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エヴァは自宅に戻ると、頬が赤いことに気付いてにんまりしてる侍女たちを部屋から締め出した。
ベッドに入って幕を引くと枕を抱き締めてひたすらじたばたと悶え転げる。
(アンドレ様がプロボーズしてくださった……!ひゃああぁぁぁぁん)
間近に感じたアンドレの熱い吐息を、温かくて男らしい胸や腕を思い出しては悶える。照れて上気した真剣な顔はずっと傍で眺めていたいほど愛しく、美しく感じた。
アンドレが好きなのは、慎ましやかな見た目のイブなのだとわかってはいるがエヴァは大好きなアンドレからの求婚が、大好きなひととの抱擁が素直に嬉しくて全然興奮が冷めやらない。
見た目は偽って、というか隠しているだけなのだがそれ以外の振る舞いは普段のエヴァそのまま。エヴァのしていることや趣味をアンドレは肯定的に受け入れてくれる。
……あとは見た目だけ、ね。それがいちばんの問題なんだけど。
プロボーズの返事はゆっくり、きちんと考えてからでいいですよ、とアンドレはいつものようにまろやかな声で優しく言ってくれた。
馬に二人乗りして帰って来る途中も身体が密着して心臓が破裂しそうで大変だった。文官のような、特に鍛えてもなさそうな体型のアンドレがひょいと、いとも軽々と馬に乗せてくれるのにもときめく。
兄や父もいつも愛しそうにエヴァのことを抱き締めるがそれとは全然違う感覚に戸惑っていた。
送りがてら家の人に、両親に挨拶だけでもさせてもらえないだろうかとアンドレが申し出たが家に来られてはエヴァだとばれてしまう。迎えが来るからと孤児院まで送ってもらった。
『貴方のことをとてもお慕いしています。でももう少し、しっかりとお互いを知る時間をください』
そうノートに綴ると、アンドレは柔らかに微笑んで、愛してますと囁いて抱き締めてくれた。エヴァは幸せ過ぎて、このまま連れ去ってください、と告げたくなるふわふわと浮かれた気持ちを必死に抑えたのだった。
「兄さん、めちゃくちゃ格好いい!気合い入ってるね!」
舞踏会の会場である王宮のホールに来た兄に、第二王子が嬉しそうに駆け寄る。
昼休憩を終えて執務室に戻ろうとしたアンドレは、王妃のお付きの侍女たちに拉致された。母の部屋へと連行されて有無を言わせず全身磨かれて着飾られた。
注文した覚えのない新しい服を着せ込まれている。濃い紺色の天鵞絨に金の繍の美しい上下。淡い茶色のブーツはアンドレの髪と同じ色。
「母上に勝手にやられたんだ。気合い入れてないし格好いいだなんて、お前に言われてもなぁ」
アンドレは超絶美形の弟にしかめ面をして見せる。突然訳もわからずこんなにおめかしされてしまった鬱憤をディランにぶつけた。仕事も結局途中のままだ。
そんなことには構わずディランはきらきらとした憧れの目で大好きな兄を見つめていた。
すでに来場しているご令嬢方が、二人の王子を頬を染めて取り囲んでいる。いつもはディランにばかり集まる熱い視線が今日はアンドレにも注がれていた。
派手さはないが端正な見目のアンドレは着るものや髪型でイメージが全く変わる。いつもは無造作に伸びっぱなしの髪を切り揃えられて艶々にセットされ、アンドレ自身の淡い色合いがよく映える濃紺の天鵞絨の服を纏った姿は貴婦人方の溜息を誘うくらいには充分に麗しかった。
「全然別タイプのイケメンだもん!兄さんはちゃんとしたら格好いいって僕ずっと言ってるよね。やっぱり、あれなの?今日の噂本当なんだ……」
「噂?」
ディランの不思議な発言を問い質そうとしたアンドレの言葉は、会場のざわめきに流された。周囲の人々が入口の方を見やる。
そこには光の精霊を従えた女神が降臨していた。
濃い紺色の艶やかなドレスは裾広がりでシンプルなデザインだが細い腰のくびれと豊かな胸を優美に際立たせている。
薄暗いシャンデリアの照明の中で白い肌と金色の髪が烟るようにほんわりと光る。
ハーフアップに結い上げた髪に無数のローズカットのダイヤモンドが煌めくティアラを着け、長いウェーブした豪奢なブロンドは背中に流れていた。
小さな白い顔、柔らかな桃のような頬。揺蕩う、澄んだ湖のような淡い水宝玉の瞳とぷるりとさくらんぼのような唇には慈愛の笑みを湛えている。
水宝玉が辺りを見回すと、その目元の蠱惑的な涙ほくろに惹き付けられて人々はその美貌から目を離すことができなかった。
シャロン公爵嫡男、サミュエルにエスコートされてホールに入って来た令嬢の品格のある妖艶さに誰もが感嘆の声を洩らす。魂を抜かれたかのように硬直する者もいた。
数拍後にようやく人々は言葉を取り戻した。
「なんと美しいお方でしょう……!」
