第58話
「ほぅ……」
感心したようにレレイが溜め息をつく。
昼間。夏の暑い陽射しが照りつける中、村人たちと流れ着いた船員たちが一緒になって、村の広場で木材を組み立てていた。
「今のところは順調みたいだね?」
「あぁ。驚かされた」
言葉の壁こそないものの、ザザの村人と船員たちの間には高い文化の壁が立ちはだかっていたはずだ。しかし、今ヤマトたちの目の前では、彼らは互いに和気あいあいとした雰囲気で共に作業をしている。
彼らの間を橋渡ししているのは、やはりと言うべきか、ゴズヌだ。
ヤマトの記憶の中では寡黙な印象の強かったゴズヌは、その顔に懸命な気持ちを乗せて、彼ら一人一人に話しかけている。
「でも、ちょっと印象変わったよ。ゴズヌってかなり消極的なイメージだったんだけど」
ノアの言葉にヤマトも頷く。
アルスの街で初めてゴズヌを見たのは、海鳥亭へ殴り込みに来たチンピラたちの用心棒をやっていたときのことだ。用心棒らしく、多少の腕っ節は感じられたものの、他方でそこまで特筆すべきものではないというのが正直な感想だった。
次に見たのが、グランツの屋敷でノアたちの援護に入ったとき。屋敷の陰に息を潜めて、騒動をやりすごそうとする姿だ。その時点で、ヤマトの興味からゴズヌという男の存在は抜け落ちていた。
ザザの島への航海に同行しているのも、遠洋へ冒険しに行きたいというヤマトたちの目的と合致していたからにすぎなかったのだ。
「あぁ。外で何かを得たのだろうな」
「じゃあ元々この島にいたときは、今みたいな感じじゃなかったんだ?」
レレイはノアの言葉に頷く。
「先程ノアも言っていたが、かなり消極的な男だったな」
「へぇ?」
聞きながら、ヤマトは船上でゴズヌから聞いた話を思い出す。
確か、ゴズヌはザザの島でもっとも弱い戦士だったということだったが。
「どんな感じだった?」
「何をするにも、一歩引こうとする男だった。頭の回転は速かったが、その性質ゆえに皆から煙たがれていた」
「ふぅん?」
「この島では、腕が立つことがもっとも重んじられるからな」
どこか複雑そうな表情でレレイが話す。
外部との交流が希薄で、魔獣がひしめくジャングルと大海が辺りを埋め尽くす島に暮らす以上は、そうした価値観になるのも無理ないのだろう。
「そんな島で暮らすことが耐えられなかったのだろう。きっと、あいつには外の世界が合っていたはずだ」
「そっか」
口振りから察するに、レレイ自身はゴズヌが島へ戻ってきたことに納得し切れていない部分があるのかもしれない。
ゴズヌがアルスから――グランツの下から抜け出した理由は、グランツが魔王軍と結託して他商会の商船を襲っていたことに我慢できなかったという話だったが、それにしても、島に戻らない道を探せという気持ちもあるのだろう。
(あるいは、レレイ自身が――?)
水竜の巫女。
その肩書きが持つ重荷がどれほどのものなのかは分からないが、レレイが容易に外へ出られないほどの枷にはなっているはずだ。
そんなレレイからすれば、外の世界へ飛び出していったゴズヌを羨望する気持ちに、再び島へ戻ってきたことを理解できない気持ちが混ざってしまったのだろう。案外、ゴズヌの帰還を口では祝福しながらも、内心では素直に歓迎できていないのかもしれない。
自然と口を閉ざしてしまったレレイは、溜め息をつきながら首を振る。
「すまない。妙なことを言った」
広場で木材を組み立てていた男たちが、ヤマトたちの存在に気がついたらしい。作業の手を止めて、頭を下げてくる。
彼らに手を上げて応じながら、レレイはヤマトとノアの顔を見渡す。
「私は彼らに声をかけてくる。そなたらはどうする?」
「うーん、同行してもいいんだけど――」
ちらりと表情を伺ってくるノアに、ヤマトは無言のままで首肯する。
ヤマトの目を見て何事かを察したのだろう。ノアも小さく頷くと、申し訳なさそうにレレイに向き直る。
「ごめん。ちょっと僕たちで村を回ってみるよ」
「そうか。確かに、昨日は大した案内もできなかったからな」
理由をそう推測したレレイは頷く。
「そうそう。一通り回ったら戻ってくるから、それまでちょっと待ってて」
