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「失礼、通してください」


 圧迫感のあるドレスの囲いがふと開けたのを感じて、エヴァはぎゅっと閉じていた瞼を上げる。


 眼前にすっと差し出された、白い手袋を付けた手。

 見上げると、エヴァと同じ白銀の仮面をした男性。


 淡い茶色の髪、柔らかい頬の輪郭……。


「アン……、」



 いけない。名を呼ぼうとして、口を両手で押さえる。素性を秘すのが本日の演目でのルールだった。



「大丈夫ですか?」


 大好きな優しい声音に思わず涙がひとすじ溢れる。


「どこか痛む?立ち上がれるかな……」


「はい……大丈夫です」


「さぁ、お手をどうぞ」


 恋い焦がれた手を取ると、そっと背を支えて立ち上がらせてくれた。


「ありがとうございます……」


「どういたしまして。久しぶりだね」


 ハンカチを取り出し涙に濡れた頬をそうっと押さえてくれた。

 仮面の下の、その穏やかな笑顔が口元だけでも想像できる。



(アンドレ様……)


 自分をエヴァだと分かってくれたのが、嬉しい。


 蔦葉色(アイビー)の上着が爽やかで素敵だ。白銀の仮面から覗く瞳がいつものように優しい。そこには嫌悪感など、微塵もなさそうだ。


(なんだか……嫌われては、なさそうだわ)


 そう感じて安心するが、今は喜びに浸ってばかりもいられない。



 エヴァを囲う令嬢たちの外側には殿方たちも集まっていた。美女の手を取る青年が、どんな素性の人間だろうかと様子見している。


 上質な衣装に身を包んでいるが、特にこれといった特徴のない背格好。見知った貴族では、ないはずだ。

 青年の平凡そうな容姿を侮ったか、若い令嬢たちが再びひそひそと話し出す。


「やはり殿方の気を惹くのがお上手ね」「まさかこちらの若い青年のお()()の方かしら?」


 仮面と扇とで、顔を隠して嘲笑う令嬢たちを押し退けて男性陣が割り込む。


 囲いの、妙齢の貴婦人たちには一切目もくれず美女に近寄る男性陣に、先程の愉しそうな嘲笑から一転口元を歪める令嬢たち。仮面越しにもわかるほど憎々しげにエヴァを睨む。


「突然居なくなるから驚いたよお嬢さん(レディ)。君、僕のほうが先に彼女に声を掛けたんだ。そこを退いて貰えるかな?」


 この中でも少し年嵩の30代半ばの、豪華な衣装に身を包んだ自信家そうな青年が手を差し出す。他の男性たちも美女に取り入ろうと再び騒ぎ始めた。



 以前は遠慮のない色欲を向けられていた。蔑みを多分に含んだ誘いの言葉の、大半はエヴァには意味がわからなかったがそれでも傷付いた。


 比べれば今日の男性たちは丁寧で紳士的な口調。その熱視線は、色欲が全くないわけでもないがこの前の舞踏会のような、賛美の篭ったもの。

 対する女性たちの反応は以前より酷い。さすがに足を掛けられたのは初めてだ。


 エヴァは困惑して、恐ろしくて、思わずアンドレの胸に身を寄せる。


「大丈夫、エヴァ嬢。守るから」


 震えるエヴァの耳許で、アンドレが小声で囁く。優しく肩を抱き寄せてくれた。エヴァの顔はすでに真っ赤で、匂い立つ色香に男性陣が更に惚ける。

 貴族たちは怖いけどアンドレは素敵だし、とエヴァの感情は忙しない。







「まぁ、何があったのかしら?騒がしいこと」


 凛とした声が響く。

 どんなに騒がしくても人々の耳にすっと通る、威厳のある声。



 割れる人垣から、護衛を連れた男女が姿を現す。


 二人が通ると周りの者たちが次々に最敬礼の姿勢を取る。


 エヴァを囲み騒ぐ貴族たちも一斉にそちらを見やると、慌てて深く腰を落とした。


 艶々の白髪を豪華に結い上げ、ラベンダー色の上品なデイドレスと同色の仮面の老夫人。その後ろにはプラチナブロンドの、仮面では隠しきれない華やかさを放つ美貌の青年がいる。



 仮面など意味を成さない。社交に参加する貴族であれば誰もが知っている目立つ二人。



(あれは……ディラン王子殿下と、え?おばあ様?)




