第99話
遅れました、ごめんなさい。
大陸西方に位置する帝国。
他に類を見ないほどの栄華は、かの国が保持する魔導技術によって支えられていると言われている。これまでの人々が想像もできなかった、便利な暮らし。それを実現する技術を手にした帝国が、瞬く間に繁栄したのは納得できることだろう。
帝国によってもたらされた、文明の利器。その象徴とも言うべきものが、この魔導列車だった。
『――間もなく、アラハド共和国へ入国します。身分証の確認をするため、一時停車いたします。乗客の皆様は、身分証の準備をしてお待ちください』
列車の天井に備えられたスピーカーから、乗組員のアナウンスが聞こえてくる。
このスピーカーもまた、帝国製品の一つ。これ以外にも、列車内の温度を整える空調設備、乗客の食事を保管する保蔵庫、無聊を慰めるための映像機器など、全てが帝国で開発された品物だ。例えその一つだけであっても、国が過去に例を見ないほど繁栄するのは、容易に想像できる。それを、帝国は短期間で幾つもの新製品を世に送り出してきたのだ。
(帝国が栄えているのも、納得だな)
大陸の東西を横断する鉄道だからだろうか。この列車の乗客は、割高な運賃に合わず、かなり多い。
いつになく賑やかな列車の一角に、その青年はいた。
この列車の終着点たるアラハド共和国人や、更にその東方の地域で多く見られる、墨のような黒目黒髪。その表情はむっつりとして無愛想なものの、顔立ち自体はそこそこ整っている。もっとも、一番見る者の目を惹くのは、彼が全身の各所を包帯で覆っていることだろう。ミイラとまでは言わないものの、見た者が思わずギョッとしてしまう程度に痛々しい姿だ。
「ヤマト、身分証を用意してだって。聞いてた?」
「む? あぁ、無論だ」
黒髪の青年――ヤマトに声をかけたのは、その隣の席に腰掛けていた少女だ。
紺色の髪と目を持ったその少女は、すれ違った者が思わず振り返ってしまいたくなるような美貌の持ち主。世が世ならば、傾城の呼び声と共に崇められそうなほどの美少女だ。そんな少女だが、その身を包んでいるのは年頃の少年のような装い。ズボンにシャツという程度の軽い服装ながら、それでも美貌が損なわれていないのは流石と言うべきか。
そんな、少女にしか見えない少年――ノアは、自分の荷物鞄から身分証を取り出し、ひらひらと揺らしている。
「ならよかった。ここ最近は身分証もほとんど使ってなかったからね」
「入国審査をやる国自体が、帝国と共和国くらいしかないからな」
大陸西方で覇を唱える帝国。他のどんな国にも追随を許さない文明を誇る帝国では、出入国の際には身元調査が行われている。国内へ不穏分子を招き入れないことと、国外へ不利益な行為を目論む輩を出さないためだ。いずれも、帝国の治安維持のために行われており、実際にそれは機能している。
対して、大陸東方に位置するアラハド共和国。様々な民族が対帝国の名の下で結集して生まれたその国でも、一応の身元調査が行われている。もっとも、こちらは治安維持という目的よりも、帝国に劣るまいとする意地を張った側面の方が強いだろうが。
そんなことを考えながら、ヤマトも自分の鞄から身分証を取り出す。
それぞれが自分の身分証を手にしたヤマトとノアに対して、彼らの対面に座っていた少女が首を傾げた。
「む? 身分証?」
「あぁ、レレイは初めて見るか」
レレイと呼ばれた少女は、いかにも南国の少女といった佇まいをしている。日に焼けて健康的な小麦色の肌に、細いながらも力強さが感じられる身体つき。ヤマトと似てむっつりとした言動をしているものの、その目の奥に宿る光からは、天真爛漫という言葉がよく似合う活発さを感じられる。
そんなレレイの前へ、ノアは自分の鞄から新しいカードを取り出す。
「はいこれ。これがレレイの身分証ね」
「うむ?」
よく分かっていない表情ながらも、レレイは差し出されたカードを受け取る。
ヤマトとノアも――冒険者として活動する者ならば誰もが持っている、身分証。冒険者ギルド製の印が押された以外は、名前と年齢が書いてある程度の簡単な代物だ。
「これが……」
「アルスに着港したときに、ちょっと作っといたんだ。必要になったら渡せばいいかなって感じで」
「うむ、感謝するぞ」
