君への叶わぬ想い
私の君への叶わぬ想いはどこへ行くのだろう。
あてどなく私は君への想いを持て余している。決してこの想いを知られてはいけないのだ。シュナウザー様。5歳上の穏やかでけれど手の届かない人である。シュナウザー様は結婚しておられるからだ。なので夜会などででも遠くから見つめるだけで。父や母は私の想いに気づいているが。私は「想うだけでいいのだ」と伝えていた。両親は心配そうにしつつも静かに見守ってくれていたのだった--。
「アンジェラ。今日も縁談が来ているよ」
そう言ったのは父のサースナ侯爵だ。私は本名をアンジェラ・サースナという。年齢は19歳になっていた。シュナウザー様は24歳になる。父は釣書を3つ程持っていたが。私はそのどれもに興味を持てずにいた。いい加減に決めないといけないのだけど。なかなか、踏ん切りがつけずにいた。
「……わかってはいるのですけど」
「まあ、仕方無かろうな。お前は昔から一途だったし」
「ごめんなさい」
謝ると父は眉尻を下げて困ったような表情になる。両親には迷惑をかけてばっかりだ。こんな自分が嫌になってくる。
「失礼致します」
「……アンジェラ。シュナウザー様の事はもう諦めて他の方を探してみるかね?」
「それができれば苦労はしませんわ。シュナウザー様の事についてはまだ踏ん切りがつきませんの」
私はそれだけを言うと立ち上がった。一礼をしてサロンから出て行く。父がふうとため息をつくのが見えたが。そのまま、自室に戻ったのだった。
シュナウザー様に出会ったのは6年前だ。私はまだ当時、13歳で社交界デビューもまだであった。ただ、彼は5歳上の兄の友人であったのでその縁で知り合った。偶然、兄は寄宿学校がシュナウザー様と一緒だった。長期休みの折には我が侯爵邸のあるサースナ領に遊びに来ていた。シュナウザー様はサースナ領の二つ隣のルーナス公爵領の出身だ。ルーナス公爵家は私が住むこのレントニア王国随一の名家で王家とも親戚関係らしい。シュナウザー様は公爵家の嫡男で現在、公爵位を受け継ぎ、現陛下の御子である第1王女ことルカリア殿下と結婚なさっている。ルカリア殿下は私より2歳上の21歳だ。藍色の髪と琥珀の瞳の艶麗な美女で白金の髪と青の瞳の美男のシュナウザー様とはお似合いの夫婦と言えた。
(もう不毛もいいところよね。この際、誰にも内緒で修道院へ行こうかしら……)
ふとそんな事を思った。けど意外と良い考えのように思える。シュナウザー様と両親、兄にだけは手紙を書こうか。きっと皆悲しむだろうが。その内、過去の事として穏やかに静かに思い出せる時もあるだろうし。
私は思い立つとすぐに自室に戻る。クローゼットを開けてスーツケースを出した。1人でも着られそうなドレスやワンピース、編み上げのブーツ、着替えを何着か。後は生活に必要そうな細々とした物、小説と絵本と入れられるだけ入れた。両親から贈られたペンダントにビーズ細工のヴァレッタ、内緒で作って売っていたレース細工で儲けたお金を肩掛けバックに入れた。お金は当然ながら財布の中だ。ハンカチと散り紙、髪紐なども入れたら準備は完了だった。私はよしと頷くと着替えをしたのだった--。
あれから、2時間が経った。アップにしていた髪を解いて三つ編みで一纏めにする。服も平民の女性が着るような生成りのコットンのワンピースを着た。色は淡い黄色で春の今には合う。私はスーツケースをよいしょと持ち上げると侯爵邸から一番近い修道院を目指して歩き始めた。邸の自室には置き手紙を残してきたが。メイドのレイラが気づいてくれたらと祈るしかない。腕や肩にスーツケースの重さがずっしりとくる。
それでも黙々と歩く。空は青く澄み渡っていてどこまでも綺麗だ。私は修道院に幼い頃からよく訪れていた。なので道順は知っていた。道行く人々がこちらをチラチラと見てくる。気にせずに足を動かすのだった。
