第3話
極東地域におけるソ連軍の動きは、当然日本の自衛隊にも捕捉されていた。
戦闘機や爆撃機が航空基地を移動し、ウラジオストクを拠点とし空母「アドミラル・クズネツォフ」を主力としたソ連太平洋艦隊の動きも活発だった。夥しい数の輸送機からも空挺部隊も移動している可能性もあり、ウラジオストクの軍港にも多方面からの輸送艦や強襲揚陸艦も集まってきている。
モスクワからの公式発表では北方領土における大規模な軍事演習で、その目的は択捉島と国後島の防衛で、現地に所在する第18機関銃・砲兵師団を中心に、陸軍と海軍、空軍が参加する統合演習だという。
軍事演習の内容は第18機関銃・砲兵師団と本土から増強された自動車化狙撃旅団が防衛する択捉島と国後島に米海兵隊に見立てた海軍歩兵と空挺師団がソ連太平洋艦隊と空軍の援護を受けて攻撃するというものだったが、ソ連軍の異常ともいえる規模に演習以外の目的があるのではないかと推測された。最悪の場合、日本に対する軍事侵攻の可能性も考えられた。
青森県三沢の航空自衛隊北部航空方面隊(北空)司令部は三沢と千歳の航空隊に連携した警戒を命じ、待機する戦闘機に燃料と弾薬も満載された。基地防空隊にも地対空誘導弾やVADS(機関砲)にも配員し、実弾が配られた。
極東におけるソ連軍の動きについて、自衛隊からの報告を受けても日本政府はまったく関心を示さず、永田町や霞ヶ関からは「下手にソ連を刺激するな」と言われた。挑発行為をしているのは明らかにソ連側だが、「相手を刺激するな」という理解不能な指示は総理官邸から出されたという。その指示が総理自身からか官房長官かかなのかは分からない。
1976年(昭和51年)にべレンコ中尉の操縦するソ連の最新鋭戦闘機MiG25がアメリカへ亡命する途中、函館空港へ強行着陸した「ミグ25事件(ベレンコ中尉亡命事件)」の時も、当時の政権はソ連を刺激するなと指示を出し、事件後事態に対処した自衛隊に対して同事件に関する記録を全て破棄するよう指示した。
アメリカなどの他国と違い、日本の政治家のほとんどが軍事に対して無知で、軍事的な常識が通用しないから自衛隊に対しても明確な指示が出せなかった。
北海道と東北の現場の指揮官達は内局からのお叱りに対して「分かりました。以後気をつけます」と頭を下げたが、既に腹をくくる覚悟を決めていたので、部下たちに対して「全ての責任は俺が取る」と言い、ソ連への警戒を一層に強めた。彼らが自衛隊に入隊したのは国防のためであり、くだらない保身や立身のためではない。
航空自衛隊だけではなく、陸上自衛隊の北部方面隊も「演習」の名目で戦時体制に準ずる武装で待機させた。東北で本土の守りを固める青森の第9師団も同じだった。