第86話
(こいつは……)
死屍累々といった有り様の、大聖堂前。
その中央に堂々と立っていた青年を注視しながら、ヤマトは額に脂汗を滲ませた。
「ノア。いつも通りに頼む」
「任された!」
レレイはヒカルとの模擬戦の傷を癒やすため、今は医務室にいるはず。ヒカルも、その付き添いで席を外していた。爆発を察知したときに共にいたリーシャは、勇者の指導役としての役割を果たすべく、今はヒカルの元へ急いでいるはずだ。
つまり、この場で青年と戦えるのはヤマトとノアだけということ。
(厳しい戦いになるな)
警戒を解かないままに、改めて目の前の青年を観察する。
全身から物腰柔らかい雰囲気が漂い、鬼面から流れる曇りない金髪の輝きも相まって、さながら貴公子のような風情の青年だ。だが、そんな雅な雰囲気とは裏腹に、身体つきは長身かつ屈強で戦士として恵まれているようだ。顔面は悲哀の表情を浮かべた青鬼の面で隠している。綺羅びやかな光を放つ銀色の甲冑をまとっていることも、特徴の一つと言えよう。
(得物がない。格闘家か?)
青年の手元のみならず腰元にも、武器の姿は見えない。
魔導術に造詣が深いようだが、見るからに騎士然とした姿からは、魔導一辺倒な男のようには思えない。何らかの奥の手を隠していると見た方がいいだろう。
「名は?」
「さあね。適当に青鬼とかって呼んどいてよ」
名乗る必要すら感じないということか。
ならば、その傲慢を崩すところから始めなければなるまい。
「冒険者ヤマト。極東出身だ」
「同じく冒険者ノア」
背後で、ノアが魔導銃を構えたことを察知する。
ヤマトの役割は、ノアが存分に狙撃に集中できる状況を保ち続けること。すなわち、青鬼の攻撃をいなしつつ、防御を突き崩すことに集約される。
「――いざ、参る!!」
気迫の声を上げながら、踏み込む。
背中越しに銃声を聞きながら、青鬼へ肉薄する。
「うん? 『障壁』」
その場から足を動かすことなく、青鬼はすっと指先をヤマトたちの方へ向ける。直後に、半透明な壁がヤマトの目前に出現する。
「くっ!?」
思わず焦りの声を漏らしながら、ヤマトは駆けていた足を止める。
『障壁』激突まで鼻先後少しのところで、走る勢いが止まる。直後に、ノアが撃っていた弾丸が『障壁』に直撃し、火花を散らしながら弾かれる。
「ほらっ」
小さな掛け声。それと同時に、青鬼は前に向けた指先でちょんと虚空を突く。
直後に半透明な『障壁』が形を歪め、ヤマトの鳩尾を打ち抜いた。
「ぐっ!」
威力自体は大したことはない。それでも、無防備なところで急所を抜かれたヤマトは、その衝撃で肺から空気が漏れ出る。反射的に目尻から涙が溢れ、背がくの字に折れ曲がる。
身体が言うことを聞かない中、『障壁』が再び捻じ曲がる。
「ヤマト伏せてッ!!」
ノアの声が耳に届くのと同時に、身体を脱力させる。元々折れ曲がっていた勢いのままに、ヤマトの膝が地面につく。
直後、銃声を響かせて飛来した弾丸が『障壁』に命中した。『障壁』を破壊するには至らないものの、その威力でぐわんと大きく歪む。
「よくやった!」
青鬼は制御を離れた動きをする『障壁』に、顔をしかめる。
その隙に体勢を立て直したヤマトは、屈んだ姿勢のままで刀を上段に掲げる。腰に力を込め、体内の気を刀にまとわせるイメージ。
「『斬鉄』ッ」
振り下ろす。一文字を描いた刀の刃は、何の抵抗もなく『障壁』を斬り裂いた。
跡形もなく『障壁』が消え失せる中、ヤマトは青鬼との間合いを測る。既に手を伸ばせば刃先が届くほどの距離。
「シ――ッ」
息を鋭く吐きながら、踏み込みと同時に刀を振る。
必中の間合い。ここからどう身体を動かしたところで、致死圏内から逃れることはできないだろう。背後からノアの銃声も聞こえてくる。
「つまらない技だね」
対する青鬼は、一切動じた様子を見せないまま、右手をヤマトに向ける。
