第88話
「行くよっ!」
ノアの掛け声と、続け様に放たれた一発の銃声。それが、青鬼との第三ラウンドの開始を告げた。
真っ直ぐに空を貫く弾丸を前にして、青鬼は既に幾度も見たように、すっと指先を掲げる。
「『障壁』」
半透明な壁が立ち昇り、高速の弾丸を受け止めるーーで留まらなかった。ぐにゃりと大きく形を歪めた『障壁』が、そのまま虚空へ溶けるように消え失せていく。
「へぇ?」
「何度も見たからね。次はそのまま貫くよ」
先程、ヤマトの窮地を救ったのもこの技だったのだろう。青鬼が使う『障壁』の魔導術のクセを見抜き、言わば急所を射抜くことで、魔力が魔導術としての形を保てないようにする。
言うまでもなく、高等技術。ヤマトでは到底成し得ないほどの、精緻な一撃だ。
(流石だな)
思わず感心しながら、ヤマトはちらりとノアの方を見やる。「構わないか?」と問うように視線を向けると、ノアは僅かに顔をしかめながらも、小さく頷いてくれる。
「シ――ッ!」
吐息を鋭く漏らしながら、ヤマトは足を踏み出す。
体内を巡る気を意識し、両脚へと集中させる。――直後、ヤマトの視界に映る景色が高速で流れた。
「………っ!?」
これまでの戦いでは見せてこなかった急加速に、青鬼がたじろぐ姿を見せる。
その隙目掛けて、ヤマトは手にした刀を振り上げる。刃を立て、斬撃を脳裏に描く。
「せやぁッッッ!!」
掛け声と同時に、刀を振り抜く。
不安定な体勢から放った斬撃だが、それに秘められた威力は相当なもの。生身の人間が喰らえば、腕一本の喪失では済まない被害を被るだろう。
そんな危険な攻撃を目前にして、青鬼はすぐに動揺を鎮める。『障壁』では防げないと判断し、手にした疑似聖剣を掲げる。
「くぅっ!?」
鬼面の奥から、苦悶の声が漏れ出る。
ヤマトの勢い任せな斬撃は、その軌道を僅かながらにブレさせたらしい。疑似聖剣を断つことは叶わず、その威力を叩きつける結果に終わる。――だが、それで今は充分だ。
衝撃と痛みで身体をよろめかせた青鬼へ、ヤマトは更に肉薄する。刀と剣の間合いを越えて、更に内側へ。
「ふんっ!!」
腰を落とし息を吐きながら、刀の柄頭を青鬼の鳩尾目掛けて突き出す。レレイとの鍛錬の中で磨き上げた、体術の一つ。
近すぎる間合いゆえに、体捌きで避けることは叶わない。一瞬でそれを判断した青鬼は、剣を握る手の指を一本突き出し、
「『障壁』」
「ちっ!」
鉄塊を思い切り殴りつけたような硬い感触が、刀を握るヤマトの手に跳ね返ってくる。ビリリと骨へ響くような痺れが、腕全体を駆け巡る。
青鬼はその結果を確かめることなく、即座に次の手を打つ。
「『旋風』――『霊矢』」
「その手に乗るものか!」
無理に押し込もうとすれば、『旋風』で体勢を崩された挙げ句、『霊矢』の手痛い反撃を喰らうことになる。
咄嗟にその光景を幻視したヤマトは、前ではなく後ろへ身体を飛ばす。気を両脚に結集させ、『旋風』の勢いも借りてバックステップ。想像を遥かに越える速度で飛び退った身体が、ノアのすぐ傍にまで滑り込む。驚きを隠せない中でも、手にした刀を鞘に収める。
「『疾風』ッ」
既に何度も見た光景だ。
無数の魔力の矢を、抜刀の瞬間に溢れ出る鎌鼬が相殺していく。青鬼とヤマトの間で風と魔力が吹き荒れ、思わず踏み込むことを躊躇わせる嵐となる。
これまでであれば、この機に整息していただろう。だが、それでは青鬼がいる領域に至ることはできない。
「支援するよ!」
頼もしいノアの声を聞き届けながら、ヤマトは嵐の中へ足を踏み入れる。
魔力を感知することはできないものの、目も開けられないほどの猛風が辺りを吹き抜けていく。相殺し切れていない『霊矢』と『疾風』の名残が、ヤマトの身体を浅く斬り裂いていく。
(足を止めるな!!)