「女神?妖精の女王?」
「シャロン様の恋人かしら?婚約者はまだおりませんでしたよね?」
「あれじゃない?あの方が噂の……」
騒がしい場内に、いつの間にか現れた国王と王妃に人々ははっと慌てて丁重に深々とお辞儀をした。国王がすっと右手を上げると宮廷楽団が音楽を奏で始める。
サミュエルが美しいご令嬢の手を引いて第一王子の前に進み出た。
アンドレ王子が頷いて手を差し出す。はにかんだ様子で、でも花のような笑顔を綻ばせて女神がアンドレの手に自身のそれを重ねた。
最初のふたりのダンスが始まるのを会場の全ての人々、貴族だけでなく衛兵や侍従たちもが固唾を呑んで見守る。
辺りを不思議そうに、まるで初めて舞い降りた地上を興味深く見回す女神のような美しい女性は、アンドレ王子と目を合わせると水宝玉の瞳をとろんと一層潤ませた。もう他の何物もその瞳には映らない、といった眼差しで第一王子だけを見つめる。
アンドレが楽団に視線をやると曲が始まった。
美しい令嬢と、今宵は殊の外麗しい姿の王子との優雅なステップに人々は息を潜めて魅入る。
ふたりの姿に見惚れて他の誰もダンスを始めようとはしなかった。
今夜も入口をくぐると同時に人々の視線を集めたのは感じたがそれに込められた感情はいつもと全然違った。
これまでのような侮蔑の言葉も聞こえてこない。グリの言った通りなのだろうか。卑屈さを棄てて堂々と着飾るだけで、自分にきちんと似合うものを着るだけでこうも反応が違うなんて。
うっとりと自分を見つめる人々にエヴァは少し戸惑っていた。
その当惑もアンドレの姿を見つけると吹っ飛ぶ。
アンドレの優雅なエスコートでホールの中央に出ると心の中は愛しの王子でいっぱいになった。
(アンドレ様と手を取り合って、堂々と人前で踊っているなんて信じられないわ。それにしてもアンドレ様の麗しいこと。いつもぽんやりと気さくに話してくださるけど、本当に本物の王子様なのだわ)
手袋越しのアンドレの手、腰に回す、細いのに力強い腕の感触。
家族や教師以外の殿方と、人前で踊るのは初めてだがアンドレのリードに身を委ねると自身がまるで風の精霊にでも成ったかのように軽やかに踊れた。
練習中はつい俯いて教師によく怒られていたがアンドレの端正な顔を目に焼き付けたくて、顔をしっかりと上げて見つめた。
アンドレは約束通りエヴァの、最初のダンスの相手をしたもののその心はエヴァのあまりの美しさに動揺していた。そのせいで女性の容姿を褒める、というマナーをすっかりと忘れていたことをやっと思い出す。
「……エヴァ嬢、今宵はこの前お会いしたときにも増してお美しいですね。会場の皆は女神のような貴女にすっかり虜のようですよ」
「アンドレ様……アンドレ様にお会いできるのが嬉しくて、頑張っておしゃれしてきました」
王子であるアンドレに話し掛けられてようやくエヴァもアンドレと話すことが出来た。
「アンドレ様と踊ることができて夢みたいです。ありがとうございます」
照れて真っ赤になった頬と、うっとり潤んで自分を見つめる淡い水色の瞳にアンドレは釘付けになる。
艶々の淡いピンクの唇から洩れ出る、自分の名を呼ぶ声のなんと愛らしいことか。
ちらりとのぞくピンクの舌に惑わされて今すぐにでも口付けてしまいたい衝動を懸命に堪えた。
腰に回した手は、他の貴婦人たちのような硬いコルセットではなく女性らしい肉感的な柔らかさに、そのあまりの細さに打ち震える。
張りのあるシルクサテンから溢れ出る豊かな白い胸はまろやかで、その谷間に顔を埋めたらどんなに癒されるだろうかと想像しないのは無理なことだった。
安心して身を任せて軽やかにくるくると廻るエヴァが可愛くてアンドレは酔いしれたように夢中で踊り続ける。
最初の一曲が終わっても、頬を上気させて熱い吐息を洩らす甘美なまでに愛らしいエヴァを手放せなくて、そのまま二曲目を踊った。
曲が終わっても王子が自分の手を離さないとわかるとエヴァは幸せそうに微笑む。その笑顔の可憐さにアンドレは蕩けそうだった。
陶然と互いを見つめあって踊り続ける佳麗なふたりを周囲もうっとりと見守っていたが、三曲目が終わると立ち上がった国王からの拍手に宮廷楽団は次の曲を奏でる手を止めた。
はっと我に返った会場全体から割れんばかりの拍手が沸き起こる。貴族たちが口々にふたりのダンスを、美しさを褒め称えた。
中央で拍手と称賛を浴びるふたりは一度見つめあってから、手を取り合ったまま周囲に華麗にお辞儀をすると隅の方へとはけて行った。再び国王の合図で次の曲が始まると招かれた貴族たちが思い思いに踊り出した。
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