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「こら、そういうことを言ったら、イブおねぇちゃんがまた怖がるだろう?」
アンドレ王子が、さっきディラン王子に怒ったのとはまるで反対の、いつものふわんとした口調で子供たちを窘める。子供たちが顔を見合わせてくすくすと笑い出した。
「大丈夫よ。イブおねぇちゃんもデデお兄ちゃんのこといつも見てるもの。好きに決まってるわ」
「そうよ、イブおねぇちゃんはデデお兄ちゃんに会いたくてここに来てるのよ」
うわー!ばれてたのかー!だからって思いっきり本人にばらすなーっ!子供って率直だなーっ!
真っ赤になって固まるアンドレ王子とエヴァに、子供たちは「じゃああとはおわかいふたりで……」とどこかの世話焼きおばさんのように言い残して作業部屋を出て遊びに行った。
「あの、子供たちにばらされてしまいましたけど」
アンドレ王子がまだ赤い顔で照れながらも話し始めた。
「本当は私からちゃんと言いたかった。いつも子供たちに縫い物なんかを教えている優しそうな姿に素敵だな、と見惚れていたんです。あの、イブさんとお呼びしても?」
エヴァも林檎の頬のままこくこくと頷く。
「声が出ないわけではなさそうですが、無口でらっしゃるのかな?私と話すのはお嫌ですか?」
ふるふると頭を振るとアンドレ王子はほっとしたように微笑んだ。その笑顔が可愛くてエヴァはきゅんとした。
エヴァは近くにあったノートを掴んだ。筆談だ、と。
『変な声なので貴方に聞かれるのが恥ずかしいのです』
と書き綴るとアンドレ王子はさらに笑み崩れた。ふわんと垂れた目尻が可愛いすぎてエヴァはくらくらした。
「そのような理由だったのですね。嫌われてるのでなくて、良かった。いつか打ち解けたらでいいので貴方の声を聞かせてください」
なんと優しい物言いだろう!ここに通い始めて四年経つ。これまで全く話せたことがなかったのに、今日はまるで夢のようだとエヴァは感動していた。
昨日も今日も或る意味、ディラン王子のおかげなのかもしれない。
「イブさんは字もとても美しいですね。子供たちに字を教えているのを、実は拝見してました。筆談だけでもますます惚れてしまいそうです」
なんと優しい微笑みなのだろう。ほっこりしたりドキドキしたりと心臓が大変だ。わたしもアンドレ王子のことをますます好きになってしまいそう。
翌々日、エヴァはいつものように孤児院を訪れた。
落ち着いている院の様子に、アンドレはいないのかと少し落胆する。アンドレがいるときは扉をくぐるだけで明るい雰囲気がするのでわかる。
いつものお菓子を、アンドレにも食べてもらいたくて小分けして持って来ていた。残念だがこれはまた今度渡そう。
アンドレがいない日には、エヴァのお菓子を心待ちにする友人とよく出会える。
「いらっしゃいイブ、待ってたのよ。今日は何かしら?」
「おばあ様、今日はチェリーパイですよ。お好きですか?」
上品な老齢の、こちらも身分を隠して変装をしているご婦人はエヴァが来ると喜んで立ち上がって出迎えた。
「チェリーパイは普通かしら?でもイブが作るのはきっと大好きになるわ」
子供たちも嬉しそうに寄ってくる。丁度お茶の時間だ。
シスターと一緒にお茶の準備をすると年長の女の子が張り切っておばあ様のもとへと持って行く。
「まぁありがとう。いいこね」
おばあ様に撫でられると女の子は少し照れながら皆の分も並べて、自分も行儀よく椅子に座った。お祈りしてから各々エヴァのお菓子を手に取る。大人の一口大の、小さな円いパイだ。
「まぁ、クリームチーズが入ってるのね。チェリーの酸味にとても合って美味しいわ!」
おばあ様が感嘆の声を上げる。子供たちもきらきら満面の笑みで夢中で食べている。
「このお茶も素敵。レモン?ハーブティーかしら?」
「はい、メリッサです。庭で摘んできたばかりなのでレモンのようないい香りがしますよね」
「パイのバターの風味がさっぱりしてとても合うわ。さすがイブね!いつもありがとう。美味しくて幸せだわ」
ご婦人はエヴァににっこりと微笑む。
老齢とはいえ若い頃はさぞかし美しかったのがわかる華やかな目鼻立ち。髪は真っ白だが今でも豊かなのを綺麗に結わっている。
服装はエヴァと似たような淡いラベンダーグレーのワンピースに白いエプロン。頭にはやはりエヴァと同じくリネンの帽子を被っている。エヴァのよりは小さめで頭半分を隠す程度のデザインだ。
おばあ様は優しく朗らかな雰囲気で子供たちにとても好かれていた。上品な物腰のおばあ様がいるときには子供たちも彼女に倣うようにすんと上品に取り澄ましている。アンドレ王子がいるときは子供らしく喜びはしゃいでいるのにその様子の違いが可愛らしい。
おばあ様、とは子供たちが呼んでいるのだがエヴァにもそう呼んで欲しいと彼女自身が言ってくれたので失礼は承知で甘えている。
おばあ様はエヴァのことを「友達」と言ってくれる。エヴァにはこれがとても嬉しかった。引きこもっているエヴァには友達がいなかった。
エヴァの作るお菓子のファンを自称してくれてもいる。きっと舌の肥えた方に違いないのに趣味程度のお菓子を誉めてくれるのも嬉しい。エヴァはおばあ様が大好きだった。
「あら、イブ?その袋は?」
アンドレ王子にと包んだ紙袋をおばあ様が見つけた。
「あ、ええ、その」
「わかったー!デデお兄ちゃんのでしょう?」
「デデお兄ちゃんのだわ!!イブお姉ちゃんの大好きな!」
照れて言い淀んでいるうちに子供たちが率直さを発揮した。
ひょー大好きって!そうですけども!おばあ様もシスターもいらっしゃるのに!
おばあ様は目を見開いて、驚いたようにエヴァを見つめたあと心から嬉しそうに満面の笑みを見せた。
「まぁ!あらあらまあまあ!素敵なお話だわ!ここによく来る青年ね?イブの恋人なの?」
「まだ、違いますっ、あ、あの……彼のこと、ご存知なんですか?」
エヴァは真っ赤になっている顔を両手で覆いながらわたわたと挙動不審な動きをしていた。その様子を微笑ましそうにおばあ様が見守った。シスターも子供たちも笑顔だ。
「よくは知らないわ。でも彼のことが好きなのならわたくしにも協力させてね!何でも言ってちょうだいイブ。どんなところが好きなの?詳しく聞かせて?あぁーいくつになってもガールズトークは楽しいわね!ふふ」
おばあ様の目がきらきらと輝いていた。