第84話
「二人ともお疲れ様! いい勝負だったよ!」
試合が終わるとすぐに、ヒカルとレレイに声をかけながらノアが飛び出る。
その後に続いて歩きながら、ヤマトとリーシャは先程の試合を振り返っていた。
「実際のところ、ヒカルの実力は俺の想像以上だったわけか」
「正しく想像するなんて、誰でも無理じゃない? 見た目も雰囲気も、そんなに強そうじゃないんだし」
「加護持ちの厄介なところだな」
本人自身の能力とは言いがたいためか、加護によって強力な存在となっていても、その身にまとう雰囲気が一般人と大差ないということはよくある。目で見て相手の強さを測るタイプの戦士からすれば、厄介なことこの上ない性質と言えよう。ほとんどの加護持ちは、それでもまだ理解可能な強さの範疇に収まり、鍛え上げた戦士の方が強力であるから、そこまで危険視はされていない。だが、ヒカルが持つ時空の加護ほどに強力なものになってしまえば、話は別だ。
今回の試合を提案したとき、ヒカルの実力を測るという目的は二の次にしていたところがヤマトにはあった。ヒカルとレレイの関係進展を期待していたことが理由の一つ。加えて、幾ら聖地で鍛錬したところで、ヒカルの実力の伸び具合は大したものではないだろうと高をくくっていたことが理由だ。アルスの街での勇姿を目の当たりにしていたから、これ以上の成長はしないだろうと、無意識に思い込んでいたのかもしれない。
――否。もっと根本的な部分にも原因があるか。
(俺は、ヒカルのことを下に見ていたわけか)
ヒカルが強力すぎる加護の持ち主であり、それを使えばヤマトが及びもつかないほどの戦果を挙げられることは理解していた。それでも、長年武術を修めてきたという自負からか、直接対峙したならばヒカルに劣りはしないだろうと、思い込もうとしていたのかもしれない。
武の道に費やしてきた時間が違う? それが何だ。現実として、今のヒカルはヤマトを隔絶するほどの実力を有している。
「鍛え直さなくてはな」
「ヒカルと張り合うつもり? ちょっと無理じゃない?」
「やらねば分からないだろう」
リーシャも、ヤマトの思いを無為にしたいから、そう口にしたわけではないだろう。聖地で長いことヒカルを指導してきて、ヒカルの実力がどれほどの高みにあるかを知ってしまったがゆえに、それに挑もうとするヤマトの敗退を予期してしまった。その無念でヤマトの心が折れてしまわないかと、咄嗟に心配してしまったのかもしれない。
大半の武道家に、その懸念は的中するだろう。あまりに高すぎる壁を目の当たりにしてなお、意気を保てるほどには、人の心は強くない。現実的に越えられる壁を段々と積み重ねて、いつしか高みに至ろうとするのが、賢いやり方だ。
とは言え。
(俺は、バカらしいからな)
いつだったか、ノアが語ったことを思い出す。
目的のための近道を選べるほど、ヤマトは賢くない。それは自他ともに認めるところだ。その反面、愚直なまでに目的に向けて突っ走れるのが、ヤマトの美点だとノアは言ってくれた。その道の効率や遠近など度外視して、ただ我武者羅に走り続ける。それが、ヤマトにできることだ。
大陸各地を巡り、様々な武道家と出会って試合をした。そのほとんどに勝利を収めたからか、自分は強いのだと勘違いをして、ここ最近は中途半端に賢しくなっていたらしい。
一気に目が覚めた気分だ。
「――ヤマト? どうかした?」
ノアの声に、ヤマトはふっと我を取り戻す。
身体の血が騒いだためか、無意識の内に闘志が漏れ出ていたらしい。そうしたことに鈍いヒカルはともかく、他三名は訝しげな視線をヤマトに向けていた。
「いや、何でもない」
「ふぅん? 別にいいけど」
闘志を引っ込めれば、ノアたちもすぐに視線を戻してくれた。
「レレイ、身体は大丈夫? だいぶ派手に吹き飛んでいたけど」
「多少痛むが、そのくらいだ。問題ない」
正直に答えたレレイの言葉に、ヒカルがうっとたじろぐ素振りを見せた。
「す、すまない。加減ができなかった」
「気にすることはない。そのくらいには、私も戦えたということだろう?」
「勿論だ! 強かったぞ!」
ブンブンと兜を縦に振り回すヒカルの姿に、レレイはふっと笑みを零す。
「それでも、私の思う以上に実力差があったようだったな」