「みなさまごきげんよう。今日はこういった演目ですから、畏まらずに、どうぞお気楽になさって」


 にっこりと口の端を上げて、老夫人が背筋をピンと伸ばして優雅な足取りでこちらへとやって来る。


「一体何がございましたの?どなたか教えてくださるかしら」



 許可を得て姿勢を戻した貴族たちが、どうしたものかと顔を見合せている。



「……ひとの婚約者や恋人を……殿方を手当たり次第誘惑する女性が紛れ込んでおりまして」


 令嬢たちの誰かが悲しそうな様子で告げる。同情を誘うような物言いだが、きっと彼女にとっては真実なのだ。エヴァを囲う男性たちのなかに想い人がいたのだろう。


「えぇ、場に相応しくない方がいらしたので困って、みなさんでどうしましょうかと相談しておりました」

「そうだわ、衛兵を呼んで摘まみ出してもらいましょう」


 令嬢たちが、入口の衛兵の方へ向かおうとする。

 そのご令嬢たちを引き止めるように、男性たちが声を上げる。


「余りにも魅力的なご令嬢がいらしたので、私達が声を掛けたところこちらの青年が横入りしたんです」

「ご令嬢は私の手を取ろうとされていたのに、横取りとは紳士らしからぬ行為だと思われませんか?」

「いや、ご令嬢と話していたのは私です」


「まぁ困った殿方たちですこと。あのような女性は早く、追い出すべきですわ」

 男女入り乱れて、自分の意見を通そうとまたも騒ぎ立てる。


 しかもまるで味方が現れた、援護してもらえるとでも思っているかのような自分勝手さに、エヴァは理解が及ばずぽかんと口を開けていた。


 エヴァの率直すぎる表情が可愛らしくて、アンドレの口元が思わず弛む。


(……しかし、まともな状態には思えないな。エヴァ嬢の美しさは、仮面をしていてもここまで人を惑わせるものなのか……)






 アンドレは、劇場に足を踏み入れてすぐに、珍しい国の言葉に気が付いた。何かお困りのようだと察してそちらに向かうと、白銀の仮面の令嬢が先に助けに入るのが見える。



 あの豪奢な、光を纏う波打つ黄金の髪。


 小さな顎。白い肌。優雅な足取り。


 ひとり、幻想的な光を纏ったように輝いて周囲から浮き立って見える。仮面をしていてもすぐに、心を揺さぶり続けたエヴァ嬢だとわかる。


(海向こうの、カムリ王国語なんて普通は誰も知らないだろうに……)


 彼女の兄が、妃教育はすでに済ませてあると言っていたのを思い出す。


 目を離せずに見つめていると、今度は彼女が困った状態になっていた。

 男たちが、たっぷりの蜂蜜色の髪と透明感溢れる白い肌に吸い寄せられるように集まっている。仮面などでは全く隠せない、極上の美貌の持ち主は囲まれて怖い思いをしているだろう。急いで向かわねば。


 男たちが互いに争っているうちにエヴァはするりと逃げた。おっとりとしているのに、猫のようなしなやかな動きの意外さに目を瞠る。

 お次は女性たちに足を掛けられ囲まれた。性悪な笑みを浮かべた女性たちを押し退けて、やっとエヴァに手を差しのべる。


 エヴァを囲う人々の行いや発言は、気が触れたとしか思えない。

 その貴族たちの中にはアンドレが覚えている者も幾人かいる。普段は常識の範囲の振舞いの者たちだ。


 規格外の彼女の美しさが、腹の内を巧妙に隠す貴族たちの、仮面の下の常軌を逸した欲望や醜さを暴き出してしまうのか。


 エヴァほど美しい人を見たのはアンドレも初めてだった。色んな意味で人々の気を惹き、また惑わせ狂わせるのだろう。

 彼女の家族が、長年その存在すら隠していたのもこの状態を見れば頷ける。


(素直で純真な女性なのに。困っている人を放って置けない親切な性格でもある。こんなに震えて、可哀想に……)


