第63話
「ここは物置きか」
レレイの背中を追って歩き続けて、しばらく。
家へ戻り、もはや見慣れた居間を抜けた先。普段は物置きとして使っているという部屋にヤマトとレレイはいた。
「ここに獣の毛皮や外の貨幣を仕舞っている。客人はここには通さないようにしているから、ヤマトも来るのは初めてだろう?」
「あぁ。軽く見た程度だな」
防犯意識が今一つ薄い人々が住んでいるから、日頃の生活で中を伺える機会は割と多い。
一応、ヤマトとノアも配慮して極力目を通さないようにはしているのだが、それでも見えてしまうものはある。
本人の許可も下りているということで、改めて物置きに入れてある品々に目を通す。魔獣の毛皮をなめしたらしきものや、大陸で一般に流通している貨幣。長期保存用に作られた干物に、外から持ち込まれたらしい香辛料など、品物の種類は多岐に渡っている。
「……そうマジマジと見ないでほしい。あまり整理は得意ではないのだ」
「ふむ? すまない」
少し居心地悪そうなレレイに頷いて、ヤマトは観察していた目を逸らす。
確かに、その部屋は物置きという名に相応しい有り様で、多種多様な品物を雑多に放り込んでいるらしい。これでは本人も何を入れたのかを思い出せないだろうと心配にはなるが、案外何とかなっているのかもしれない。
ヤマトが観察を止めたことで落ち着いたらしいレレイは、深呼吸をしてから、物置きの奥へ足を踏み入れる。そのまま、雑多に積み込まれていた荷物をかき分けていく。
「奥に何かあるのか?」
「あぁ。そこで、先に言った説明をしようと思う」
その口振りから察するに、奥にヤマトの知らない部屋があるのだろう。
手持ち無沙汰なままに辺りを見渡したヤマトは、思い出したように口を開く。
「ノアは連れてこなくてよかったのか?」
「うむ? そうだな……」
まだ朝早い時間ということもあって、ノアはどうやら就寝中らしい。普段ならば起き出している時間のようにも思えるが、正しく新天地と言うべき地での生活に、人知れず心労が募っているのかもしれない。
起こしてこようかと考えたヤマトに、レレイはしばし考えた後、首を横に振る。
「すまない。ひとまずヤマトにだけ話しておきたい」
「そうか」
ずいぶんと信用されたらしいと、少し意外に思う。人当たりのよさはノアの方が圧倒的なため、人と仲よくなりやすいのもノアの方なのだが。
ザザの島に流されてから、毎朝共に鍛錬してきたのが効いているのかもしれない。一度刃を交えた相手には遠慮する方が難しいという感覚は、ヤマトにも覚えがある。
そう納得して、ヤマトは一人静かに頷く。そうこうしている間に、レレイは荷物をかき分け終えたらしい。ようやく見えるようになった床の先に、地下へと続く階段が姿を現していた。
「隠し部屋か?」
「似たようなものではあるな」
苦笑いしながら、レレイは階段を下りていく。
ザザの島で暮らす者たちの家にはたいてい地下室が作られているという話だったが、レレイの家における地下室が、この先の部屋なのかもしれない。
他方で浮かんでくる疑問もある。一般に地下室は物資の保管目的で使われているらしいが、レレイの家ではヤマトたちが今いる物置きが作られている。ならば、この先の地下室はどのような目的で作られたものなのだろうか。
ムクムクと湧き上がる好奇心に衝き動かされるに任せて、ヤマトは階段の先を覗き込み――息を呑んだ。
「これは……っ!?」
「もっと奥へ入ってきてくれ。そこでは説明しづらい」
戸惑う心地のまま、レレイの言葉に頷いてヤマトは地下室へ足を踏み入れる。
人類未踏の秘境という言葉が似合うザザの島。その地上に住む人々の生活は、一歩外から見れば蛮族と言われても仕方ないの有り様だった。生粋の帝国人であるノアからすれば、馴染むことも難しい文化だっただろう。
それに比べると、今ヤマトとレレイの目の前に広がっている光景は、異質の一言に尽きた。
「古代文明の遺跡か」
「ふむ。やはり、外の世界にはここと同じような場所があるのだな」
どことなく嬉しそうにレレイが言う。
