第8話
王都と名がつくだけあって、グランダークの周囲は大半が開拓され切っており、魔獣が住み着けるような場所はひどく限られている。グランダークの守護兵も精力的に王都周辺の巡回を行い、適宜魔獣の駆除活動を行っているため、年々魔獣の生息地域が縮小しているのだ。
ヤマトとノアに勇者の三人は、グランダークを出て三十分ほど歩いた場所に広がる森へと到着していた。
「ここの魔獣が溢れ出してるって話だよね」
「ああ、そうなる」
確認するノアに勇者は首肯する。
それなりに深く茂った森ではある。しかし、頻繁に人が出入りするような場所だからか、自然と道のような形に背の低い草が踏み固められている跡もチラホラと伺える。これくらいの規模ならば、森よりは林と言った方が適切かもしれない。
陽の光も細く入り込み、森の中は存外に視界が開けている。見渡す限りでは獣の姿はなく、平穏そのものであった。だが、ヤマトはすぐに異常に気がつく。
「……静かすぎる」
耳を澄ましても、鳥や虫の鳴き声すら聞こえない。風に吹かれた草が擦れ合う音が微かに聞こえるばかりだ。
「確かに異常事態だね」
同じことに気がついたノアも、首肯しながら油断なく目を巡らせている。
勇者から持ちかけられた話のように、この森に至るまでの道中では、これまでにないほどの数の魔獣と遭遇した。そこでの騒がしさと比べると、この森は不気味と言えるほどに静まり返っていた。緊張感が張り詰めたような静けさではなく、この森には既に生きるものがいなくなってしまったかのような静けさだ。
「これは、本腰入れて探索した方がよさそうかな」
「場合によっては応援を呼ぶ必要もある」
嫌そうな顔をするノアだが、その雰囲気は引き締まっている。
「教会の戦力は借りられないの?」
「……難しいだろう。あちらも王都守護の手配で手一杯のはずだ」
何かを言いよどむような雰囲気の勇者に、ヤマトとノアは無言で目を見合わせる。
「最初から弱気になっても仕方ないか。あまり大事になってないことを祈りつつ、探索してみるしかないね」
「用心はしていこう」
首肯したヤマトは、一歩森の中へ足を踏み入れる。あまりに静まり返った森の入り口が、獲物を今か今かと待ち構える魔獣の大口のようにすら思えてくる。
それに続いて歩くノアの表情も微かに強張っている。天性の勘とでも言うべき察知能力を持っているノアは、ヤマトが感じている以上のプレッシャーを感じているのかもしれない。
二人の様子にあてられたからか、勇者の雰囲気も緊張しているように思える。
「――そういえばさ」
張り詰めた雰囲気を嫌ってか、ノアが唐突に声を上げる。その視線は勇者へと向けられていた。
「異界から聖地にやって来たって話だけど、あれって本当なの?」
「……ふむ」
ノアの言葉に、勇者は何事かを考え込む。
武術大会で勇者と相対するまでであれば冗談だと笑い飛ばせていた。だが、その加護の強力さを身をもって知ったヤマトには、そうした逸話もあながち間違ってはいないのではないかという思いが拭えなくなっていた。
興味をひかれたヤマトが耳を澄ませると、考え終えた勇者が口を開く。
「一応、教会から口止めはされているが、お前たちならば問題ないだろう。確かに、私は異界からここへやって来た」
「おぉ!!」
薄々直感はしていたが、改めて本人の口から聞かされると驚きが隠せない。
先程までの張り詰めた空気はどこへ行ったのやら、好奇心に満ち溢れた様子のノアは立て続けに質問する。
「異界っていうのはどんな場所なんだ? 伝承だと、魔導がない世界なんだって話もあるけど」
「ああ、確かに魔導はなかったな。その代わりに科学が発達している」
「科学か。確か帝国が研究している技術だよね。魔力を使わない技術だから使い道は限られるけど、逆に精霊の力にも依存しないって話の」
よく知っているなとノアの知識に感心させられる。さも一般常識であるかのようにノアは呟いているが、その全てをヤマトは聞いたことがなかった。
「魔力や精霊の話はよく分からないが、それらは存在しないとされていたな。だからこそ、科学が栄えたのだろう」
「魔力がない世界か。想像がつかないね」
「こちらからすれば、魔力などというものが存在するこの世界が信じられないくらいだが」
兜で素顔は見えないが、勇者が苦笑いをしているような雰囲気を感じる。
