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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
聖地ウルハラ編
95/462

第95話

「これは……?」

 ホコリが深く積み重なった廊下を抜け、封じられた扉を開いた先。

 そこに広がっていたのは、長い年月を経たとは思えないほどに清浄な空気が漂う、殺風景な部屋だった。床も壁も天井も全てが白塗りされ、中央に小さな台座が佇んでいるのみ。

「あれが、魔王の心臓」

 扉を開けた瞬間に、押し寄せる魔力が濃度を増す。それに眉をひそめながら、ヒカルは“それ”を注視した。

 飾り気のない台座の上に、紫色の物体が鎮座している。ゴツゴツとした表皮の果物のような見た目だが、よく観察してみれば、規則的に脈打っていることが分かる。鼓動を打つたびに、周囲へ頭がくらくらするほどの魔力が溢れ出し、大気が震えるような錯覚を覚える。

 人の臓器を外へ摘出すれば、こんな見た目をしているのかもしれない。元の世界で暮らしていた頃のヒカルならば、それを目の当たりにした瞬間に、吐き気を催していただろう。変わってしまった自分を感じて、思わず苦笑いが漏れる。

「――ヒカル様? 大丈夫ですか?」

 背中越しに、訝しげなリーシャの声が届く。

 部屋に入ったきり、沈黙を保って動こうとしないヒカルを案じたのだろう。

「大丈夫。ちょっと意外だっただけだから」

 意外。

 そう、意外だった。

(まさか、本当に心臓だったんだ)

 クロは魔王の心臓と形容していたが、それはあくまで比喩なのだろうとヒカルは解釈していた。仮に臓器そのものだったとしても、魔獣に変貌していてもおかしくないくらいの気構えではいたのだ。

 それが、見た限りでは特に害のなさそうな臓器が一つ、台座の上に転がされているだけ。相変わらず不気味なほどに魔力は溢れ出しているが、それを除けば、特に驚異的とも思わないほどのものだ。

「これを壊せばいいんだっけ」

 呟きながら、ヒカルは腰元の聖剣を抜き払う。

 クロはやたら自信満々な風情だったが、これならば破壊も容易な気がする。聖剣の輝きに気圧されてか、抜剣した途端に魔王の心臓が縮こまっているようにすら見える。

「――聖剣、起動」

 その詠唱と共に、聖剣の刃から白い光が溢れ出す。

 魔を討ち滅ぼす光の刃。そんな説明と共に渡された聖剣だが、この光には確かに、周囲の魔力を片っ端から浄化する力が備わっている。いかに魔王の心臓と言えども、この刃を受けて原型を保てるようには思えない。

(そういえば――)

 ふと、気になることが一つ。

(どうして、初代勇者はこれを破壊できなかったんだろう)

 魔王の心臓を見下ろしながら、思考する。

 クロの話では、初代勇者は魔王との戦いに辛うじて勝利したものの、これを討滅することはできず、五つに分割して封印するのが関の山だったと言う。つまり、今目の前に鎮座する心臓だけでも、破壊することは叶わなかったということだ。

 聞いたときには「そんなものか」と流したことだったが、見る見る内に衰弱していく魔王の心臓を目の前にしている今では、疑問を抱かざるを得ない。まだ未熟なヒカルですら、聖剣の力で心臓の破壊ができそうなのだ。伝説に残る初代勇者に、それができなかったとは考えづらい。

(何か別の事情があったのかな)

 そう考えるのが自然。

 とは言え、その答えが導けるほどの判断材料をヒカルは持っていない。

「今は、これを壊すのが先かな」

 呟きながら、聖剣を振りかぶる。

 そのまま振り下ろせば、魔王の心臓は間違いなく真っ二つになるのだろう。もしかしたら、切っ先を触れさせるだけで切断することも可能かもしれない。そんな確信はあった。

 とは言え、念には念を入れて全力で。脳裏にかつてのヤマトの姿を描き、それをなぞるように身体に力を入れる。不測の事態に備えて未来視をも発動させた瞬間に、その光景が目に入った。

「―――――っ!?」

 声にならない悲鳴を上げながら、飛び退る。

 直後に、天井を突き破って“何か”が部屋の中へ降ってきた。

「ヒカル様っ!?」

「私は大丈夫!」

 声を上げるリーシャに返答しながら、突如降ってきた“何か”の方を見やる。

 登場の迫力とは反対に、その大きさは然程ではない。人の頭ほどのサイズだ。つるりと滑らかな表面に、歪みのなくなだらかな起伏を描く形。およそ人とは思えない、ちょうど餅のような質感をしている。

 その姿は、ヒカルもこの世界に来てから視界の端に収めてきたもの。

「………スライム……?」

 ヒカルの声に応えたわけではないだろうが、そのスライムはふるるんと柔らかく揺れる。

 元の世界で培ったイメージそのままな、最弱の魔獣スライム。これまでヒカルが見てきたスライムは淡い緑色をしていたが、目の前のスライムは常闇を思わせる漆黒の身体を持っている。とは言え、確かにスライムだ。

 思わず気を抜きそうになって、はたと気がつく。

(この魔力は!?)