古代文明。遥か彼方、それこそ神話の領域にまでさかのぼった頃に世界に広がっていたという文明のことであり、魔導技術が発展した現代でも及びもつかないほどの、高度な技術が普及していたという。現代でも時折発見される、魔導技術では到底説明のできない道具や遺跡などは、大抵が古代文明のものだと結論づけられている。
要するに、現代人には理解不能な遺物は全て、古代文明の遺産として扱われる。その意味でも、目の前に広がる“それ”は、古代文明の遺跡と言えるだろう。
広さはちょうど真上の物置きと同じくらいの部屋。床や壁は全て同じ材料――鉄のように硬く滑らかでありながら、鉄独特の冷たさが感じられない――で作られており、武人として鍛え上げられたヤマトの感覚でも水平だと思えるほど、均一に均されている。それだけでも驚くべき技術だと言うのに、その床や壁には継ぎ目が一つもなかった。まるで、一つの巨大な岩ないしは鉄を真っ直ぐに切り出したかのような床は、鏡のように美しく光を反射し、覗き込むヤマトとレレイの顔をそのままに映している。
装飾の類は何一つないものの、ただ鏡のような床と壁があるだけで、一つの芸術品のような美しさが感じられる。その威容を前にして、ヤマトは思わず目を見開く。
「見事なものだ」
「あぁ。確かに、美しくはある」
どこか引っかかる言い方に、ヤマトはちらりと視線をレレイに向ける。
その視線には応えないまま、レレイは広間の中心に設置されている台座を指差した。
「それは?」
「『水竜の鏡』と呼ばれている。私たちの先祖が代々継いできた至宝だ」
レレイの先祖。すなわち、歴代の水竜の巫女が受け継いできたということか。
傍目からでは、ただの台座にしか見えない。床や壁に使われているのと同じ材料で作られているらしく、不気味なほどに滑らかに床から生えた台座だが、その平らな上面がぼんやりと青い光を放っている。
レレイに促されるがままに歩み寄ったヤマトは、台座の上面を覗き込む。そして、そこに映し出されているものを見て、再び息を呑んだ。
台座のほとんどが青色の光を放っている。しかし、ところどころに虫食い穴の如く、緑色の丸印が浮かび上がっている。まるで星空を映したかのような図面だが、つい最近に見た覚えがある。
「これは……」
「分かるか?」
問われて、しばらく黙考。すぐに答えに思い当たる。
「ゴズヌに渡した地図に似ているな。だとすれば、これは周囲の海域の地図か?」
「ご明答だ。つけ加えるならば、この図は刻一刻と変化する。紛れもなく、空からここを見下ろした図ということだ」
思わずその図を凝視するが、特に動いている様子は見えない。
しばらく目を細めていたヤマトに、レレイはふっと小さな笑みを零した。
「例え魔獣が高速で走り回ろうと、この鏡に浮かび上がらないほどの些事にすぎない。だから、そうそう変化することはないさ」
「期待させたならばすまないな」と言うレレイに、ヤマトは気にしていないと首を振る。
「私たち巫女の役目は、この場所を守り、鏡を受け継いでいくこと。そして毎日観察を続けて、島に異変が及びそうならばそれを退けること」
「ふむ」
天上から監視しているようなものなのだ。確かに、異変を察知するにはこの上ない道具であろう。
ふと、ヤマトの頭にとある可能性が浮かぶ。
「では、俺たちが襲われたときのことは……」
「見えていた」
「やはりか」とヤマトは思わず頷く。
「実はその数日前から、鏡に異変が映っていた。だから、目を離さないようにしていたのだ」
「異変?」
さっと鏡の表面を撫でるように視線を巡らせるが、そこに映し出された図は平穏そのものだ。
そんなヤマトの様子に苦笑いを零して、レレイは首を振る。
「二日前――ヤマトたちを拾った日の朝を最後に、跡形もなく消えてしまった。結局、原因は分からないままだ」
「そうか……」
ならば、その鏡に映っていたものこそが、ヤマトたちを襲った張本人なのだろう。
そのまま考え込もうとしたヤマトだったが、すぐに思考を止める。
「すまない、話を止めてしまったな」
「構わない。そろそろ本題に入るとしよう」
言われて、気を引き締める。
本題。すなわち、昨日のレレイが著しく調子を乱した理由だ。
どこか愛おしいようで恨めしいような感情を秘めた瞳で、レレイは鏡の表面を指先でなぞる。
