第83話
「初撃は防いだか」
「ヤマトが念押ししたからかな。初見の相手に油断するなんてところは、まだ課題だね」
「元はただの市民だったらしい。ある程度は仕方ないだろう」
試合場では、ヒカルとレレイが真剣な眼差しで対峙している。
その姿を脇から見つめながら、ヤマトとリーシャは話を続けていた。
「レレイって子、ずいぶん動けるみたいだね」
「生まれつきの身体能力に、魔獣と組み合って身につけた技だな。正直、かなりやりづらい」
ザザの島に安置された鏡の守護という役目を外されたレレイだったが、その身体能力が陰るようなことはなかった。依然として、人間離れした身体能力の持ち主であり、島暮らしの中で身につけた数々の技を過不足なく発揮できている。
元々は自身の感覚頼りのみで身体を動かしていたレレイだが、ザザの島を出てアルスへ戻ってくるまでの間に、ヤマトが少々の手ほどきをしたおかげで、ある程度理に適った動きもできるようになっている。刀の間合いから更に内側に入り込まれては、ヤマトもレレイに渡り合えるかは五分五分なほどだ。
だからこそ、ヒカルが至近距離でレレイの攻撃を対処し続けていることには、驚きを禁じ得ない。
「時空の加護の恩恵、未来視の力か。やはり無茶苦茶な能力だな」
「未来視と言っても、完璧ではないようだけどね」
「ふむ?」
「相手の動きを強制させられるわけじゃないから。未来視を使ったヒカルの動きに対応して、とかだったら、予測結果から外れることもできるみたい」
明確なところは分からないが。
未来視の力で見通せるのは、未来視による運命改変が行われなかった場合の結果であり、未来視の持ち主には、その結果を改変する権利が与えられる。ただし、改変された時点で未来視での予測は意味をなさなくなるというところか。
「それでも充分すぎる気はするがな」
「そこには同意」
ヤマトとリーシャが呑気な会話をしている間にも、試合はどんどん動いていく。
開幕でこそ先手を奪ったレレイだったが、その勢いは一度リセットされていた。
加護によって強化された身体能力を持つヒカルであったが、体術という点で見る限りはレレイの方に分があるらしい。天性の勘で変幻自在の打撃を繰り出すレレイに対して、ヒカルが未来視の力を総動員してギリギリ対処していく展開だ。ところどころでレレイもフェイントをかけているものの、ヒカルは徹底して守備に入っている。
「どう見る?」
「ペースを握っているのは、レレイって子の方。だけど、決め手には欠けている」
鋭い目で二人の動きを観察しながら、リーシャは口を動かす。
「このまましばらくは、レレイが攻め続けると思う。けど、体力勝負になったら、加護を持つヒカルに勝てる人はいない」
「まぁ、そんなところか」
このままヒカルがレレイの攻撃を対処し続ければ、必ずどこかでレレイは息切れを起こす。そうなれば、勝負はヒカルの勝利に終わるだろう。この結果を覆したければ、どこかで勝負に出るしかない。
そんなことは、戦っているレレイ本人が一番よく分かっていたのだろう。
「ふっ!」
掌打をヒカルの胸元目掛けて放った後、レレイの身体がグッと沈み込む。ほとんど地面に這うような体勢だ。
「仕掛けるか」
ボソリとヤマトが呟いた直後。
獣のような体勢から、レレイが一直線にヒカルの足元へ飛びかかった。
「投げ技!? そんなこともできたんだ」
「柔をもって剛を制す。基本の柔術だけだが、俺が教えた」
それは、ザザの島から帰る途中の航海でのことだ。
アオ――人化した成竜との戦いで、自分の打撃技が通用しなかったことをレレイは気に病んでいた。そんな彼女のために、膂力で劣る相手に勝つための技――柔術を指導したのだ。おかげで、余計にレレイの近距離戦適性は手がつけられないほどに高まってしまったのだが。
「打撃に対して守りを固める相手には、投げに行く。ど直球なくらいの正攻法だけど、だからこそ効果的ね」
感心するように呟くリーシャの声と同時に、ズドンッと鈍い音を立ててヒカルの身体が床に倒れ込んだ。どれほどの力を有していても、人の身体である以上は、どうしても抗えない方向の力というものはある。
崩された体勢を即座に立て直そうとするヒカルに対して、レレイはヒカルの脚の組みついたまま、身体を捻っていく。
「寝技か」
「あれもヤマトが教えたんだよね」
「さてな」
からかうような声を挟んできたノアは、適当にあしらっておく。
すぐ隣のリーシャからもじっとりと湿度の高い視線が飛んでくるが、無視に徹する。
ヤマトの視線の先には、技を決めようとするレレイに対して、必死に抵抗するヒカルの姿がある。ヒカルの膂力が強すぎるためにレレイは技を決め切れていないらしい。対するヒカルの方も、身にまとった甲冑のせいで柔軟な動きができず、膂力に任せてレレイを突き放せないでいる。
「膠着状態。ってことは……」
「体力勝負になれば、ヒカルの勝ちだ」
先程の打撃戦と同じ展開だ。
世界に数多の武術があろうとも、その全てで人の体力を重要視している一因が、この試合に表れていると言えよう。
