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「まぁ、イブ。元気がなさそうね?どうしたの?」
子供たちを寝かしつけて、おばあ様がいつも以上に俯いているエヴァに気遣わしげに声を掛けた。
「おばあ様……」
「デデと何かあったの?」
そんなにわかりやすいだろうかとエヴァはうろたえる。
舞踏会でアンドレ王子になんと伝えようか、悩んでも悩んでもいい言葉を思い付かない。
本当の姿を受け入れてもらえるのか心配しかなかった。娼婦だと人々に侮蔑される自分が王子であるアンドレと一緒にいられるのか、ゆっくり話をする機会などあるのか、それも心配だった。
おばあ様にもこの悩みをなんと話したら良いのか……正直に話しても大丈夫だろうか?おばあ様にも言えないことならアンドレ王子には余計に無理だろう。
よし、とエヴァは顔を上げた。
「あの、今度舞踏会に出ないといけなくて。それで素のわたしの姿を見ても、アン、その、デデ様が、わたしのことをお嫌になってしまわないか……心配で……」
「まぁ舞踏会!素敵。イブが着飾ったところをわたくしも見てみたいわ!どんなドレスを着ていくの?」
「流行りとは違う、ふんわりとしたドレスにしようと思ってます。あまり露出のないデザインにしてもらって……」
「まぁ!せっかく若くて綺麗なのだからばばーん!と身体を出した方がいいのに」
エヴァならこんな意匠とかジュエリーとか、とブツブツとおばあ様が思案している。
「もう考えてもあれだわ、あれをあれしましょう!さあ行くわよイブ!」
「えぇ?おばあ様?」
年を取るとあれが増えるとは聞いたがもう少し説明を入れてくれないだろうか?
おばあ様に手を引かれて馬車へ乗り込む困惑顔のエヴァをシスターが愉しそうに見送った。
「どちらの仕立て屋かしら?」
「場所は知らないのですが、グリ・ガブリエルという仕立て屋です」
兄のサミュエルがいつも呼んでくれる仕立て屋だ。エヴァはドレスは殆ど持っていないので片手で足りる数しか注文したことがない。母の馴染みの店らしいのだが。
「グリのところね。注文したのは今朝?まだきっと間に合うわ、急ぎましょう」
街中をエヴァの乗った馬車が走る。エヴァは仕立て屋や宝石商が軒を連ねる華やかな通りに来るのは初めてだった。
お洒落なんて、と諦めていたが軒先のディスプレイの品々はどれもため息が出るほど美しい。ほぅ、と頬を染めてあちこちをキョロキョロとするエヴァをおばあ様が可愛くてたまらないといった微笑みで見守る。
「またゆっくり一緒に買い物に来ましょうねイブ。カフェでお喋りするのもいいわね」
「ほんとですか?おばあ様と一緒になら嬉しいです……わたし、こういうところに来たことがなくて」
超一流店とわかる立派な店構えの店舗が並ぶ広場に出るとおばあ様はここよ、とエヴァの手を引いて馬車を降りた。
大きくGGの組み合わせのモノグラムのロゴが目立つファサードを抜けると広いエントランスに出る。ピカピカに磨かれた黒い大理石のシンプルな店内は照明が効果的に配置されて厳かな雰囲気を醸し出している。外とは全くの異空間のよう。
受付らしき見目よい若い男性の店員がこちらに気付いてカウンターを出て寄ってくると予約の確認をする。
その様子に店舗の奥にいたベテラン風の男性が慌てて駆け寄ると若い店員を制しておばあ様とエヴァに丁重に挨拶をした。エスコートするように長い通路の奥へと誘う。
ラインの美しいドレスを着せられたトルソー、バッグや靴等の小物が飾られた棚に目を奪われながらエヴァはおばあ様とともに店員に付いて行った。
「あらあら、大奥様、ごきげんよろしゅうございます。突然いかがされました?お急ぎのドレスでも?」
笑顔で迎え出た、初老に差し掛かる上品なマダムはたしかに今朝エヴァのところにきた仕立て屋だ。
エヴァたちが通されたのは応接間だった。厳かなお店の奥にこんな普通の部屋があるのをエヴァは不思議に思った。
エヴァ曰く普通の部屋との応接間はとても豪奢な内装で広く、特別な客をもてなすための場所だ。深窓のお嬢様のエヴァはこういったことには全くの無知だった。
「突然ごめんなさいね、グリ。わたくしのではないのよ。今朝この子が注文したあれをね、ちょっと見せてもらえるかしら?」
グリがエヴァの顔を覗き込む。グリは仕事の性質上、ぱっと見よりもその奥の骨格で人を見分ける。
「まぁ、お嬢様、あれですね。仰せのままのデザインにいたしましたが、やはり提案を受け入れてくださるのかしら?だとしたらやりがいがあるわ」
