるのだろう。


「あの茶屋だ、団子を恵んでくれるというのは」


 浪人の一人がつぶやいた。


「団子を恵んでくれるなら、金もしこたま持ってるに違いねえ」


「若い娘もいるらしいな」


「女なんかしばらく抱いてねえぞ」


 三人の浪人は悪意に満ちた瞳を輝かせた。

 彼らは、おりんに追い払われた浪人達とは違う。江戸のあちこちで押しこみ強盗を働いていた浪人である。


 人を殺した事もあるだけに、彼らの肚は座っていた。浪人に団子を恵んだ噂を聞きつけ、夜陰に乗じて押しこもうとした彼らだったがーー


「……何だ、今の音は」


「え」


「俺には何もーー」


 浪人が言い終えぬ内に、彼らの背後へ何者かが降り立った。


「何だと」


 振り返った浪人らは見た。そこには人ならざる魔性がーー

 身の丈七尺を越える異形の巨体が立っていた。


 恐怖に震える浪人達へ、魔性は口から何かを吐きつけた。それを顔に浴びた浪人は、絶叫して地に倒れた。浪人の顔は強酸を浴びて溶け崩れていた。


「ば、化物」


 別の浪人が刀を抜いて斬りつけようとするのへ、魔性は再び口から強酸ーーおそらく胃液だろうーーを吐きつけた。


 刀柄を握る右腕が肘の辺りから溶けて地に落ち、浪人は白目を剥いて気絶した。


「キィエーイ」


 三人目の浪人が、気合いと共に魔性の背中に斬りつけた。肉を長く深く斬り裂いた、見事な一刀だ。


 だが魔性を倒すには到らない。魔性は浪人の顔に両手を伸ばす。つかむと同時に浪人の頭が嫌な音を発して潰れ、血と脳漿が大地に散った。


 ーーおおあああ……


 声にならぬうめきを発して、魔性は茶屋へと近づこうとする。

 昼間は人であふれる通りも、夜の中には誰もいなかった。この寛永の時代、夜は人ならざる者の世界であり、人間と魔物の世界は繋がっていた。


 無人かと思われた夜の静寂の中、茶屋へ近づこうとする魔性へ、何者かが声をかけた。


「待て」


 低い男の声に魔性が足を止めた。

 魔性が振り返った先には、黒装束の姿が立っている。


 月光に照らされた黒装束は刀を背負い、小太刀を腰に差しーー


 そして顔には般若の面がある。黒塗りの般若面の奥には、我らがよく知る男の顔が隠されていた。


「ーーマカロシャダ」


 般若面の男は不動明王真言の一部を唱えた。般若面に隠されて表情はわからないが、全身から対手を圧倒する気配が生じている。般若面の気配に魔性ですら気圧されたようだ。


「また会ったな」


 般若面の男は十兵衛だった。





「これは神仏の導きか」


 十兵衛は般若面の奥から魔性の姿を見据えた。

 七尺を越えるであろう異形の巨体。初めて遭遇した夜から数日で、こうまで変わり果てるとは。


 十兵衛の眼前の魔性は、伊三郎であった。十兵衛には、あの時の魔性だとわかる。理屈ではない、魂が感じていた。


 まるで二足歩行する爬虫類のような魔性を前にし、十兵衛の心身に闘志がみなぎっていく。


「死ぬには良い夜だ……」


 十兵衛は背に負った三池典太を抜き放つ。本来は腰に差すが、背に負った方が動きやすい。


 月光に反射して、三池典太の刃が闇の中に煌めいた。それは不動明王の持つ降魔の利剣に等しかったであろうか。


 ーーおああ


 月下に魔性が吠えた。かつて伊三郎だった存在は哀しげに夜空に咆哮した。


 おぞましき魔性に転じてまで伊三郎は何を望んでいたか。

 あるいは彼は、辛苦に満ちた人生の中に一縷の救いを求めていたのかもしれない……


「ーー御免」


 十兵衛は左手で小太刀を抜いて、魔性の伊三郎に投げつけた。

 次の瞬間には、十兵衛も踏みこんでいる。


 伊三郎は両腕を左右に広げて十兵衛を迎え撃つ。

 投げつけた小太刀は伊三郎の胸元に突き刺さった。が、伊三郎はそれに構わず、十兵衛に強酸を吐きつけた。


 十兵衛の身は夜空に舞い上がった。彼は跳躍して強酸を避け、気合いと共に三池典太を伊三郎へ打ちこんだ。


 ーーふつ


 小気味良い音と共に、伊三郎の異形の巨体は額から股まで、正中線をまっすぐに斬り裂かれていた。


「……」


 十兵衛は瞬時に間合いを離し、正眼に三池典太を構えて、鋭い切っ先を伊三郎へ突きつけた。


 残心ーー


 十兵衛は尚も闘志を絶やしておらぬ。が、彼の眼前で伊三郎の巨体は溶け崩れていく。


「これは……」


 十兵衛は般若面の奥でうめく。魔性に転じた者の末路なのか、伊三郎の体は骨も残さずに溶け崩れ、大地に吸われていった。


 ーーもしかすれば、婆さんの団子が食いたかったか。


 十兵衛はそんな事を考えた。ひょっとしたら、そんな事もあるのだろうか。


 夜の静寂の中で、十兵衛はしばし寂寥たる思いに駆られていた。


 が、唐突に強烈な気配を感じて振り返る。


 夜の闇の中に、浮かび上がる新たなる魔性の姿を十兵衛は見た。


 それは蝶に似た羽根を背に生やした女の姿をしていた。

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