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「こんにちはイブさん、おばあ様」




 広場で待っている馬車へ戻るとその横に馬を連れたアンドレ王子がいた。


 いつもの地味なお忍び姿だが余程急いで来たのか、上等な馬具を着けた美しい馬を連れている。傍目には王子様の馬番をする侍従のようだがエヴァの目にはこの上なく素敵な王子様だ。



「あらあら、デデ。久しぶりねぇ。こんな時間にどうしたのかしら。今日は仕事じゃないの?」


「早く終わらせたのですよ」


 イブに会いたくて、とは口には出さなかったがおばあ様がにんまりとしているのが居心地が悪いのか、アンドレの柔和な顔が少しむくれている。



「孤児院に行ったらシスターにおそらくこちらだと聞いて探しに来たのです。お買い物ですか?おばあ様とイブさんはずいぶんと仲がよいのですね?」


 エヴァはまさか孤児院以外の場所で、街中でアンドレ王子に出会えるなんて夢みたい、と感激の真っ最中。


「あらあらわたくしにやきもち焼いてないで自分でデートに誘いなさいな。じゃあ、邪魔者は退散しようかしらね。あぁ、デデこれ」


 おばあ様がアンドレに包みを渡す。エヴァがあっと小さく叫ぶ。


「え?何ですか?」


「イブの手作りお菓子。今日はキャロットケーキよ。普通クリームチーズのトッピングなのにイブのはレモンクリームなの。爽やかでとても美味しかったわ」


 アンドレ王子がエヴァの方を向いて顔をぱっと輝かせた。



 一昨日会えたばかりなので、今日はきっと来ないと思ったが一応アンドレ用にとお菓子の小分けを用意していたものをおばあ様にこっそり渡していたのだ。小分け分は子供たちにあげるには数が足りなくて取り合いになる。



 王子という身分の人が素人の手作りお菓子など食べられるだろうか?なんと言って渡そうかと悩んでいたものを、おばあ様は軽々と渡してくださる。エヴァは心の中で目一杯感謝した。



 デデとは筆談をしているのだとおばあ様にも伝えてあったので無口になったエヴァにウインクするとおばあ様は馬車に乗って手を振りながら去っていった。




 おばあ様の馬車へ膝を折って丁寧にお辞儀をするエヴァをアンドレはなんと優雅なのだろう、と目を細めて見守る。





「イブさん、あの、ちょうどお腹空いてて。これをすぐに頂いても?」


 すぐに食べてくださるなんて嬉しい!こくりと頷くとアンドレはエヴァに腕を差し出した。


「馬を連れているので手が塞がってて。腕を組んでくれますか?」


 アンドレ王子と腕を組んで街中を歩くなんて、デートみたい。エヴァはすでに夢見心地だ。


「すぐそこの小城公園に行きましょう」




 公園でアンドレはベンチにハンカチを敷いてエヴァを座らせた。馬を近くの木に繋ぐと少し待っててくださいね、と足早にカフェに向かう。



 アンドレを待っている間、初めて来た公園をエヴァはゆっくりと見渡した。ゆったりとカーブを描く小路にベンチが並んでいる。芝生の広場には様々な服装の人々が思い思いの格好で寛いでいた。


 路の奥は緑が鬱蒼としている。池があるのか緑の隙間からきらきらと水面(みなも)が輝くのが見えた。


 優美な鉄の飾りの街灯は夜にはガス灯が点くのだろう。影が深くならない程度に小路に沿って常緑の木々が並んでいる。



 公園の中にあるオープンカフェでお茶を買ってくるとアンドレはエヴァの隣に座った。熱いので気をつけて、とお茶をエヴァに渡す。



 馬が豪華なのを除けば二人の様子は高級使用人のカップルに見えた。庶民から貴族まで様々な人に利用される公園にも溶け込んでいる。


 自分も、普通の見た目であったならこんな風に日常を過ごせたのだろうか、とエヴァにとっては非日常の初めての公園に、アンドレと一緒に来れたことが嬉しすぎて踊り出したい気分だった。




「急いで仕事を終わらせて良かった。まさかイブさんとデート出来るなんて」


 なんて幸せなんだろう、とアンドレがエヴァの方を向いて言うとエヴァの頬は今日何度目かの林檎になった。


『わたしもとても幸せです』とノートに書き記す。


「おばあ様と仲がよいのですね?」


『おばあ様は買い物に付き合ってくださったのです。街へのお出かけは初めてです。この公園も初めてで、デデ様と来れてとても嬉しいです』


 おばあ様はやきもちだと言っていた。妬いてくれるとか、嬉しすぎる。


 妬いてもいたがおばあ様が要らぬ節介を焼いてそうなのがアンドレには気掛かりだった。

 それでもエヴァの美しい文字を見るとほんのちょっぴりむくれていた顔がふにゃりと崩れる。


「公園に来るのも初めてですか?初めてを私と過ごしてくれるなんて嬉しいな」




 アンドレがお菓子の包みを丁寧に開ける。お祈りをしてから、小さなカップケーキの形をしたキャロットケーキが幾つか入っているのを大事そうにひとつ取る。


「手作りお菓子、ずっと食べてみたいなと憧れてたのです。子供の食べやすいサイズなんですね。なんと可愛らしいケーキなんだろう。イブさんらしい優しい工夫が素敵です」


 エヴァが不安そうに見守る中、いただきますとパクリと一口食べると目尻を思いっきり下げて幸せそうにもぐもぐする。



「美味しい!爽やかな風味ですね。人参は余り好きではないけど、このケーキは大好きです」


 アンドレは食べ終わると同時にもうひとつケーキを摘まみ上げて、はっとエヴァの方を見る。


「…だめだ、大切にいただきたいのに美味しすぎて一瞬でなくなりそう」



 実は人参が苦手だとか子供みたいで可愛い!美味しいだなんて嬉しい……!