「私の祖先がこの鏡を受け継いだことについて、とある伝説が残されている」
「そう大層なものではないがな」と前置きして、レレイは再び口を開いた。
「ちょうど今のヤマトたちと同じく、私たちの祖先も海を渡る途中、嵐に飲まれて漂着した者だったらしい。この島は正しく前人未到の秘境で、人の力だけで生きていくにはあまりに過酷すぎる環境だった」
それはその通りなのだろう。
ヤマトとノアはレレイの助けを得てこうして生き永らえているが、もし誰もいなかったとしたら、相当な絶望に呑まれていたはずだ。
「日々強まる飢餓と望郷の念に苛まれながら、どうにか毎日を生き繋いでしばらく。疲弊し切った祖先の前に、嵐をまとった竜が現れたらしい」
すなわち、その竜が今まで水竜として語り継がれた存在なのだろう。
嵐を率いて現れるという下りには少し覚えがあるが、ひとまず口は挟まないでおく。
「死に瀕した祖先と、嵐の中で竜はとある契約を結んだ。すなわち、私たち巫女が代々この鏡を守護する役目を負う代わりに、この島で生き延びるための力を授けるという契約だ」
「ほう」
レレイの言葉に、ヤマトは思わず声を漏らす。
「今ではほとんど失われた契約だ。この島でも、代々伝え聞かされてきた私か、よほど物好きな老人くらいしか覚えていまい。だが、確かに竜から与えられたという力は、私の身にも宿っているようだ」
どこか自嘲気味なレレイに、ヤマトは咄嗟に口を開きかけて、閉ざす。
「自覚していなかったが、ヤマトとノアに出会って気づかされた。私の力は、確かに異常だ。少々力が強いとか身体が動くからと説明できる領域は越えている」
それの否定はできないだろう。
大陸でそれなりに多くの武人を見てきたヤマトだが、レレイ以上に動ける者などはほとんど見たことがない。加えて、聞いたところによればレレイは特別な鍛錬らしい鍛錬も積んでこなかったというのだから、確かに生まれつき備わった部分は大きく関係しているのだろう。
「別にそれだけならば構わなかった。だが、昨日別の側面に気づかされてしまった」
いよいよ本題。
あまりにも不可思議な力で島に引き戻されるという現象を前にして、レレイが何を考えたのか。
「私は小さな頃から、島の外へ出るのが夢だった」
その言葉に、ヤマトは思わずレレイの横顔を伺う。
「もはや私の庭同然だった島から飛び出して、外の光景をもっと見たかった。この島にはない様々なことを、人伝てではなくて自分の目と耳で確かめたかった」
その心境は、冒険者を生業とするヤマトからすれば、理解に容易いものだ。
遠く離れた地の見たことがない景色に胸を踊らせ、好奇心のままに足を動かす。そんな冒険者のあり方は、レレイの望みを体現するようなものだっただろう。
「私には巫女という役目が課せられていたから、島から出ることは叶わなかった。それでも、いつかは島を出るのだと夢想してこの鏡を眺めた」
ヤマトからすれば、ただ点がポツポツと浮かび上がったにすぎない図面。それでも、島に縛りつけられる運命にあったレレイからすれば、貴重な外との繋がりだったのだろう。そのことを思い返してか、レレイの目には優しげな光が宿っている。
「この海の異変を目の当たりにして、ヤマトたちに出会った。二人には悪いが、天にも昇る心地だった。これで私も外へ出られるかもしれないと期待した」
そこまで聞いて、ヤマトはおおよその事情を察する。何も言えないまま、思わず視線を落とした。
「だが――駄目だったようだ。古の契約は今もなお強く働き、この島に私を縛りつけている」
「………」
昨日の不可思議な力は、その契約によるものなのだろうか。
すなわち、島を離れようとした当代の巫女――鏡を守る役目を放棄しようとしたレレイを、島に繋ぎ止めようとした。
「長年の夢想を打ち砕かれて、昨日は取り乱した。……だが、もう大丈夫だ」
「なに?」
思わずレレイの顔を見やって、ヤマトは息を呑んだ。
「元より叶わぬ夢と覚悟していたことだ。いざ現実を突きつけられたところで、何も変わりはしない」
そう言って鏡を見下ろしたレレイの横顔には、思わず目が離せなくなる危うさが入り混じっているようにヤマトには思えた。