「無理もない。加護の力の大小を測るなど、不可能に近いからな」
ヤマトに告げたのと同じ言葉をリーシャが口にすると、レレイは微笑みを浮かべながらも、明確に首を横に振った。
「大陸という広い舞台で、勇者として活躍している。そんな者が、辺境の島に閉じこもっていた私に劣るはずはない。少し考えれば、すぐに分かりそうなものだ」
「それは……」
「とは言えだ! 次やるときも負けるつもりはない!」
敗北のダメージは残っているだろうに、レレイは高らかにヒカルに宣戦布告する。それと同時に、ピリピリと心地よく肌を刺激する闘志が溢れ出る。
それを受けたヒカルも、思わず身体を硬直させながら、コクリと頷いてみせる。
「分かった」
「それでいい! そうと決まれば、早速鍛錬しなければっ!?」
言いながら立ち上がろうとしたレレイは、中腰の姿勢で身体を硬直させる。次いで、表情がひきつり、額に脂汗が滲む。
「無理しちゃ駄目だって! 結構いい一撃入ってたんだし」
「しかしだな……」
「とりあえず、治療が先だね。上に行けば、さっさとできると思うけど」
「なら、私が運ぼう」
そう言って、ヒカルはひょいとレレイを担ぎ上げた。レレイの背と脚を支えた、いわゆるお姫様抱っこなる体勢だ。こうした動きがひどく似合っている辺り、ヒカルも勇者稼業が板についてきたようだ。
「お願いできる?」
「お安い御用だ」
「私を無視して話を進めるのか……」
ぼやくレレイを無視して、ノアに見送られたヒカルが颯爽と試合場を昇っていく。
その背中を見送りながら、ヤマトとリーシャは苦笑いを浮かべるしかない。
(一応、当初の目的は達したことになるか?)
望外の収穫もあったが、ヒカルとレレイが打ち解けるきっかけにはなってくれたらしい。
そのことに、ヤマトは内心で頷く。
「まさか、あの子もあんな風に言い出すなんてね」
「あぁ、ヒカルに挑戦状叩きつけたこと?」
「えぇ。正直、あそこまでの強さは引かれるかなとも思ってたんだけど」
リーシャとノアの会話に耳を傾ける。
彼女からすれば、ヒカルに手痛い敗北を喫したレレイが即座に闘志をみなぎらせていたことが、それなりに衝撃的だったらしい。
「あぁ。まぁ、何と言うか。レレイってヤマトと同種の人間だから」
「そうなの?」
「うん。単純思考で、思ったことを意地でも曲げない頑固者な辺りとか、特にそっくり」
「おい」
堪らずヤマトが声を上げれば、ノアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。リーシャに至っては「なるほどね」と素直に感心してしまっている有り様だ。
「島にいたときは色々重石があったみたいだけど、出てからはそんなものもないからね。どんどんヤマトに似てきてるよ」
「そんなことはないと思うが」
「あるって。まぁ、今のレレイは好奇心が凄い強いみたいだけど」
ヤマトも、冒険者らしい好奇心旺盛さは持っているものの、それも一般的で収まる程度のものだ。それと比べれば、レレイの持つ好奇心は遥かに大きいと言っていいだろう。
何と答えればいいか分からず、ヤマトは微妙な表情で口を閉ざす。
「さて。いつまでもここにいても仕方ないし、僕は上に行こうかな。二人はどうする?」
「私はヒカル様の元へ行くわ。これでも、指導役なんだし」
「俺は残る」
ヒカルとレレイの戦いを目の当たりにして、未だに気が昂ぶっている。素振りを始めとする鍛錬をしなければ、どうにもこの気持ちは鎮まりそうになかった。
そんなヤマトの心地を察知したのか、ノアは頷く。
「分かったよ。じゃあリーシャさん、僕たちは先に――」
「待て」
ヤマトは咄嗟に声を上げた。
訝しげな表情を浮かべるノアとリーシャに答えないまま、ゆっくりと辺りを見渡す。
(何だ? この感覚は……)
辺りには何もない。先程までと変わらず、無人の鍛錬場が広がっているばかりだ。にも関わらず、ヤマトの背筋を言いようのない悪寒が駆け巡る。行き先のない不安感が胸中で膨らみ続ける。
(どこだ? いったいどこから――)
ふと、天井を見上げる。
「――上か?」
そんな、半ば当てずっぽうなヤマトの言葉に答えるように。
特大の爆音と衝撃が、聖地にいるヤマトたち全員の身を襲った。