 呼吸することすら恐ろしくなるほどの、圧倒的な威圧。魔王の心臓から溢れていた魔力が、可愛く思えるほどの濃度。

 そんな魔力を、目の前の黒いスライムから感じられる。迂闊な身動きをすれば死ぬと、本能が叫ぶ。

「………っ」

 背中越しに、リーシャが息を呑む音が聞こえる。

 ヒカル自身も、自分が何をすればいいのかを忘れて、その場に立ち竦む。あまりに圧倒的な存在を目の前にして、思考が意味のない単語を羅列しながら空回りし続ける。

 固唾を呑んで見つめるヒカルとリーシャの先で、黒いスライムはのほほんとした動きで、魔王の心臓へ近寄る。

「何を―――っ!?」

 スライムが、突如一枚の網のように薄く広がり、魔王の心臓を包み込む。

 ヒカルたちが見つめる先で、魔王の心臓はドクンと一際強い鼓動を打つ。同時に、その表面が泡を立てながら、溶け出していく。一秒が経つごとに心臓は小さく削られ、それに伴って黒いスライムの魔力が跳ね上がっていく。始めでさえ絶望的なほどの魔力量を持っていたというのに、今や立ち向かう選択肢すら浮かんでこなくなるほどだ。

(これは……)

 息をすることも忘れて目を見開いていたヒカルの耳に、誰かが崩れ落ちる音が聞こえる。我に返って背後を振り向けば、目に恐怖を浮かべたリーシャが床に座り込んでいた。

「リーシャ!?」

「………っ! も、申し訳……!」

 リーシャ自身、自分が崩れ落ちていることに気がついていなかったらしい。

 ヒカルの声に応じて立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞いてくれないようだ。剣を支えに、中腰の姿勢になるので精一杯。

 何かしてやれないか。辺りを見渡したヒカルは、手にした聖剣の輝きを目に入れる。

(そうか、私はこれがあったから)

 魔力を浄化する聖剣の輝き。この力が、黒いスライムから放たれる魔力をある程度減じてくれていたのだろう。

 咄嗟にリーシャへ駆け寄って、聖剣を傍に寄せる。

「大丈夫?」

「申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました……」

 顔色は依然として最悪の一言に尽きるものの、ひとまずリーシャの呼吸は正常になる。額に脂汗をびっしりと浮かべながら、荒い息をついている。

 その様子を心配気に伺いながら、ヒカルは考える。

(これは、流石にマズいよね)

 チラリと、魔王の心臓を取り込んだ黒いスライムを見やる。

 幾ら何でも、このスライムと戦おうというのは無謀がすぎる。正しく自殺行為だ。太陽教会には拾ってもらった義理があるとは言え、こんなスライムの相手ができるはずがない。下手に手を出さず、静かに離脱するのが、むしろ一番被害を抑える方法だ。

 そんな言い訳じみた思考を完結させて、一人で頷く。

「リーシャ」

「はい」

「静かに、ここから離れるよ」

 勇気と蛮勇を履き違えてはいけない。

 リーシャは一瞬躊躇う素振りを見せたものの、すぐに頷いてくれる。教会に所属する彼女からしても、あのスライムと矛を交えるのは反対らしい。

 そうと決まればと足に力を入れたところで、頭にチリッと嫌な予感がよぎる。

「………嘘でしょ……」

 顔を上げて、思わず声が漏れる。

 魔王の心臓を取り込んだ黒いスライム。無論目という機関は備わっていないが、スライムの意識はただ一点――ヒカルの方に向いていた。とても、友好的とは思えない。

「ヒカル様? 何を――」

「リーシャ、先にここから離れて」

「………! ……ご武運を」

 手短に伝えて、立ち上がる。

 何かを言おうとしたリーシャも、その言葉を呑み込んで頷いてくれた。

(あいつの意識は、私に向いている)

 ゆらりと立ち上がっても、スライムから放たれる威圧は途切れない。むしろ、強まったくらいだ。

 とても一人で勝てるような相手ではない。むしろ、抗うことすら困難な相手だろう。それを理解していても、ここで逃げ出す手は取れない。

「少しでも、時間を稼がないと」

 不幸中の幸いは、スライムはリーシャのことは欠片も眼中にないらしいことだ。

 時空の加護を駆使すれば、黒いスライムを撃退はできなくても、ヒカルが離脱するくらいはできるかもしれない。分が悪い賭けにも思えるが、それ以上の手は思い浮かばない。

(やるしかない……!!)

 リーシャは身体の力を振り絞り、元来た通路を戻っている。

 そのことを横目で伺ってから、聖剣を正眼に構えた。ヒカルの闘志に応えて、剣身から白い光が溢れ出す。それと同時に、黒いスライムから敵意が溢れ出す。

「―――! これは想定以上だけど……!」

 魂の根源を震えさせるような威圧に、視界がクラリと揺れる。歯の根が合わなくなり、膝が笑い始める。額の脂汗が目に入りそうで鬱陶しいが、それを拭う余裕すらもない。

 間違いなく、これまで相対した中で最強の敵。アルスの街で戦った成竜や、赤鬼にクロなどは比べ物にもならない。冒険の中盤で裏ボスと戦っているような、不条理さすら感じる。

(落ち着け……! 落ち着け落ち着け落ち着け!!)

 乱れる呼吸に、明滅する視界。

 必死の思いで未来視を発動させた、その刹那。

 何の予備動作も見せずに、黒いスライムが跳躍した。

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