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柳生の剣士  作者: MIROKU
江戸の守護者
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捨心





 翌日も十兵衛は江戸城を訪れた。

 今日は着流し姿に、帯にまとめた稽古袴を背負っていた。


 彼はなるべく人目につかぬように江戸城裏門から入り、そして御庭番(いわゆる忍びの者)らが兵法修行を行う道場へとやってきた。


「お、柳生の若旦那。今日は稽古は休みですぜ」


 広い城内の庭で、御庭番の一人が植木に鋏を入れていた。聞けば、今日は稽古は休みだという。


 江戸城御庭番は名のごとく、城内で様々な仕事にも従事していた。全国各地に隠密として出向いている者や、源や政のように江戸の治安を守る為に身命を賭す者もいる。


 余談ながら彼ら御庭番は幕末まで続いており、黒船に忍びこんだ記録もあるらしい。


「それでいい」


 十兵衛は不敵に笑って、道場の入口で一礼して中に入った。畳ではない、板の間の道場だ。

 早々と着替えを終え、十兵衛は稽古袴姿になると道場の上座へ一礼した。


 壁には二本の掛軸が下げられていた。一つには香取大明神、もう一つには鹿島大明神と書かれていた。


 香取大明神とは武道の神である経津主大神であり、鹿島大明神とは剣の神である武甕槌大神の事だ。


 共に国譲りを成し遂げた武徳の祖神だ。兵法に身を捧ぐ者ならば誰もが敬意を払う存在である。


 一礼の後、十兵衛は軽く助走し、板の間で左右の前回り受け身を連続して行った。受け身の取り方一つで、命を拾うこともある。


 更に一通り体を動かし、十兵衛は瞑想する。

 かつて父の宗矩は言った。無刀取りの真髄があるとすれば、すでに宿っていると。

 学び覚えた技の中から、自分に見合った最高のものを身につけていると。


 一人一人、身につける得意技は違うだろう。兵法の奥義とは、その得意技一つで万の敵に挑む気概だと十兵衛は信じていた。


 大きく息を吐き、十兵衛は己の心身に喝を入れた。

 続いて道場の納戸から真剣を取り出した。鞘を帯に差し込み、道場の中央へ進み出る。


 しばしの黙想を経て抜刀し、眼前の空間へ気合いと共に十兵衛は一刀を打ちこんだ。


 ーーどうしたら、あの化物を倒せるか。


 十兵衛の脳裏には魔性と化した伊三郎の姿が思い返された。

 正直に言えば、十兵衛は魔性に怯んだ。はっきりと恐怖した。それが不甲斐ないゆえに、十兵衛は父の宗矩を訪ねたのだ。


 十兵衛は道場の上座へと、刀を正眼に構えた。

 香取大明神、鹿島大明神。

 武徳の祖神に挑む気迫で、十兵衛は己が心とも向き合った。真の敵は己の心だ。


 静寂が道場の中に満ちる。十兵衛の精神は天地宇宙と調和していく。


 捨心の境地だ。


 自身が体感した全てを越えた境地へと、十兵衛の魂は高まっていく。

 幼い子を助けたあの一瞬を、十兵衛は忘れない。


 あの一瞬こそ、永遠に至る感動なのだ。

 あの時の十兵衛に私心はない。

 十兵衛はその心境を「捨心」と表現している。

 あの遥かなる一瞬へ至らねばならぬのだと思った時、十兵衛は同時におりんの事も思い出していた。


 おりんは浪人達を前にして己の命を守り、茶屋の老婆おまつを守った。

 そして浪人達の魂をも救った。彼らも刀を抜いて暴力に訴える事もできたろうが、それはしなかった。


  ただただ、おりんの潔さに負けたのだ。十兵衛もふと笑みをこぼした。おりんの鮮やかさ、軽やかさに心惹かれる自分がいるーー


 ーーふつ


 十兵衛は無心に一刀を打ちこんでいた。捨心の境地で放たれた一閃は、鮮やかに空を切り裂いた。


「今夜、会えるか」


 十兵衛はつぶやく。再び魔性と会う、そんな予感がする。

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