グリは嬉しそうに両手を合わせた。朝とは違い瞳をきらきらと輝かせた満面の笑みは無邪気で、まるでお菓子を食べる子供たちのようだとエヴァは思った。
エヴァの言う通りに書き起こしたデザイン画をグリが広げる。今着ているグレーのワンピースを生地だけ絹にしたような、緩い身体を隠すラインのふんわりした薄琥珀のドレス。
その横のもう一枚のデザイン画はグリの提案のもの。
エヴァの細い腰を強調するようにウエストを絞ったドレスは上半身がベアトップになっておりエヴァの撫で肩と華奢な背中が丸出しになる。その代わりにドレスと同生地の二の腕まで覆う長い手袋を付ける。
エヴァの美しい背中から腰、ヒップの上半分までぴったりと身体のラインを出してその下は流れるように自然に広がっている。
エヴァの美しさを邪魔しないよう余計なフリルやレースを排除した張りのあるシルクサテンの艶めきのみの、シンプルで優雅なデザイン。
白い肌を際立たせる濃い紺色はエヴァのブロンドもよく映えるようにと計算し尽くされていた。
「あら、素敵じゃないこれ。やっぱりグリは天才ね。イブにぴったりよ。こちらの方がいいと思うわ?ねぇイブ?」
「でも、露出が……」
肩も背中も、胸も半分出てしまっている。この前のマーメイドラインのドレスよりもはるかに露出がすごい。
アンドレ王子に見られると思うと、は、恥ずかしい……。エヴァは真っ赤になって涙目だ。
「中途半端に隠した方が、色んな想像を掻き立てさせてしまうものですわ。誰も敵わないくらい堂々となさった方が美しさにもご身分にもふさわしい装いになります。巷の、どこのご令嬢も着ているこの前お作りになった、形だけ流行りを追ったようなドレスはとびきり美しいお嬢様には似合いません。無駄なデザインが野暮ったくて悪目立ちするだけです」
グリがにっこりと言い切った。
悪目立ち、という言葉にエヴァは帽子を被ったディラン王子を思い出した。合わない地味な服のせいで彼の美しい見た目が台無しどころか面白くなっていた。そういうことなのかも、と頷く。自分はこれまでずっと間違った格好をしていたのかもしれない。
「……これにします。わたし、誰にも文句言われないようにちゃんと綺麗になりたいです」
堂々と、王子であるアンドレの隣に並び立ちたい。
「そうよ!その意気よイブ!大好きなデデのハートを鷲掴みにしちゃいましょう」
おばあ様が両手を合わせて、目をきらきらとさせている。
「このドレスに、あぁグリ、カルロを呼びにやって。はすかいでしょう?ダイヤモンドのティアラとネックレス、それに耳飾り、ね。ダイヤモンドとプラチナを全部持ってくるように言ってちょうだい。真珠が入ってもいいわ」
グリが男性店員に目をやるとさっと部屋から出ていった。
待っている間にも生地の見本を比べたり、靴を色々合わせてみたりとグリもおばあ様も愉しそうだ。髪結い師も予約しておかなくちゃ、とおばあ様が言うとこんな感じにね、とグリが髪型までさらさらと絵に描いてくれた。
カルロもすぐにやって来てエヴァとおばあ様に恭しく挨拶をする。朝に来てくれた母のお気に入りの宝石商だ。
「イブはどんなのを選んだの?」
「ドレスのデザイン画に合わせてカルロにお任せしたのですけれど。たしかアクアマリンのチョーカーでしたわ」
「あぁ、イブの瞳の色ね。それもたしかにいいけれど」
カルロが頑丈そうなケースを次々と開ける。朝には色とりどりの宝飾品があったがおばあ様の注文通りプラチナと真珠とダイヤモンドだけが燦然と並んでいる。
カルロが変更になったデザイン画を確認してケースを吟味する。これとこれなど如何ですかな、とおばあ様に手渡した。
グリがエヴァの帽子を外すと光輝くブロンドが零れふわりと広がる。
おばあ様がダイヤモンドの煌めくティアラをエヴァの頭に乗せるとカルロや控えていた店員たちから感嘆のため息と拍手が起きた。
エヴァが不思議そうに首を傾げるとおばあ様が肩に手を掛ける。
「とても綺麗よイブ。ティアラを着けただけなのに、まるで美の女神の誕生に立ち会ったかのよう」
「……!」
驚いて焦り真っ赤になるエヴァに皆がさらに拍手する。
兄や両親からは美しいと言われていたが、家族以外には言われることがなかったためエヴァは「美しさ」には自信がなかった。
男女どちらにもエヴァは卑猥な存在として性的、または侮蔑の対象とされてきた。セクシーすぎるのだという自覚だけがあった。
このように美しさを賞賛されるのは初めてのことで戸惑いが隠せない。とても、嬉しい。
アンドレ王子もそう思ってくださるかしら、と呟くのをおばあ様が優しく見守っていたことに浮かれたエヴァは気付いていなかった。