 迫ってくる男たちから守るべく、エヴァの華奢な肩を抱き寄せる。

 そんなアンドレに気付いて、ほっとしたように自分を見上げるのが堪らなく愛らしい。仮面から僅かに見える淡い碧の瞳が潤んでまたも心を揺さぶる。




「あら、そんなところにいたのねデデ。こちらへいらっしゃいな。そろそろ開演でしょう?」


「はい、おばあ様」


 祖母が今気付いたわ、と嘯く。


「一緒に行こう。近い席だろうから」


「はい、ありがとうございます……」



 周りの貴族たちが、はたと騒ぐのをやめる。アンドレがエヴァの手を引いて、()()()のところへ行くのを静かに見守った。


 先程目の前で、男を誘惑する闖入者を庇い立て、美しい令嬢を横取りしようとした一見凡庸な青年を今一度じっくりと眺める。



 王太后が特別可愛がる、この国の第一王子の容姿を彼らがやっと思い出す頃、二人は大好きなおばあ様に両腕(かいな)を広げて出迎えられていた。



「まぁ、久しぶりね。会いたかったわ、わたくしの大切なお友達」


「おばあ様……」



 美女と青年の、揃いの白銀の仮面。合わせたように淡い緑色の上品なコーディネイト。

 その後ろ姿を見つめていた令嬢たちの一人が、震えながら声を上げる。



「……舞踏会のときの絶世の美姫?あの、噂の」

「シャロン公爵家の……アンドレ王子殿下とご婚約されるとかいう」


 貴族たちが、やっと正気に戻り働きはじめた頭で、事の次第に顔色を失くす。


 アンドレが彼らをゆっくりと振り返ると、崩れるように、床にひれ伏すように深くお辞儀をした。














「お咎めなしで、だなんてエヴァは優しすぎる」


「だって、あんなに汗をかいて床に頭が付かんばかりに平伏していたのですもの。お兄様が早く助けてくださればあんなことにならなかったのに」


「おや、私に助けられたほうが良かったのか?」


 にやにやとするサミュエルの腕を、真っ赤になったエヴァがぽかぽかと叩く。




 おばあ様に抱きしめられて、ほっとしていると兄が来てくれた。

 自分から離れた妹に気付いたサミュエルは、アンドレがいたからと見守っていたらしい。


 状況もよくわからずに無礼な貴族たちの処分を訊ねられ、怪我もないし大丈夫だから歌劇を楽しんでほしい、とその場を後にした。本当に開演間近だったのである。


 慌てて座席へと移動したのでおばあ様やアンドレとは何も話せなていない。


(終わったら、話せる時間があるかしら……)



 ボックス席の扉を係に開けてもらうと既に幕は上がっていた。なのに観客たちの視線がこちらに向いているのが感じられる。


 アンドレたちとは、席が近いせいで壁に阻まれ姿を見ることが出来ないが、王族の席と自分たちの席を交互に見るような好奇の視線が多数。


 第一王子の婚約の噂の真っ只中。皆、舞台よりも興味津々の様子。演劇は面白いが、現実の王子様の恋愛模様を眺める機会など貴族と言えどもそうあることではない。






 一方、噂の渦中の王子、アンドレもまた舞台に集中出来ずにいた。


 久しぶりに会ったエヴァに、またもときめく自身の心臓が喧しい。



 真っ白な肌が、頬が、真っ赤に染まって愛らしかった。


(しかし、なんだろう?見たことあるような……。いや、会ったことがあるから当然なのだが)


 柔らかくて華奢な手指。何よりも仮面の下に見える小さく整った鼻すじ、果実のような唇。



 この前の舞踏会、初めて会った夜会の時もだが、エヴァは目元が特に印象的だ。煌めく水宝玉(アクアマリン)の瞳もだが、長い睫毛や涙ぼくろが蠱惑的で目を離せなくなる。


 今日はそれらが、仮面で隠れていて俄然口元の美しさに惹き付けられた。



 そのせいでアンドレは、なにやら胸騒ぎのする既視感を覚える。


(あの、口元……真っ赤に染まる肌……似てる)



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