痛みと恐怖で足が竦みそうになる自分を、胸中で激励する。萎えそうになる心に喝を入れ、後戻りはできぬぞと言い聞かせるように更に前進。
風が吹き荒れ砂が舞い上がる中、その先に青鬼の姿を捉える。『霊矢』と『疾風』で巻き起こった嵐が収まり次第、即座に攻撃に移るべく魔導術を用意しているようだ。
(好機ッ!)
兎にも角にも、まずは青鬼が戦いの主導権を握る展開は打破しなければならない。
そんな理性の声に従って、ヤマトは刀を握る手に力を込め直す。地を這う獣の如く、身体を深く沈める。
嵐を、抜けた。
「『蛇咬』ッ!」
「へぇ?」
その刀は、地を這う蛇が得物を噛み殺すが如し。
四足の獣が駆けるほどの低姿勢から、一瞬で刀を突き入れる突進技。見た者は実際以上の速度を直感し、蛇に睨まれた者のように、身体を硬直させる。
魔導術を放つ用意をしていた青鬼は、その攻撃への対処に一歩遅れる。それでも、すぐに思考を取り戻して対処に入るのは、流石の一言に尽きるだろう。
「危なっ!」
「まだ終わらないぞ!」
青鬼が咄嗟に身体を捻ったことで、蛇の牙は虚しく空を斬る。
その光景に一息吐こうとする青鬼に対して、ヤマトは即座に次の技へ移る。突き出した刀をそのままに、それを握る腕を鞭のようにしならせる。
「『竜尾』」
「おっと!」
防御されることを省みない、速度と斬れ味を重視した奇襲技。腕一本を一つの鞭に見立てた斬撃が、緩やかな弧を描きながら青鬼へ迫る。
青鬼は手にしていた疑似聖剣を掲げて、斬撃を受け止めようとする。――衝撃。
「ぐっ!?」
「重た……!」
耳をつんざく金属音が、辺りに響き渡る。
見た目以上の重さを伴う斬撃を前に、青鬼は顔をしかめる。細身の剣で受け止めようとしたのだから、刀身にもかなりのダメージが入ったはずだ。
もっとも、それはヤマトの方も同様。
(まずい。ヒビが入ったか?)
刀を握る手を通じて、ピシッと亀裂が走るような音がヤマトの骨に伝わる。
元々は頑強な刀で使うことを想定された、剛の技だ。故郷の刀の中でも斬れ味に特化し、その代償に柔らかい刀身となったヤマトの愛刀には、負担が大きすぎたのだろう。
(保ってくれよ……!!)
チラリと己の刀に意識を向ける。大陸に渡ってからずっと握り続けてきた愛刀だが、ここが限界か。
そう考えたことが、よくなかったのだろう。
気がついたときには、『竜尾』の衝撃から立ち直った青鬼が疑似聖剣を振りかぶっていた。いつぞやのヒカルを重ねてしまうように、神々しい光が擬似聖剣から放たれている。
「ヤマト!」
「させないよ――『障壁』」
速度重視で組み上げられた『障壁』は、先程までのものよりも幾分か薄い。ノアが放った弾丸を一度受け止めたところで、粉々に砕け散った。
だが、それで充分だったのだろう。ノアの射撃を一発分防いだ。二発目が来る前に、勝負を決めるつもりか。
「――『聖刃』」
「『柳枝』ッ!」
ヤマトの胸元を横一文字に薙ぎ払う軌道で、青鬼の疑似聖剣が振り抜かれる。
身体の姿勢を落としながら、ヤマトは腰元にくくりつけられていた鞘を手にする。『聖刃』の軌道を遮るように、鞘を掲げる。
(耐えろッ!!)