「うむ。ここで待っているとしよう」
「では失礼する」と村人たちの方へ歩いていくレレイの背中を見送ってから、ノアがヤマトの顔を覗き込む。
「で? ヤマトは何が気になってるの?」
「妙な視線を感じてな」
「妙?」
ヤマトの言葉を聞いて、ノアが一瞬構える。
「敵意はないが、観察するような目だ」
「観察? 外から来た僕たちを面白がっているとか?」
「……さてな」
不可解そうな表情を浮かべるノアに対して、明確な答えを述べないままにヤマトは振り返る。
村にまばらに立つ家々。その間を通り抜けた先の暗がりから、その視線は飛んできた。観察するような視線とノアには説明したが、どちらかと言えば試そうとする視線の方が近いのかもしれない。
「あちらだな」
「何が出るかなっと」
腰元の刀の柄を撫でる。早朝にレレイと共に鍛錬に励んだだけあって、今は身体が軽く動いてくれる。昨日とは違い、一挙手一投足に違和感を覚えるというほどではない。万が一荒事になったとしても、不覚を取るようなことにはなるまい。
見れば、ノアの方も無言のまま腰元の魔導銃の位置を正している。
「行くか」
村人たちは皆、レレイが向かった広場で船の修繕作業に手を取られているらしい。辺りに人気がない。
家同士の間を縫うように数度角を曲がったところで、ヤマトとノアは足を止める。
「あなたは……」
物陰に悠然と立っていたのは、銀髪の青年――アオだ。
一度村の中で見かけたときと同様に、病人と見間違うほどに肌が青白く、儚げな印象を伴って佇んでいる。
(いや、違うッ!?)
一瞬だけ気を抜きかけたヤマトだったが、すぐにそれを引き締める。
「アオさんでしたっけ? 僕はヤマト。そしてこっちが――」
「ノア、下がれ」
どういうことかと戸惑った表情をノアは浮かべるが、特に何を言うでもなく、素直に後退する。
面白がるように薄ら笑いを浮かべたまま無言を保ち続けるアオに向けて、ヤマトは刀に手をかけながら一歩前へ出る。
「貴様、何者だ?」
「……ふふっ、いい目をしているね」
「俺の問いに答えろ」
飄々とした態度のアオにヤマトは目つきを鋭くさせる。
格が違う。昨日アオを見たときも相応の気配を感じたものの、今対峙しているアオからはそれを凌駕する、明らかに尋常ではない気配が感じられた。
(実力の底が見えない……?)
万が一このまま戦いになったときに、結果がどうなるかが見当もつかない。
警戒したまま、ジリッと一歩後退る。
それだけでノアもヤマトの意図を悟ってくれたらしい。重心を落としながら、密かに魔導銃へ手を伸ばす。
「そう警戒しないでくれ。別に君たちをどうにかするつもりはないんだ」
「昨日見たときとはずいぶん違うな」
「それはそうだろうね」
薄ら笑いを消さないままに、アオはゆっくりと空を見上げる。雲が一つもなく、夏らしい暑さが見るだけで想起される青空だ。
「――嵐が来るよ」
「は?」
思わず、問い直す。
戸惑うヤマトとノアに何も応えないまま、アオは二人の顔を順番に見つめる。
「嵐さ。僕にとってはどうということもない嵐だけど、君たちには大変かもね」
「何の話をしている」
「きっと閉じこもっていれば、君たちは嵐を凌げるはずだ。ただ、巫女の方はどうかな」
巫女。
その言葉に、思わずヤマトとノアは目を見合わせる。
「古来から、巫女の仕事は災厄を退けることって決まってる。大変なことになるかもね」
「お前は何を知っている!?」
「何も? ただ、そうなるかもねってだけさ」
そこまで言って、アオはヤマトの目を試すような目つきで覗き込む。
「抗ってみせてよ。そうすれば、活路が開かれるかもしれない」
「―――」
「言いたいことはそれだけさ。じゃあね」
「待てッ!」
気さくな様子で手を振ってから、アオは足踏みを一つする。
途端に、目を開けていられないほどの突風が家々の間を吹き抜ける。反応することもできず、咄嗟に腕で顔をかばいながら目を閉じる。
結局、視界を閉ざしていたのは数秒ほどだったか。風の収まったところで目を開ければ、案の定、アオの姿は消えている。即座に辺りを見渡し、既に影も形もないことを確かめてから、ヤマトとノアは深く溜め息をついた。