「やはり、未来視破りが鬼門か」
未来視を破れない限りは、加護で強化されたヒカルと体力勝負をすることになり、勝ちの目がなくなる。
未来師を破ってダメージを積み重ねられなければ、戦いが始まらないと言っていいだろう。本当に、なんと厄介な戦士が誕生してしまったことか。
「む?」
そんなことを思い浮かべていたところで、レレイがヒカルから一度距離を取った。まだ不慣れな柔術では、決め手にはならないという判断か。
即座に体勢を立て直したヒカルに向けて、レレイはすっと腰を落として拳を構える。
「――ハッ!!」
空気がビリビリと震えるような掛け声と同時に、レレイは踏み出す。同時に、レレイの姿が残像だけを残して失せる。
「なっ!?」
「これは……!」
脇から見ていたヤマトたちですら、一瞬だけレレイの姿を見失ったのだ。正面から相対しているヒカルの方は、完全に見失ってしまったらしい。
ヒカルが惑ったように息を呑んだ直後、その背後に現れたレレイが正拳突きを繰り出す。思わずヤマトが溜め息を吐いてしまうほどの、拳法の理想形のような突きだ。
「ぐぅっ!?」
「ここで決める!」
勢いよく宣誓したレレイは、再び姿を消す。
ヒカルの視界に入らず、強化された能力でも反応できない速度での連撃。それに対して、ヒカルは為す術なく守りを固め、必死にダメージを軽減させようとしている。
「未来視破りの一つか」
「ヒカルの視界に入らなければ、いくら未来視を使っても察知しづらくなる。加えて、察知しても反応できない速さの攻撃ってわけね」
ヤマトとリーシャは感嘆し、溜め息を漏らす。
強力な未来視の能力だが、それは使用者の視界に依存している。視界で捉えられない範囲でのことを察知することは、流石にできないというわけだ。
レレイがそのことを知っていたとは思えないが、ヒカルの目が怪しいとは考えたのかもしれない。だからこそ、ヒカルの視界を避ける動きに徹している。
「勝負決まったか?」
思わず、ヤマトは呟く。
レレイの切り札とも言える超速の連撃に対して、ヒカルはまるで対処できていない。ここから対応するには、ヒカルには経験値が不足しているように見えた。
そう考えたヤマトに対して、リーシャはゆっくりと首を横に振る。
「いや、まだね。ヒカルの加護は、こんなものじゃないもの」
「ふむ?」
小首を傾げたヤマトの視線の先で、それは起こった。
積み重なるダメージに焦りを募らせたヒカルが、何か覚悟を決める表情になる。それを悟ったレレイは、一気に畳み掛けようと攻撃の手を速めようとする。相変わらずの、凄まじい踏み込み。
直後。
ヒカルの身体が、その場から失せた。
「………は?」
一瞬だけ意識の間隙が生まれる。
慌てて視線を巡らせてみれば、試合上の壁際に、ヒカルの姿があった。その距離およそ二十メートル。移動の動作どころか前兆すらも、まったく掴めなかった。
「あれ、凄いでしょ?」
「凄いどころではないが」
思わず言い返したヤマトに対して、リーシャもしみじみと頷く。
「瞬間移動。短距離転移。呼び方はまだ決まってないけど、ヒカルが目視した場所に一瞬で移動する力ね」
「それも加護か」
「そう。それに、まだこれだけじゃない」
何らかの代償があるのか、微妙にヒカルは身体をふらつかせている。
戸惑いの表情をしながらも、レレイは再び拳を固めて構える。瞬間移動がそれほどに体力を消費する技ならば、数度繰り返してやれば、また元の形に戻すことができるという考えか。
ヤマトの想定通り、レレイの身体が再び失せる。残像を残し、気配の濃淡と速度の緩急を織り交ぜた、対峙する者を幻惑する動き。
対するヒカルは、剣を構えたままレレイを待ち構え――高速で迎撃する。
「む?」
「気がついた?」
声を漏らしたヤマトに、リーシャは問うような視線を向けてくる。
それに曖昧に頷きながら、ヤマトは口を開いた。
「ヒカルの動きが急に速まった。反応もか? 身体強化で説明できないほどだな」
「正解。タネ明かしをすると、あれは使用者の高速化だったかな。周りのもの全部が遅くなって、自分だけ速くなるんだとか」
それを聞いたヤマトは顔をしかめる。
無茶苦茶な加護だと常日頃から散々に思ってきたが、今日の衝撃はそれを遥かに上回っている。無茶苦茶で片づけていいレベルを越えて、人の枠を遥か後ろへ置き去りにしてしまったかのようだ。
「デメリットもあるみたいだけど、無茶苦茶なのは間違いないわね」
言いながら、リーシャはやれやれと肩をすくめる。
ヤマトも言いたいことは数多くあるが、ひとまずヒカルとレレイの勝負はこれにて決着だろう。消耗の激しそうなヒカルではあるが、レレイの方は予期せぬ反撃を直撃して、完全に目を回してしまっている。
「――勝負あり! 勝者はヒカルだ!」
その宣言と共に、ヒカルがホッと肩を下ろす姿が目に入る。
目を回したレレイに駆け寄るノアの姿を見送りながら、ヤマトは脳内で、どうすればヒカルの加護を打破できるかを延々と考え続けていた。