「山や森に獣は住んでいたが、魔獣などというものはいなかった。かつては人同士での争いもあったと聞くが、私が生きていた頃には無縁の代物だったな」
「戦いが無い世界。いいねそれ」
「科学が発展しすぎたあまり、もう一度戦えば世界が滅ぶという話もあったな」
世界を滅ぼすような争い。まるで神話の出来事のようなそれは、ヤマトには想像もつかない。
故郷のことが懐かしいのか、勇者はこれまでになく饒舌に喋り続けている。
「戦いのため以外にも科学は使われていた。むしろ、そちらの方が本来の使い方だったのだろうがな。私が住んでいた国には、どこに行くにも電車――鉄道を使うのが当たり前だった」
「へえ! ここじゃ鉄道はせいぜいたまに使えるくらいだからなあ」
「私からすれば、こちらに鉄道があることが驚きだ。水道や空調も整っているから、住みやすさはあまり変わらないはずだ」
水道に空調。どちらも比較的最近になって開発された代物であるが、その効果の高さから急速に普及が進められた。今では、スラムと見間違うような貧民街でもない限りは、どこの家にでも備わっている。
「実を言うと、開発に私がいた世界の者が関わっているのではないかと密かに考えているのだ」
「どれも帝国で開発された技術だね。部署は全部違ったはずだけど」
「ふむ、では外れか。手がかりになるかと思ったのだが」
手がかり? とヤマトとノアが同時に小首を傾げると、勇者は苦々しい様子で黙り込む。どうやら、あまり触れてほしくない話題らしい。
「じゃあ、こっちに来た時も案外スムーズに馴染めたりしたのかな」
「ああ。ここに来てすぐに教会に保護されたが、ひとまず生活を大きく変えるようなことはなかった。そこは安心している。むしろ、あまり違いがないことに驚いているくらいだ」
言いながら、勇者はヤマトとノアの手元にあるトランクに目を向ける。悪路を歩く冒険者のために車輪が大きめに調整されているが、概ね一般に流通しているものと同じトランクだ。
「これが気になる?」
「ああ。私の世界でも使われていた鞄だ」
「これも帝国製のものだね。結構な量が入る割に持ち運びが簡単。結構硬い素材で作ってあるから、いざという時に盾代わりにもできるってことで、冒険者だけじゃなくて傭兵にも人気だよ」
「魔獣の甲殻を混ぜているらしい。詳しくは知らないが」
正確には、魔獣の甲殻を砕いて板状に整形しているのだったか。そのおかげで、軽い割に衝撃に強く、更に魔力を弾くようにもなっているらしい。竜種の攻撃でもなければ受け切ってみせると店が太鼓判を押すほどの商品だ。
「興味があるならグランダークで案内しようか?」
「そうだな、是非お願いする」
いずれも帝国製の商品なために、帝国本土と比べれば品揃えはよくない。それでも、王都と言うだけあって、グランダークにもそこそこに帝国の商会が出店しているのだ。日常生活で使う分くらいならば、容易に揃えられるだろう。
そんなことを考えるヤマトに対して、ノアは鼻歌を歌い出しそうなほどに上機嫌だ。どさくさに紛れて更に勇者と行動を共にする約束を取り付けられたことに、満足しているのだろうか。
「……そういえば、自己紹介がまだだったな」
「うん?」
ヤマトとノアは互いの目を見合わせ、やがて得心する。
「大会のときに名乗っていたナナシというのは偽名だ。本名は……そうだな、ヒカルという。正確にはそれに性がつくのだが、名はヒカルだ。教会からの要請で顔は隠すことになっている。そこは許せ」
「それじゃあ知ってるだろうけど、僕たちの方も。僕はノア、冒険者だ」
「ヤマト、同じく冒険者だ」
互いに名乗り合ってから、妙な気恥ずかしさに笑みが漏れそうになる。
勇者の方もそれは同様なのか、少しすっきりとした様子で頷いた。
「今更だろうが、よろしく頼む、ノアにヤマト」
しばし、和やかな空気が流れる。
ノアと勇者ヒカルの口が止まった辺りで、ヤマトは前方奥の茂みに視線を飛ばす。
「――そろそろ出てきたらどうだ?」
「……やれやれ、気づかれていたか」
驚くようにヤマトの視線の先を見つめたノアと勇者の先で、茂みをかき分けて一人の男が姿を現した。
身の丈はヤマトとほぼ同じ程度。平均よりもやや高い程度だ。だがその割には、全身余すところなく蓄えられた筋肉が目立ち、巨大であるかのような印象を周囲に振りまいている。くたびれた革鎧を身にまとい、背中に巨大な剣をかけている。