海洋諸国アルス――大陸南端に位置する商業国の、更に南方の海を越えた先にある、ザザの島。そこが、つい先日までレレイが暮らしていた場所だ。大陸の文明とはおよそ関係のない辺境の島で育ったレレイにとっては、こうした身分証さえも目新しいものに思えるのだろう。
凛々しいながらも幼さを感じさせる顔で、レレイは自分の身分証を見つめている。
「まあそんな使う場面は多くないけど。そのまま持っておく?」
「うむ、そうだな」
ノアの問いかけに、レレイは曖昧な返事をする。
自身が大陸の人間だと証明する紙面に、少し思うところがあるのだろう。子供が、大人の仲間入りを果たしたと実感するようなものだろうか。
そうして放心状態になっているレレイを余所に、ヤマトとノアは互いの顔を見合わせて、苦笑いをする。
「ヒカルとリーシャも、身分証は持っているよね?」
「あぁ、無論だ。こちらは教会製のものらしいがな」
ノアの声掛けに応じたのは、客層豊富な列車内でもかなり浮いた外見の人物だ。
何が浮いているかと言えば、その装いだ。前時代的な鎧兜で完全武装したその姿は、正しくこれから戦地へ赴く騎士といった風情。表情どころか声すらも定かではなく、男女の判別すら困難。その足元には、普段は腰から下げられている綺羅びやかな剣が立て掛けられている。
そんな、十人見れば十人が不審者と判断する人物だが、それでもこの列車に乗れていることには理由がある。すなわち、彼女――ヒカルは、大陸各地で信仰される太陽教会が所有する、いわゆる勇者という存在だからだ。幾ら怪しげな外見をしていようとも、その正体は救世の勇者。とあれば、一応の身元確認さえできれば、あとはどんな格好をしていようとも不干渉で済まされる。
ヤマトたちが腰掛けるボックス席の、すぐ隣のボックス席。そこに腰掛けたヒカルは、手にしているカードをひらひらと振ってみせる。そちらもヤマトたちが持っているものと変わらず、かなり簡単な作りになっているようだ。
「聖地で教皇様だけが使われる、聖印が押されていますから。身分証としては、この上ないものかと」
「へぇ、聖印か」
ヒカルの対面に座っていた女性が説明する。
彼女――リーシャも、ノアに負けず劣らずの淡麗な顔立ちをしている。金色に輝く髪と目に、騎士然とした凛々しい表情。決して険しいわけではなく、固い表情ながらもどこか慈しみの色を感じることができる。そんな彼女が身にまとっているのは、橙色の神官服と、その上から急所を守る鋼鉄の武具だ。全身甲冑のヒカルほどではないにせよ、いかにも騎士らしさが溢れるその佇まいは、ヤマトたちの格好と比べると、どことなく古臭さも感じられる。
そんな、明らかに尋常ならざる格好をしたヒカルとリーシャが座るボックス席へは、列車の乗客たちも目を向けないようにしているらしい。彼女たちと親しげにしているヤマトたちの方へ、奇異の視線が集中しているように思える。
(気にしても仕方ないことか)
そう思いながらも、やはり珍獣扱いされているようで、ヤマトは居心地が悪い。
思わず自分の腰元に手を伸ばして、触れ慣れた感覚が返ってこないことに一瞬驚き、そのまま苦笑する。
(そうか。もうないのだったな)
故郷から飛び出して以来、ヤマトの旅路を様々に助けてくれた愛刀。
それが失われたことを改めて実感して、少ししんみりとした気分になる。
そんなヤマトの様子を余所に、通路を挟んでノアとリーシャの会話は続いている。
「でも、まだ聖印って機能しているの?」
「あぁ。まぁ、今のところは大丈夫じゃないかしら」
ノアの懸念は、ヤマトとしても気になるところだ。
ヤマトたちがこの列車に乗る数日前。太陽教会の総本山たる聖地ウルハラへ、魔王軍の刺客と思しき連中が現れ、抵抗を許さないままに蹂躪していった。幸いにも教皇を始めとする重要人物は無事だったものの、聖地の大聖堂は崩壊し、聖地としての機能も多くが失われてしまった。ヒカルたちの身分証を発行する際に使われた聖印も、その襲撃事件で失われたものの一つだ。
襲撃が行われたその場面に、ヤマトたちも居合わせており、様々な衝撃的事件に直面したのだ。ヤマトの愛刀が失われたのも、ここでの出来事と関連している。
「ただ、近い内に新しいものを調達する必要はありそうね」
「冒険者のとか?」
「えぇ。下手に帝国製や共和国製の身分証を作ると、後が大変そうだし。きっと、冒険者ギルドに依頼することになるわね」
教皇が存命とは言え、身分証発行の際に欠かせない聖印は紛失してしまった。そんな現状では、既存の教会製身分証の正当性も疑われるというものだった。
