7 André
アンドレ王子は不細工ではないがイケメンでもない。とても普通の中の中といったところか、と自覚している。
ルックスには全く自信がなかった。弟のディラン王子が稀に見る超絶美形なおかげで横に並ぶと、霞む。
だからといって卑屈でもなかった。世を見渡せばディランの方が珍しくアンドレは至って普通の男だったからそれが恋愛の支障になるとは露ほども思ってなかった。王に成る者としての風采を保てるくらいには堂々とした見た目でもある。
アンドレは上の上の基準が超絶美形のディランであるため少々イケメン基準が狂っている。アンドレの思うモテる、というのはディランのようにキャーキャーと女性に囲まれることであったので自身はモテていない、そう思い込んでいた。
アンドレのルックスへの評価は実のところ中の上、薄い顔が好みの女性であれば上の中くらいには良い容貌と周囲には認識されている。優しく穏やかな佇まいのアンドレ王子に憧れるご令嬢方もそれなりにいた。
弟は美形の両親の良いとこ取りで、アンドレは先代国王の祖父に似ていた。祖父は早くに、アンドレが生まれる前に亡くなったので会ったことはないが肖像画が残っているので顔は彼も知っている。
取り立ててイケメンではないが祖父にそっくりなおかげで、王太后である祖母にはとても可愛がられた。それが有り難かった。
そのお返しにと言うわけではないが、アンドレは大好きな祖母の建てた聖堂附属の孤児院にマメに通って運営の手伝いなどをしていた。地味な姿に扮したアンドレの素性を、シスターはきちんと隠してくれる。
四年前から、やはりアンドレのように身分を隠しているのだろう。ひとりのご令嬢が使用人のような出で立ちで孤児院に通うようになった。
優雅な所作や淑やかな佇まい。隠している素性をわざわざ暴くような不粋な真似をアンドレは好まない。
帽子の影になってあまり見えないが顔立ちが整っているのは遠目にもわかる。
子供たちに刺繍や手習いを教える彼女のほんわりとした様子やこっそりと盗み見た美しい文字、洗練された文章に、アンドレはときめいた。刺繍の腕も素晴らしかった。
子供の頭を優しく撫でる彼女のほっそりとした白い手に触れてみたい。いつも差し入れている手作りらしいお菓子をいつか自分も食べてみたい。一緒に。
アンドレが来るときには大体出会えることから、かなりマメに通っているのだろう。その真面目さにも好感を抱く。
アンドレはそろそろ妃を娶らなければならない年齢だった。有難いことにアンドレの意思を尊重されてはいるのだが、そのために頻繁に呼ばれる夜会などでアンドレの気に入る女性に出会うことはなかった。
第一王子という身分と肩書きだけですり寄ってくるご令嬢はたくさんいる。それにもアンドレはうんざりしていた。アンドレにおべっかを使いつつ目線は隣のディラン王子に釘付けというご令嬢が殆どなのには笑いが隠せない。
妃は選ばねばならないが、夜会などの公式の場で好感を持てる相手に出会えずアンドレ自身も困っていた。
夜会に出ては、もしかして孤児院に来る憧れのご令嬢、イブと呼ばれているのは耳敏く聞いていた、そのイブがいないかと探すのだが全く見つからない。
アンドレを可愛いがってくれる叔父に、普段社交に参加しない深窓のご令嬢方に招待状を出して夜会に来て貰うことはできないか、という我儘を言ってみると喜んで承諾してくれた。
今度こそ、と意気込んで夜会に赴いたがやはりイブはいない。これまで見たことのないご令嬢がちらほらとはいたが。
サミュエルの妹のエヴァにも初めて出会った。名前を訊いて、サミュエルの家のような高位貴族の令嬢でありながらこれまで存在すら知らなかったことには驚いたがその美しさにはもっと驚いた。
神話の美の女神が突然目の前に降臨したかのような衝撃だった。
白い肌と輝く黄金の髪が光を纏っている。薄暗い夜会の会場で、彼女の周りにだけ妖精が舞っているかの如く異彩を放ち周囲から浮き上がっていた。
弟のディランが商売女と聞いたと言っていたが、この国の人々には突然目の前に現れた異質すぎる存在を無理矢理理解の範囲のものに関連付けて自分を納得させる傾向があることを知っている。
彼らの中ではあれほどの、男の本能を揺さぶってくる美しさを持つと想像できるものが英傑などの伝説に付きまとう傾城と呼ばれる高級娼婦だったのだろう。飛び抜けた美しさへの妬みも当然あるに違いない。
下世話な貴婦人たちの侮蔑を優雅に微笑んで意に介さない様子や上品な立ち居振舞いに感心した。昨今流行のスリットから脚の出るドレスにハイヒールのせいでどこのご令嬢もフラフラとみっともない歩き方をしていたが、彼女の優雅な足取りにはつい見惚れてしまった。
庭に出るエヴァを追って出たディランの目付きがいつもと違ったのが心配でついて行って正解だった。
深窓のご令嬢なのだ、男性に免疫がないのだろう。男慣れしたすれた令嬢もわりといる中、ディランの手酷いおいたにか細い肩を震わせて泣く彼女の儚げな様子には守って差し上げねばという気持ちが込み上げる。
そういえば彼女もディランの見た目に惑わされていなかったな……。ディランを拒否して私の方がいいと言ってるなんて。あの女神が私に夢中だなんて、サミュエルになにか担がれているのだろうか。
あのように美しく立派な女性が……正直イブのことがなければ心を寄せていたかもしれない。
アンドレはエヴァのような絶世の美女に自身が好かれるなどと自惚れるようなことはない。自惚れるのが正解なのだとは知る由もないアンドレは、冷静なつもりで思考を巡らせていた。
エヴァであれば望む男性は思いのままであろうし、そういう男性がいなくてもサミュエルのところの家格であれば結婚の申込みも引く手あまただ。彼女には彼女を愛してくれる恋人がすぐにできるであろう、と。
やっと憧れのイブに近寄ることができたのだ。しかも彼女も満更ではない様子。
なんと言って私の本当の姿を知ってもらおう。彼女を妃に迎えたい。私との結婚には面倒な妃教育もある。受け入れてもらえるだろうか。それよりもまずは彼女とデートをしてみたい。抱き締めたいしキスもしたい。どんなところに連れて行ったら喜んで貰えるだろう?贈り物もしたい、あぁ、彼女の家はどこなのだろうか?彼女の両親に結婚の申込みもせねば。
アンドレはイブとのこれからを想像して、初めての恋に胸を弾ませていた。
憧れの清純な乙女のイブが女神の如く艶やかな美女、エヴァ嬢だとは気付きもせずに。