第55話
相変わらず、ジャングルの中を渦巻く熱気は凄まじい。暑さのあまりに意識までもが朦朧としかねないほどだ。
それでも、そんな暑さが気にならないほどに、一行の会話は弾んでいた。
「レレイがあんなに戦えるなんて分からなかったよ」
「あぁ。ずいぶん気の様子も変わっていたな」
話題は先程の魔獣との戦いのこと。もっと言えば、そこで見られたレレイの強さについてだ。
純粋に褒めちぎるヤマトとノアに対して、レレイの方は褒められていないためか、照れくさそうに視線を逸らしている。
「そう大層なものでもない。外なら、私程度の者も多いのだろう?」
「うーん? そりゃいないわけじゃないけど、少ないよ。もっと誇っていいと思うけど」
確認するように視線を向けるノアに、ヤマトも首肯する。
「あれほどの動きをできる者はそうはいない。加護持ちくらいではないか」
「加護持ち?」
「精霊や神の加護を受けた者のことだ」
規格外ではあるが、勇者ヒカルが加護持ちの最たる例だろう。
何の気紛れか、ときに常人から逸脱した力を発揮できる加護が人に与えられることがある。時折見られる常人離れした者は、そのほとんどが加護持ちだと考えていい。ならば、レレイもその一人だと考えるのが普通ではあるのだが。
(加護持ちにしては、あまりに自然すぎる)
通常、加護持ちはどれほどその力に習熟したとしても、身に余る大きさの力のために、どこか不自然な気配をまとうものだ。
対して、今ヤマトとノアの前を歩いているレレイからは、そうした気配が全く感じられない。力を完璧に制御しているというのとも少し違う。元から、その身体に収まる力だけを身につけている感じがする。
ノアの方も、ヤマトと同様のことを感じていたらしい。
「でも、レレイはあまり加護持ちって感じはしないよね」
「そうなのか?」
「うん。自分でも思ってないほどの力が出たこととかある?」
ノアの問いに、しばらく思い返すような表情を浮かべたレレイは、やがて首を傾げる。
「力加減を誤ったことはあるが、それか?」
「うーん、それとは少し違うかなぁ」
困ったように笑うノアに同意する。
正確なところは分からないものの、やはりレレイは通常の加護持ちとは違うらしいと考えるのがいいだろう。
機会があれば太陽教会に依頼すれば、加護持ちかどうかは判別できるのだが。この島に暮らす彼女には無理な話であろう。
「とにかく、レレイくらい動ける人はなかなかいないから。自信持ちなよ」
「ヤマトのように、武を納める者も多いのだろう? ならば、私くらいの者も多そうだが」
「あぁ……」
ノアの視線を受けて、ヤマトが口を開く。
「大陸の武道家は力よりも技に重きを置いている」
「技?」
「少ない力で大きな成果を得る技術だ」
「自分の力をどんどん強くするってよりは、駆け引きを重視するって感じかな」
ノアの補足に首肯する。
その道に偏っていることの根底には、身体的には脆弱な人間であることへの劣等感のようなものが眠っているのだろう。
かく言うヤマト本人も、早々に人間の身体能力に見切りをつけたために、技を鍛え抜く方針へ転向した身だ。どんなに鍛え抜いたところで魔獣や魔族らには勝てないのだから、肉体の鍛錬にあまり重きを置けなくなった。
だからこそ。
「―――」
レレイの姿を凝視する。
どこからどう見ても人間そのもの。そんなレレイが、加護の力もなしに、魔獣を圧倒できるだけの身体能力を得たという事実が信じられない。
身体つきを見る限りでは、相当恵まれているという感じは受けない。むしろ、細身な分だけ、しなやかであっても膂力には劣りそうだと推測できる。ならば、あの動きを実現させたのは、身体を動かす技術か。
(いや、それとも気を使ってるのか?)
気。魔力とは存在を異としている、身体の奥底に眠っている力のことだ。ヤマトもその扱いに長けているわけではないし、確固たるものとして存在を感じられているわけではない。剣技を放つ際の一瞬だけ、僅かながらに存在を感じる程度。
気の扱いに習熟した者は、長い武の歴史を振り返っても数えるほどにしかいない。加えて、彼らがその術を身につけられたのも、身体がほとんど朽ち果てた老年に至ってから。ゆえに、その存在を知りつつも、ヤマトは無意識の内に習得を避けていたのだが。
(絶好の機会か?)
