餓えた化物
今もまた十兵衛は死地へ向かって疾走しながら、全身に気力体力が満ちていくのを感じていた。
挑戦者の気概だ。柳生十兵衛三厳は生涯現役、永遠の挑戦者であったのだ。
駆け出して十数秒、十兵衛と政の二人は血の匂いを嗅ぎ足を止めた。
「……むう」
十兵衛は口の中でつぶやきながら政に振り返った。
政もうなずき、懐へ手を差し入れて得物の棒手裏剣を取り出した。
十兵衛は左手に提灯を、右手は腰の小太刀の柄に伸ばしながら、慎重に歩を進めた。
歩を進めるごとに血の匂いは濃厚になり、異音が聞こえてきた。
ーーしゃぐ、しゃぐ
それは咀嚼音であった。肉を食いちぎり、飲みこむ音だろうか。
十兵衛ですらが怪奇に冷や汗をかいていた。十兵衛の後ろでは政が冷や汗に全身を濡らしていた。
異音が聞こえるのは角の向こうであった。十兵衛と政は意を決して近づいた。
角を曲がると同時に十兵衛は小太刀を抜いた。政も棒手裏剣を投擲の体勢に構えた。
十兵衛がかざした提灯のか細い光の先に見えたのは、二つの人影だ。
一つは地に倒れており、もう一つは側に屈んでいる。血の匂いは強くなった。
ーーしゃぐ、しゃぐ
再び咀嚼音を聞き、十兵衛も政も血の気が引いた。それは人食いの現場であったからだ。
十兵衛はか細い月明かりの下に、化物の姿を見た。浪人の真新しい骸を食らう餓えた化物。
それは魔性に魅入られた伊三郎の成れの果てだ。十兵衛は知らぬ、浪人の伊三郎が妖花の誘いで、魔性に転じた事を。
「ひい……」
多少は修羅場をくぐってきた政が、口元を血で真っ赤に染めた伊三郎のおぞましさにうめいた。
十兵衛は提灯を手放し、伊三郎に向かって駆け出した。
ーー斬る。
魔を降伏せんとする意思が、十兵衛を無心に動かした。