その腕に力は全く込められていない。思わず訝しむ目を向けたヤマトの耳に、ノアの叫びが届いた。
「下がって!」
「『旋風』」
一言だけの詠唱。それと同時に、青鬼の右手から突風が吹き出た。
反撃を予想していなかったヤマトに、『旋風』を避ける術はない。ダメージにはならずとも、その風力で上体が泳ぎ、斬撃がぶれる。後詰でノアが撃っていた銃弾の全ても、その突風で弾道から逸れていったようだ。
「『霊矢』」
ヤマトが身動きを取れないでいる間に、青鬼は右腕を上へ掲げる。即座に、魔力で構成された幾つもの矢が青鬼の周囲に立ち昇る。
「なっ!?」
「行け」
たじろぎ、回避を試みる。
そんなヤマトを鬼面の奥から冷たく見つめながら、青鬼は掲げた腕を振り下ろす。『霊矢』の全てが矢尻をヤマトに向けて、一斉に動き始める。
「させないっ!」
魔力の矢が殺到する寸前に、幾つもの銃声が割り込んでくる。ノアの放った弾丸が矢の一つ一つを貫き、ただの魔力へと分解させていく。
「へぇ……」
青鬼はノアの方を見やって感嘆の溜め息を漏らす。
ヤマトは命の危機が去ったことに息を吐く暇もなく、咄嗟に刀を鞘に収める。気を鞘の中に充満させ、一瞬の斬撃で全てを解き放つ奥義。
「『疾風』ッ」
抜刀。同時に、数多の鎌鼬が縦横無尽に駆け抜ける。
小さな斬撃が『霊矢』の全てを撃ち落とし、そのまま青鬼へと殺到する。一つ一つは軽い斬撃でも、積み重なれば致命傷となり得る攻撃。
対する青鬼は、再び指先をヤマトの方へ向けて、一言。
「『障壁』」
半透明な壁が作られ、『疾風』の斬撃全てを受け止める。それで『障壁』も崩れ去るものの、青鬼の体勢は万全のそれだ。
「ちっ」
舌打ちを漏らして、ヤマトはバックステップする。
間合いが離れたところで、溜め息を漏らす。青鬼はヤマトに追撃を仕掛けるつもりもなかったようで、ノアのみを凝視している。
「ヤマト、怪我はない?」
「おかげでな」
答えながら、ヤマトの口内に苦い味が広がる。
薄々感づいていたことだったが、ヤマトでは青鬼と相対するのは実力不足なようだ。刀術で渡り合う自負はあるつもりだったが、青鬼の速すぎる魔導術を前にして、手も足も出ていないのが現状だ。
それは、青鬼の方も同様の見解だったのだろう。
「いやはや、君たちは素晴らしいね。狙いも的確で判断も速い」
「そう? それはよかった」
「だからこそ、惜しい」
鬼面の奥から覗ける金色の目が、ヤマトの顔を射抜く。
「体術と刀術の心得はあるらしい。確かに、その二つは鍛えれば更に伸びそうだ。――でも、魔導が使えない時点で、全部無駄だ」
「………ッ」
「君自身も分かっているんだろう? 生涯を賭けて鍛え抜いた君の刀術は、僕の魔導術に抗うことも難しい。魔導を使わない戦いならば、強いのかもしれないけどね」
現実として、この世界には大気中に魔力が充満し、それを利用する魔導技術が発展している。適性がある人間ならば、魔導術を行使して不可思議な現象を引き起こす。魔導を扱う人間こそが一般的であり、ヤマトのように魔導への適性が低い者の方が珍しい。
「今の君がやってるのは、ただのおままごとだ」
「言ってくれるな……!!」
「そうでないと言うなら、証明してみればいい」
言いながら、青鬼は地面につけていた足を初めて動かす。
左足を半歩前に出して、右手を天へ掲げる。
「――剣よ」
呟くと、青鬼の掲げた右手へ魔力が結集し、剣の形になる。教会の聖騎士たちも使うような、一般的な両刃の剣だ。
得物が見当たらない騎士だと思っていたが、魔導術で作り出す戦い方だったらしい。
「ここからは少し本気を出すよ。死にたくなければ、全力で抗うといい」
その言葉と同時に、青鬼の身体から闘気が溢れ出す。
かつて対峙した強敵たちが、比べ物にならないほどの強さだ。思わず、後退りそうになる。
「――やるぞノア!」
「了解! 全力で支援する!」