夕方近くになりやっと修道院に着いた。昔から付き合いのあるシスターに会いたいと牧師様に頼んでみる。
牧師様は最初は驚いていたが。私が「叶わぬ恋に期待するのはもう疲れました」と言うと応接間に通してくれた。
「……すみません。ちょっとお待ちください」
「はい。いきなり押しかけてすみません」
「いえ。お嬢様に何かあったらお通しするように先代のシスターからも言われていましたので」
そう言うと牧師様は応接間から一旦出て行く。パタパタと走る音が聞こえてすぐにドアが開かれた。そこにはヴェールを被り修道女の制服を着た中年の女性がいた。目元には涙を浮かべている。
「……まあまあ。アンジェラ様ではありませんか。いかがなさいました?」
「……いきなり押しかけてすみません。お久しぶりです。シスター」
「あたくしの事はマナで構いません。こちらこそお久しぶりです。アンジェラ様」
シスターことマナ様は私の肩に手を置くとホロホロと涙を流した。
「……まさか、アンジェラ様がこんなに早くにこちらへお越しになるなんて」
「マナ様。私、シュナウザー様への気持ちにどうしてもけじめがつけられなくて。こんな弱い自分は修道女にでもなって神様にお仕えする方がいいと思いましたの」
「そうでしたか。ではお覚悟はあるのですね?」
「あります。どうか、マナ様。私にも神様に祈りを捧げる事をお許しくださいますか」
「あたくしにそれを決める権限はありません。決めるのは神そのものです」
マナ様は静かにけれどはっきりと言う。私は切なく締め付けてくる気持ちに蓋をした。マナ様に頷き、手を取って微笑んだのだった。
<父上、母上様。
お元気でしょうか?私は今日も修道院にて元気にしております。
シュナウザー様の事を思い出すと今でも胸がしくりと傷むし苦しくなります。けど自分で決めた事ですから。
お兄様もお元気でしょうか?今は父上様や母上様、お兄様の事だけが気掛かりです。
もう今は秋になりましたね。また、冬用にショールと手袋、帽子を編んでお贈りしますね。
それでは皆様方のご健康とご多幸を神様にお祈りしておきます。また、お会いできる事を楽しみにしております。
アンジェラより>
私は静かに羽根ペンを机に置いた。両親への手紙を書いていたところだった。私はふうと息をつく。
もう、今は秋になっている。初めてこの修道院に来てからもう一年が過ぎていた。両親は私が修道女になった事に落胆していたらしい。兄も秘かに悲しんでいたとメイドのレイラからの手紙にはあった。シュナウザー様からも手紙が届いていた。何でも兄が知らせたらしい。私が兄に託していた手紙を読んだとあった。
私は今更送られてもという気持ちもあったが。それでも目を通してみた。こう書いてあった。
<アンジェラ殿へ
君が俺に想いを寄せていたと聞かされた時は驚いた。まさかという気持ちだった。
兄のジェフリーは目に涙を浮かべながらも俺に君が託したという手紙をくれた。それを読んだ時は愕然とした。
まさか、こんな近くに一途に俺の事を好きでいてくれた人がいた事に。自分はとんでもないバカだと思う。
アンジェラ殿の気持ちに応えられなくてすまない。でももう既に時は遅いのはわかっている。
せめて君への誠意としてこの手紙を送った。謝ったって何にもならないが。君の健康と幸せを遠くから祈っている。
それでは。
シュナウザー・ルーナス>
手紙をそっと机に置く。私は鼻の奥がつんとなるのを押さえられなかった。ポロポロと涙が流れる。
「……シュナウザー様」
ポツリと名前を呟いた。その間も涙は流れ続ける。私はハンカチで目元を拭いながら窓の向こうの景色を見やった。ポツポツと雨が降り出した。その中で泣き続けたのだった。
-終わり-