第87話
青鬼が魔力で作り出した剣は、傍目から見る限りでは、騎士たちが使うような一般的な代物のように見える。斬れ味よりも頑強さを利用した斬撃を得意とする、ヤマトの刀とは反対の性質を持つ剣だ。
だが、その刃から放たれる不思議な威圧に、ヤマトは青鬼の剣から目を離せなくなっていた。
「この剣が気になる?」
そんなヤマトの視線にも、青鬼はやはり気がついていたらしい。
クルクルと手の中で剣を回し、その刃をヤマトに見せびらかす。
「当ててみな? この剣の正体」
「……雰囲気は、聖剣に似ているな」
「大正解!」
ヤマトの答えに、青鬼は鬼面の奥から歓声を上げ、拍手をする。
その答えをヤマトが口にしたのは、ただの当てずっぽうに近い。根拠のない感覚のようなところで、ヒカルが握っていた聖剣の面影が重なるように思えたのだ。
「正確には、疑似聖剣ってところかな。勇者が持ってるのが本物で、これは贋作だ」
「贋作?」
「そう。本来の聖剣は、神話の時代――古代文明の技術によって精製された遺物の一つで、それゆえに退魔の力を宿している。だけどこいつは、僕が聖剣を模倣して創造しただけのもの。退魔の力は、オリジナルの十分の一にも満たない」
聞き逃すことができない情報に、ヤマトは僅かに目を見開いた。
「創造した?」
「今見ただろう? 古来から伝わる魔導術の一つだよ」
「……お前は、何者だ」
その問いに、青鬼はクツクツと笑みを漏らす。
「それには答えられない。知りたければ、この仮面を剥いでみたら」
「言ったな」
ヤマトと青鬼が会話している間に、ノアは黙々と戦闘準備を整えてくれていたようだ。ヤマトがちらっと後ろを見やれば、頼もしい首肯が返される。
刀を鞘に収め、身体の重心を落とす。『疾風』の構え。気を鞘の内部に充満させながら、青鬼の出方を伺う。
(この戦い。ノアの援護に徹する)
先程の青鬼の言葉――魔導術の戦場において、体術は日の目を見ないという指摘は、忸怩たる思いもありながらも、ひとまず頷けるものだった。
ゆえに、この戦場の主役はノアだ。ヤマトの役目は、ノアが存分に戦えるように場を整えることにある。
「――行くよっ!」
ノアが叫ぶ。同時に、ヤマトの背後から銃声が響く。
「『障壁』」
「『疾風』ッ!」
迫る銃弾に対する青鬼の動きは、先程までと変わらない。指先をすっと動かして、前方に『障壁』を築く。
銃弾が直撃し、『障壁』が大きく歪んだ。それでも、貫くには威力不足――だから、『疾風』で後押しをする。
鞘から解き放たれた気の奔流が、数多の鎌鼬となって青鬼へ殺到する。無数の斬撃が『障壁』を削り、遂にはその壁を破壊するに至る。
「ノア!」
「任された!」
打てば響くような応答。
『障壁』が崩壊した直後の空間を、銃弾が貫く。
『疾風』が駆け抜ける音に紛れて、青鬼は発砲音を聞くことができなかったらしい。僅かな動揺を見せながらも、即座に身体を逸らす。銃弾は青鬼の甲冑を掠めるに留まり、甲高い音が辺りに響いた。
「避けるか!」
「まだペースはこっちにある! 一気に畳み掛けるよ!」
ノアの言葉に頷く。事実、青鬼は咄嗟に身体を逸らした影響で、即座に動けるような状況にはない。
(好機かっ!?)