 アンドレには貴族の令嬢が料理することへの偏見がないとわかったのにもほっとした。自分が肯定されたような、誇らしい気分。



『人参もわたしが育てたものなのです。人参は嫌いなのですね?好きな食べ物はなんですか?』


「人参もイブさんが?庭仕事を趣味で?充実してますね!すごい……人参、嫌いなわけではありません。あの、付け合わせのごろっとした甘い人参がちょっと……イブさんの作った人参ならきっと美味しいに決まってます。好きな食べ物、なんだろう?卵かな?卵料理が好きですね」


 アンドレが、エヴァの書き込みに次々と返事をするのをこくこくと相槌を打ちながらペンを走らせる。子供のようにちょっとむくれて言い訳するのがまたも可愛らしくて堪らない。


 美味しいものをたくさん食べているはずの人が、卵が好きだなんて。エヴァはくすりと笑った。卵料理で持ち運べるもの、なにがあるだろう?



『キッシュはお好きですか?』


「キッシュ、大好きです。チーズが多目の、ベーコンの入ったのは特に。もしかして作ってくださるんですか?だとしたら嬉しいな」


 エヴァはちらりとアンドレを見上げるとこくりと頷いた。


「やった!約束ですよ!」



 アンドレが手を差し出すとエヴァは自分の両手を乗せた。アンドレ王子が白くてすべすべの手を、愛おしいとばかりに撫でたり優しく握ったりする。


 アンドレの、細いのに男らしく筋や血管の目立つ手が格好良くて、その温かな感触も気持ちがよくエヴァもうっとりとした。



「次は、私とデートしてください。また、ちゃんと約束をしたデートを。その時に作って来てくれませんか?」


 デートの言葉に、エヴァの頬がまたも真っ赤になるのがアンドレにもわかった。エヴァの白い肌は、白粉(おしろい)を塗りたくっていても感情を隠すことが出来ない。


 驚いて返事が出来ないようだが拒否ではなさそうだ。



 昨今は王子相手に恋の駆け引きを仕掛けてくるようなご令嬢だっているのに、なんと清純なんだろう。デートに誘っただけなのに林檎のように真っ赤になったエヴァにアンドレの方がさらにときめいてしまっていた。



「イブさんの行きたいところに行きましょう?これから、ふたりでいろんなところに出掛けましょうね」



 こんな街中の普通の公園が初めてだなんて何か事情があるに違いない、アンドレはそう思っても言葉には出さなかった。これから自分があちこち連れて行ってあげたい、初めての場所に連れて行って喜ばせたいという気持ちの方が大きい。



「どこがいいかなぁ?庭仕事がお好きだったら……最近郊外にできた植物園をご存知ですか?あそこはまだ行列が大変かな。ケーキの美味しいカフェ、うーん。ちょっと頑張ってアヌシー湖まで二人で遠乗りするのもいいですね」




 今はアンドレが両手をしっかりと握っているので筆談の為のペンを取れない。エヴァはこくこくと頷くばかりだがその様子がアンドレにはとても愛らしく映った。



「イブさん、あの、もう少し……近寄ってもいいですか?」


 エヴァはぽーっと浮かれて、からくり人形のようにこくこくと頷いてからパッと顔を上げた。えっ?と驚き恥じらっている。




 エヴァの淡い水色の瞳がアンドレの視界にくっきりと映りこんだ。



 エヴァは目が合ったことにびくりとしてすぐに俯く。


 淡い金色の睫毛がほんのり紅くなった目尻に向かって流れるように長く、恥じらいに潤み揺れる瞳に心を掴まれる。





 たまにちらちらと見えてはいたがこんなに近くで瞳を見たのは初めてだ、とアンドレは思った。




「やっと、ちゃんと見れました……。なんて綺麗な瞳だろう……まるで澄んだ湖を閉じ込めた宝石?あぁ、水宝玉(アクアマリン)みたいだ」



 アンドレは堪らずエヴァの肩にそっと手を掛けた。


 またもびくりとはしたが拒否ではないと示すようにエヴァもアンドレの方に身体を寄せた。


 そっとエヴァの背中に優しく腕を回すと互いの鼓動が感じられた。



 アンドレは心を落ち着けるかの如く深く息を吐く。


 それでも心臓の高鳴りは激しくなるばかりだ。





「好きです。イブさん」



 わたしもです、アンドレ様!大好きです!と心で叫びながらエヴァはアンドレの胸に手を置いた。アンドレがどきどきしているのが、わかる。自分と同じで嬉しい。



(でも、わたしはズルしてる……今はまだ、舞踏会までは、イブの姿のままでアンドレ様にこうして優しくされたい。そのくらいは許して……もらえるかな……)




 エヴァは思いきって、甘えるようにアンドレの肩に頭を預けた。

 エヴァの、帽子(シャプロン)をきっちりと被った頭にアンドレが手を添える。エヴァは自分からくっついたのに、大好きなアンドレの腕のうちにいるという事実に恥ずかしくて顔から火が出そうなほど熱くなった。





 自分の腕の中に素直に抱擁されている姿に、アンドレはエヴァのことが愛しくて愛しくて、堪らない。花のような甘い香りに眩暈を覚える。


 初めて触れるイブの身体は、ゆったりとしたワンピースの上から推し測るよりも遥かに華奢だった。


 このひとを守りたい、ずっと大切にしたい。




「ずっと、こうして抱き締めたいと思ってました。夢を見てるようだ……」


 肩に寄りかかるエヴァの頬にアンドレが手をあてる。




「あなたを妻に迎えたい。大切に、幸せにします。私と結婚してくれませんか?」




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