ヤマトからすれば、正直冒険者ギルドが作る身分証など、ただの自己紹介カードの範疇を出ない程度のものなのだが。それでも、いざというときにギルドへ連絡できるということで、一つ安心材料にはなるのだろうか。
そんな話をしている間に、列車内を乗組員が歩く姿が目に入る。先程のアナウンス通り、乗客の身分証を確認しているのだろう。
今一つやる気なさげな彼らの仕事ぶりを眺めていたところへ、斜め前に座っていたレレイが声をかけてきた。
「ヤマト、少しいいか」
「うむ?」
目を向ければ、レレイは窓の外をチラチラと伺いながら、口を開く。
「これから行く場所のことを教えてもらってもいいか?」
「共和国のことか」
「ヤマトは東の生まれと聞いた。なら、こちらの方も私よりは詳しいはずだろう?」
その言葉に、ヤマトは「まあ確かに」と小さく頷く。
故郷は更に東――俗に極東と呼ばれる地域なのだが、共和国と極東は隣人と言ってもいいくらいの関係だ。当然、ヤマトも共和国についてはある程度知っている。
「何から聞きたい?」
「む……。難しいことは分からん。だから、ざっくりとしたところから頼む」
要は、ふんわりとイメージで、どんな場所かを知りたいのだろう。
どうせ、国の成り立ちや行政体系などは、共和国入りしてから嫌でも知る羽目になる。なら、観光客にするような説明をするのが適切か。
少し考え込んでから、ヤマトは口を開く。
「一言で表せば、混沌とした国だ」
「混沌?」
穏やかではない単語に、レレイは首を傾げる。
それに頷きながら、言葉を続ける。
「アラハド共和国が、数多の民族が結集して作られた国ということは知っているな?」
「あぁ。それは聞いたぞ」
いわゆる、大陸の一般常識と呼ばれる部類のことだ。
自慢気に頷くレレイを微笑ましく思いながら、更に口を開く。
「だから、様々な文化が入り混じっている。南の海で漁を営む文化に、西の平原で商いを営む文化。北の高原に広がる狩猟文化に、東の海沿いにある交易文化などだな」
「ほぅ」
「共和国各地に行けば、それぞれを個別に見ることができる。だが、俺たちが行くのは共和国の首都だ。ゆえに、その全てを一度に見ることになる」
ゆえに、混沌。
人種が違えば文化が違う。同じ共和国人としてまとめられてしまった国民からすれば、納得できなかったり解決できない問題もあるだろう。だが、単なる観光客として見るならば、アラハド共和国はなかなかに興味が惹かれる場所だ。
「あまり深く考えず、ただ景色を楽しむ程度でいい。中には、当人たちすら分からない文化の混じり方をしたものもあるからな」
「ふむ。それは楽しみだ」
純粋な期待を抱いているレレイに、ヤマトは苦笑いをする。
共和国における文化の入り混じり方は、正直尋常ではない。通りを一つ抜けた先の光景が、まるで異国のような有り様だったというのは日常茶飯事だ。パッと見渡したときの面白さは相当だろうが、実際に練り歩こうとすれば、あまりに多すぎる情報量に気疲れしてしまうのが大半。
まぁ、そうした部分も含めるのが観光というものだろう。
そう納得するヤマトの思考を読み取ってか、ノアが微妙な表情を浮かべた。
「別に観光に行くわけじゃないんだけどね」
「似たようなものだろう」
「そうかなぁ……?」
釈然としない様子のノアだが、彼が言いたいことも、ヤマトには理解できる。
元来、ヤマトたちが共和国へ赴こうとしている理由は二つ。一つは、先日の聖地襲撃事件の際に得た情報を確認すること。こちらは、どちらかと言えば蛇足に近いだろう。本来の目的と言うべきものは、もう一つ――すなわち、勇者の遺物の回収だ。
勇者の遺物。歴代勇者が魔王討伐の際に用いたと伝えられる武具であり、そのいずれもが強大な力を持つと言われている。ヒカルは既に聖剣と聖鎧の二つを手に入れているが、そのどちらも、噂に違わない力を持っていた。そして、これから行くアラハド共和国にも、勇者の武具の一つが持ち込まれたという言い伝えがある。
これが事実かは分からないが、確かめる価値はあるだろう。
(さて。今回もまた何か起こるかな……?)
願わくば、これから行く先でも波乱が起こってほしいものだ。
そんな、やや不謹慎とも言えることを思い浮かべながら、ヤマトは歩み寄ってくる列車の乗組員に身分証を差し出した。