ヤマトは刀を手に、一気に肉薄しようとし――立ち止まる。
体勢を崩していた青鬼だが、その鬼面の奥の金眼が、ゾッとするほど冷徹な光を帯びてヤマトとノアを射抜いていた。攻撃されるというのに、不思議なほどに動じた様子が見えない。
嫌な予感に衝き動かされるままに、納刀する。
「『霊矢』」
「――っ!? 『疾風』!」
その対応が間に合ったのは、奇跡に近かっただろう。
一瞬で創造された魔力の矢――その数は、先程目にしたときよりも遥かに多い――が、間髪入れずに殺到する。ノアも反応できていない中、ヤマトは咄嗟に『疾風』を放つ。
「伏せろノア!」
無数の鎌鼬が、魔力の矢を迎撃する。その多くが弾かれるものの、攻撃の手数は青鬼が上手だったらしい。
『疾風』の弾幕を抜けて突き進む『霊矢』を前に、ヤマトとノアは身体を屈める。急所を貫く軌道の矢を弾くので精一杯。身体の各所を矢が抉り、血が滲み出る。鋭い痛みに、苦悶の声が喉奥から込み上げた。
「くっそ……!」
「ヤマト避けて!」
悲鳴のようなノアの叫び。
即座に目を上げれば、『霊矢』が打ち抜いた後を駆ける青鬼の姿が目に入る。疑似聖剣を片手に、既に振り抜く体勢へ入っている。
上段から、ヤマトの脳天をかち割る軌道が脳裏に浮かぶ。
(迎撃は間に合わない!?)
鞘を頭上へ掲げ、衝撃に備える。
直後に、想定を遥かに上回る威力の斬撃が、鞘越しにヤマトへ叩きつけられた。
「ぐぅっ!?」
魔導を使った様子はないから、青鬼が素で放った斬撃なのだろう。それでも、威力は桁違いの一言に尽きた。
まるで魔獣に激突されたときのような衝撃が、ヤマトの全身を貫いた。脳がぐわんと揺れて、視界がぐらつく。両腕のみならず全身が痛みのあまりに悲鳴を上げて、思わず刀を取り落としそうになる。そのまま倒れ込みたくなるところを、必死に堪える。
俯くヤマトの視界に、踏み込んできた青鬼の足が入ってきた。頭上から、濃厚な殺気を叩きつけられる。
「終わりかな?」
「――ッ! 舐めるなぁッ!」
胸の奥に炎が灯る。
剣を振りかぶり、追撃を仕掛けようとしている青鬼を目前に、ヤマトは刀を引き寄せる。切っ先は真っ直ぐ青鬼の心臓へ。立ち上がり、刃を突き立てる構え。
(間合いの内側に入れば――!)
追撃を回避はできずとも、間合いを外せば生き残れるかもしれない。たとえ重傷を負っても、ここ聖地ならば治療は可能だろう。
そんな目算と共に反撃を試みるヤマトを前にして、青鬼はただ一言だけ。
「『旋風』」
「うおっ!?」
反撃を想定していなかった。
詠唱と共に、青鬼の身体を中心に四方八方へ風が吹き抜ける。その突風が、立ち上がろうとしていたヤマトの胸を打った。身体に力を込める寸前を押され、そのままヤマトの身体は後ろへ倒れ込む。
決死の反撃を防がれたヤマトに、その後抗う術は浮かばない。頭上から迫る白刃を予期して、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「させない!」
死を覚悟したヤマトの耳に、銃声が届く。
それと同時に、ヤマトは後転して身体を起こそうとする。
「相変わらず、的確なタイミングだ。――だからこそ、読みやすい」
すぐ近くにいたからだろう。青鬼の言葉が、ヤマトの意識にするりと入り込む。
中腰の体勢のまま、視線を上げる。剣を振りかぶっていたとばかり思っていた青鬼は、指先をノアの方へ向けていた。
「『障壁』」
甲高い音を立てて、銃弾が弾かれる。
即座に青鬼から距離を取ろうとしたヤマトだったが、不意に背中から壁へ激突する。
「なっ!?」
「対チーム戦の基本は、連携を断つこと。分かりやすいだろう?」
半透明な壁が、ヤマトとノアの間を塞ぐように作られていた。
体勢を崩した不利な状況の中、ヤマトは退路を塞がれ、ノアは弾道を塞がれた。
「こいつ!」
魔導術の巧みさ、剣術の力強さ。その二つを兼ね備えた青鬼だが、一番の脅威は戦闘中の判断能力ということか。咄嗟の判断が続くような場面の中で、もっとも効果的な手を打ち続けている。
ノアの支援が期待できない以上は、ヤマト一人でこの場を切り抜けるしかない。
そう覚悟を固めたヤマトの前で、青鬼は立てたままの人差し指を、今度はヤマトの前方へ。
「もう一個、『障壁』」
「二枚目っ!?」
ヤマトのすぐ手前に、二枚目の『障壁』が作られる。
前後の障壁の間で、ヤマトにできることは限られている。前後数十センチほどの空間では、満足に刀を振ることはおろか、身体をよじることも難しい。
その目の前で、青鬼は手にした剣を引き絞る。魔導適性のないヤマトですら分かるほどに、魔力が濃く集められていた。何の邪魔も入らない状況だから、小細工は全て捨てて、威力だけに注力した斬撃。
(詰み、か――?)