「傭兵か。盗み聞きとは感心しないな」
「悪い悪い。声かけようとはしたんだが、話の邪魔しちゃ悪いと思ってな。ちょいと待ってたんだ」
男に話しかける勇者の横で、ヤマトは男の姿を注意深く観察する。
一見すれば、ただの中年傭兵。ボサボサの無精髭や、だらしなく着崩された服などもその印象を加速させている。――だが。
「どうしてこの森に?」
「魔獣退治の依頼さ。ただまあ、見ての通り獲物が見当たらなくてな。そろそろ帰ろうかと思ってたところだ」
今朝の時点で、グランダーク周辺に森の魔物が溢れ出したという情報は出回っていた。だとすれば、この男は数日前から森にいたのだろうか。それにしては、荷物を何も持っていない、ずいぶんと身軽な様子だが。
ヤマトと同じく不審な点を感じ取ったのか、勇者の声の調子は固くなっている。
「ならば、早く出て行った方がいい。今のグランダークでは騒ぎが大きくなっている。あまり不審な様子を見せると、問答無用で連行されるぞ」
「それは怖い。忠告通り、おっさんは退散するとしようかね」
肩をすくめて、男はヤマトたちとすれ違っていく。
その背中を見送りながら、ヤマトは口を開いた。
「あんた、名前は」
「あん? あー……悪いな。職業柄、本名は教えないことにしてんだ」
契約によって雇い主と戦場を変えていく傭兵にとって、個人情報の価値はひどく重い。下手に知られれば、家族を人質に捨て駒同然の契約を結ばされかねないからだ。ゆえに、傭兵が自分を示すときには、名前とは別のものを使うのが常識だ。
そのことを思い出しながら、ヤマトは頷く。
「では通り名の方は」
「……『剛剣』だ」
「『剛剣』か。分かった、気をつけて帰るといい」
言われて、『剛剣』はひらひらと手を振りながら立ち去っていく。
やがて遠くなるその背中を目で追いながら、ノアは小声で呟いた。
「行かせてよかったの?」
「さてな。だが、やり合うにはこちらの準備が整っていなかった」
「今の男はいったい? 『剛剣』と名乗っていたが」
要領を得ないという様子の勇者が尋ねてくる。
「ヒカルも気づいたと思うけど、明らかに怪しいよね。少なくとも、言う通り傭兵ではなさそう」
「……まさか、魔族か?」
「見た感じは人間に見えたけど、変装用の魔導具を使っていたら分からないかな」
可能性はある、としか今の段階では言えないだろう。
「『剛剣』の名は嘘だね。確か本物の『剛剣』は、ここから南部の王国で雇われていたはず」
よく知ってるなとノアに視線を向ければ、得意げな笑みが返ってきた。
「偽名に身分詐称。連行するには十分だと思うが」
「まあそこには同意だけど……」
続きを促すように、ノアはヤマトに目を向ける。
「今この場でやるには、相手が悪い。『剛剣』の名を騙っていたが、それに恥じない程度には手練れだ」
足運びや体捌きの他に、視線の動きや間合いの取り方などからそれは把握できる。『剛剣』を名乗った男は、常にヤマトの間合いから一歩外れたところに陣取り、視線でその動きを牽制していた。ふらふらと手持ち無沙汰に見えても、右手は即座に抜剣できるように最低限の力が込められていたように見える。
それほどの手練れを相手に戦うには、木々に囲まれたこの場所はヤマトにとっては不都合だった。障害物が多すぎて刀を満足に振り回せないことに加えて、視界が悪すぎる。『剛剣』との戦いの最中にどこかから横槍を入れられたとしても、即座に反応することは困難であっただろう。
「それに、もしかしたら本当にただの挙動不審な傭兵だったのかもしれない。即座に斬り捨てるわけにもいくまい」
「それもそっか。なんか色々なところで後手に回ってるような気がしてくるよ」
きっと、それはノアの言う通りなのだろう。そも、魔王軍の目的が王都グランダークの陥落なのに対して、こちら側の目的はグランダークの防衛なのだ。古来より、受け手よりも攻め手が主導権を握れるものだと相場が決まっている。
そのことを知っているからこそ。そして、なんとかして先手を取ろうとするからこそ、全てのことが疑わしく思えてくる。
「なるべく早くこの森の異変を解決する。それしかないだろう」
「同意。てわけでヒカルも、それでいいかな?」
「……ああ、分かった」
ヒカルの方は何かが引っかかったような様子であったが、やがて頷く。
先程までは少し明るく思えた森の中が、心なしか暗さを深くしているように見えた。