祈りながら、衝撃に備えて奥歯を噛み締める。
直後に、疑似聖剣がヤマトの掲げた鞘へ叩き込まれる。
「ぐ―――ッ!?」
想定以上の剛剣。
ヤマトの『斬鉄』が速度と斬れ味で必殺たり得ているのに対して、青鬼の『聖刃』はその威力と精度で必殺の極地に至っている。
青鬼本人が持つ天才的な状況判断能力で、身体を捻る程度では絶対に避けられない軌道を割り出す。あとは、無敵の城壁であっても防げないだけの威力を込めるだけ。
鞘越しにその斬撃を受け止めたヤマトの左腕は、凄まじい手応えと共に骨を砕かれる。その痛みと熱に涙が滲むが、このまま手をこまねくのは死を待つに等しい。
「ぉぉおおおおっっっ!!」
頑強な鞘が、『聖刃』に一瞬の抵抗をする。この時間を、無駄にしてはいけない。
鞘を持つ左腕を跳ね上げ、同時に身体を深く沈める。『聖刃』に逆らうのではなく、僅かな力を這わせることで、軌道をずらす。大型魔獣を受け止めるような重みが腕に伝わり、全身が悲鳴を上げる。
「ぁぁぁああああああ!!」
「な―――ッ!?」
鞘が砕け散り、疑似聖剣の刃が腕の骨にまで至る感触を覚える。
だが、それでも。
(やった!?)
必殺の威力を乗せた剛剣は、凄まじい風切り音を残し、ヤマトの頭上スレスレのところを薙ぎ払う。――回避成功だ。
そのことに安堵する暇もなく、ヤマトの身体が右方へ泳ぎ始める。片腕のみとは言え、『聖刃』を受け止めた反動だ。抗えないほどに強大な力が、ヤマトの身体を空に浮かせる。
「―――っ!?」
声にならない悲鳴を残して、身体が吹き飛ばされた。
現実感がまるでなく、夢の中にいるような感覚の中。空中を二転三転したヤマトは、そのまま地に叩きつけられる。
「がぁっ!?」
全身を貫く衝撃のあまりに、肺から空気が失せる。
必死に呼吸する中、ヤマトの耳に一発の銃声と、何かが砕ける音が聞こえる。
「くっ!?」
「嘘!? 何製なのさその仮面!?」
青鬼の呻き声と、ノアの叫び声。
それに衝き動かされて、ヤマトは痛む身体を叩き起こす。左腕は見るも無残な有り様になってしまっているが、それ以外に目立つ外傷はない。その左腕も、戦闘中の高揚感ゆえなのか、不思議なほどに痛みは感じない。妙なほどに力が入らない程度だ。
顔を上げると、青鬼が鬼面を手で押さえている姿が見える。目を凝らしてみれば、ボロボロと細かな破片が指の隙間から零れ出ているのが分かる。
「――やってくれたね」
その声の調子は、先程までと変わりはない。
警戒心を高めながら青鬼の姿を見つめたヤマトは、面を上げた青鬼の顔に、思わず息を呑む。
「仮面を撃ったのか」
「さっきの隙を突いたんだけどね」
クルクルと手の中で魔導銃を回しながら、ノアは肩をすくめる。
ヘッドショット。ほとんど必殺に等しい一撃だが、青鬼の仮面がそれを受け止めたらしい。その証拠に、鬼面が大きな亀裂を走らせている。
ヤマトとノアが見ている間にも、徐々に亀裂が大きくなっていく。
「悪くない――いや、いいね。さっきまでは腑抜けてたみたいだけど、今はよくなった」
「それはどうも」
事実、先程までが腑抜けていたという自覚は、ヤマト自身にもある。
目の前の勝ちを貪欲に掴もうとせず、実力差を前に早々に諦めていたことが何よりの証左だ。
苦虫を噛み潰したような表情になるヤマトに対して、青鬼は不思議なほどに穏やかな様子だ。ヒビの入った仮面が砕け、目元が露出する。輝く髪と同じ、金色の目だ。
(金髪金眼――?)