絶望的な二文字が、ヤマトの脳裏に焼きつく。
「ヤマト! 後ろに!」
「―――っ!」
ノアの声が耳に届く。
その内容を疑うよりも先に、ヤマトは身体を後ろへ傾けていた。背中に伝わる、『障壁』の硬い感覚。――消えた。
「うおっ!?」
「『聖刃』」
ガクリと姿勢が落ちたヤマトの頭上を、青鬼が振り抜いた斬撃が通りすぎていった。
『障壁』がまるでちり紙のように容易く斬り裂かれ、ヤマトの髪先を斬っていく。正しく、紙一重の回避。
必殺の斬撃を避けられたことに、さしもの青鬼も身体が硬直しているらしい。その隙に、ヤマトは必死にバックステップする。
「大丈夫!?」
「何とかな……。助かった」
これほどまでに死を間近に感じた経験は、そうはない。
今更ながら、背中を流れる脂汗を自覚する。その気色悪い感覚に、思わず顔をしかめる。
(これは、流石にマズいな)
魔導術と剣術に天賦の才能を示すのみならず、数多の修羅場を潜り抜けた者特有の、鋭い状況判断。その全てを備えた青鬼に対し、勝ちの目が見えないというのが正直なところだった。何とか一撃を浴びせるところで、関の山か。
先程、ヤマトが辛うじて難を逃れたのも、ノアが全力で支援してくれたからだ。『障壁』をあれほどの手際で解体するとは、青鬼も予想していなかったのだろう。
その判断はノアも同様らしく、無言のまま佇む青鬼を前にして、苦渋の表情を浮かべている。
(諦めるか?)
この場を逃れて、ヒカルたちに応援を頼む。
ヤマトとノアの二人だけでは手に負えずとも、ヒカルとリーシャを加えた四人でかかれば、勝ちの目は見えてきそうだ。
思わず口を開きかけたヤマトだったが、すぐに閉ざす。頭の中の結論を確認するたびに、胸の奥からドス黒い感情が芽生えてくる。
「――馬鹿か俺は」
「ヤマト?」
戸惑うノアの声が聞こえるが、ヤマトはそれに応えないまま、再び刀を構える。
つい先程胸に刻んだことを、もう一度思い起こす。
(俺は、更に強くなる)
それは、道理の分からない子供のときから胸の奥に宿る、烈火の如き衝動。
才能がない程度のことで折れるほど、その思いは弱くない。どのような困難があっても突き進むのだと、幼き夢に誓ったのだ。
そのために。
「ここで止まるわけには行かないな」
今の実力では勝てそうにない? だから何だ。
勝てそうになければ逃げる? それで、あのときの自分に顔向けできるのか。
勝ちの目が見えないのであれば、見えるようになるまで刃を研ぎ澄ませる。幸いにも青鬼はこれまでの相手を隔絶するほどの敵手だ。これほどの者と刃を交えれば、かつてないほどに刃は鋭く研がれていくだろう。
死中に活あり。地獄すら生温い戦場を斬り抜けてこそ、人は修羅に至れる。
「やる気満々って感じか」
「悪いな」
「今更。正直、会ったばかりのヤマトを見てるみたいで面白いし」
先程までの表情はどこへやら。ヤマトの闘志に当てられたらしいノアも、戦意を高揚させている。
そのことに少しホッとしながら、ヤマトは青鬼の方へ視線を転じる。
「やる気みたいだね」
「無論だ」
「差はあると思うけど」
「これから埋めるまで」
売り言葉に買い言葉。
強気に言い放つヤマトに、青鬼は鬼面の奥から笑い声を漏らす。そこに侮蔑の情はなく、ただ愉快そうにヤマトを見つめている。
「ふふっ、流石だね。そうでなくちゃ、君は面白くない」
「なに?」
まるでヤマトを知っているかのような青鬼の物言いに、ヤマトは眉間にシワを寄せる。
その疑念に答えるつもりはないらしく、青鬼は手にしていた剣をもう一度構える。
「さあ来なよ。このゲームは三ラウンド制だ」
「吐かせッ!」
余裕綽々な態度を取る青鬼へ、刀を真っ直ぐに向けた。