ヤマトの脳裏に、何かが引っかかる感覚。
その正体を掴む前に、青鬼が口を開いた。
「今の君にだったら、本気を出してもよさそうだ」
「……望むところだ」
脂汗が一気に溢れ出るのを自覚しながらも、ヤマトは己の心を鼓舞し続ける。
そんなヤマトを、青鬼は無言のままジッと見つめる。その視線にヤマトが表情をしかめたところで、首を横に振った。
「僕もそうしたいのは山々なんだけど。――時間切れだ」
「時間切れだと?」
その言葉に、ヤマトの胸中に暗雲が立ち込める。
思えば、今目の前に立っている青鬼からは不思議なほどの余裕が感じられた。何か目的を持っているようには見えず、迎撃に来たヤマトたちを相手に、文字通りの意味で遊んでいた。
「――まさか」
「時間稼ぎか」。
その言葉をノアが口にするよりも早く、青鬼は言葉を続けた。
「来るよ」
途端に、ヤマトの背筋を怖気が駆け抜ける。
青鬼に初めて対峙したときとは、比べ物にならないほどの恐怖が湧き起こる。身体が震えそうになるのを必死に堪えながら、ヤマトは異様な気配が立ち昇ってくる場所――地面へ、正確には地下へ視線を向ける。
「これは……!」
「聞いていた通り、やばそうな雰囲気だね」
あくまで飄々とした態度を崩さない青鬼を、キッと睨みつける。
「いったい何をした?」
「僕は何も? 事前の契約に従って、ここで暴れてみただけさ」
つまりは、陽動。
事実、青鬼が引き起こした爆発に吸い寄せられて、聖地の警護をする聖騎士たちやヤマトたちが集まってしまった。加えれば、そのほとんどが青鬼一人の手によって打ち倒されている。今の大聖堂の中は、非常に戦力の限られた状況にあるはずだ。
ただ、それでも。
(中には、まだヒカルたちがいたはず)
今代勇者のヒカル。そして、彼女の指導役たる聖騎士リーシャ。二人とも、充分以上の実力を備えた戦士だ。その二人が、密かに忍び入る者に気がつかなかったのか。
そんなヤマトの疑念に答えるように、青鬼は言葉を続ける。
「念の為ってことで、中に僕の相方が入っているんだ。外と内で、二段構えの陽動ってわけ」
「……お前は」
「何で教えるのかって? 理由は二つ。一つは、もう契約が満了したから。守秘義務も定められてないから、好き勝手に喋っていいってわけ。もう一つは、君たちの健闘を讃えてってところかな」
「言ってくれる」
その言葉に嘘はないらしく、青鬼は手にしていた疑似聖剣を手放す。聖剣は空中で魔力の粒へと解けていき、やがて虚空の中に溶け込んでしまう。
素手になった青鬼は、もう戦意はないと示すかのように両手を上げながら、くるりと踵を返す。
「どこへ行くつもりだ」
「契約満了って言ったでしょ? だから、帰ろうかなって」
「行かせると思う?」
ここで青鬼を捕らえれば、新しい情報を引き出せるかもしれない。
そう考えてのノアの発言に対して、青鬼は肩をすくめる。
「別に僕はやっても構わないんだけど、そっちはいいのかな。早く下に行った方がいいと思うけど」
「く……っ!」
「下に行けば、僕よりも事情に詳しい奴――って言うか、これの張本人がいるはずだよ」
思わず歯噛みするヤマトとノアに向けて、青鬼は仰々しく一礼をする。まるで物語に登場する騎士のような、礼節の整った動き。
「それじゃあ二人とも、またいつか。今よりも腕を上げてることを、期待してるよ」
最後まで、悪意を欠片も感じさせない柔和な立ち居振る舞いのままで。
青鬼は、魔導術でその場から忽然と姿を消し去った。