詳細なところは分からないが、レレイの動きをより正確に観察すれば、何かを得られるかもしれない。
得られずとも、「気」が持つ可能性について思いが至ったのだ。鍛錬の方向性が固まった。
「ヤマト、何ボーッとしてるの」
「……む? いや、何でもない」
「そんなわけないだろ」という心の声が聞こえてきそうなノアの視線は黙殺する。
穴が空くほどに見つめ続けていたからか、レレイは居心地悪そうに身をよじらせていた。再び目が留まりそうになったが、堪えて視線を逸らす。
しばらくはジトッと湿度の高い視線をノアが投げかけていたものの、やがてそれも止む。
「でも、あれくらい動くために結構努力したんじゃないの?」
「うむ? いや、努力らしい努力はしたことがないな」
思わず、ヤマトは耳を澄ませる。
「じゃあ自然と身についたってこと?」
「そうかもしれない。だが、それよりは生まれつきの方が近いのだろう。聞けば、私の父も同様であったらしい」
「へぇ、お父さんも」
生まれつき備わった力。
それを才能と呼んで片づけてしまうのは容易いが、それでは何の身にもならない。何とかして理屈を解明さえすれば、レレイが無意識にしていることの一端であっても、ヤマトが意識的に再現することは可能であるはずだ。
「強くなる」。
その夢へ一歩近づくための手がかりを得られたことに、ヤマトの胸中が熱くたぎる。
今すぐにでも刀を振り回したくなる衝動を堪えるため、腰の刀を撫でる。
「――そろそろ着くぞ」
ふと、レレイの言葉にヤマトの意識は現実に戻される。
視線を前へ向ければ、木々の間から光が漏れ出ていることが分かる。ジャングルの終わりだ。
「やっとか。少しは涼しいといいんだけど」
「ここよりも遥かにすごしやすいはずだ。帰りは村へ寄る必要もないから、海沿いを歩くとしよう」
「おっ、それはいいねぇ」
ノアが浮き立ったように声を上げる。
黙ったままながらもそれに同意しながら、ヤマトたちはジャングルを抜ける。
「―――」
目の前に広がるのは、どこまでも果てしなく続く大海原。
ヤマトたちを襲った嵐など嘘であったかのように平穏そのものな海が広がり、柔らかい風が吹きつけてくる。
そんな穏やかな光景に不釣合いなものが一つ。
「あぁ……」
残骸だ。
かつて乗っていた船が、中ほどで真っ二つに砕け散っている。嵐と魔獣の猛威はそれほどまでに凄まじかったのか。
自分たちが助かったことに改めて感謝しながらも。
「どうしたものかなぁ」
この島から出る手段が失われている。
その証拠を目の前に突きつけられて、ヤマトとノアは途方に暮れるしかなかった。
◇◇◇◇◇
辺りを喜色満面でうろつく下等生物共。
その不愉快な面から視線を逸らすように、“それ”は天上を見上げた。
(鬱陶しい者共だ)
宴が始まり、やたらと騒がしくなった連中とは裏腹に、星の浮かび始めた夕空は穏やかだ。平時ならばそれで心を落ち着かせることもできただろうが、今はただ苛立ちばかりが募る。
(俺は何をしているのだろうな)
「アオ殿、お楽しみでしょうかな?」
一人物思いにふけっていた男――アオに、酒が入って赤ら顔になった男が話しかけてくる。その酒臭い息に、すっと目を細める。
(楽しめているか、だと?)
馬鹿にしているのか。
不味い酒に不味い飯。辺りを取り囲むのは、語るに及ばないほどの下等生物ばかり。やらねばならないことを目前にしながら、こうして身動きが取れなくなっている。この状況を、楽しめと言うか。
衝動的に目の前の男を潰したくなりながら、アオは視線を逸らす。
「ハハハッ! アオ殿は人見知りなようですな!!」
「ささ、どうぞご一献」
手にした杯が空なことに目敏く気がついた男が、酒を注ごうとする。
それを手で静止して、アオは立ち上がる。
「先に失礼する」
「おや、お疲れですかな? それでは仕方ありませんなぁ!」
「誰かアオ殿を案内しろ!」
「不要」
結局、奴らはただ酒と飯を腹に入れて騒ぎたいだけなのだ。
仮にも宴の主役であったアオの退席に気を留めた様子もなく、互いに酒を飲み合う。吐き気を催す光景から目を外して、アオは広場の中を歩く。
アオの姿を認めるたびに、下等生物は地に這うように頭を垂れる。その背を見やるのは少し愉快ではあったが、下等生物に幾ら礼を尽くされようとも、それで喜ぶほどの器ではない。
宿舎として用意された家が目に入る。下等生物共が使っているものと同様の、外からの目を妨げることすらできない家屋。幾ら懇願されたとしても、家畜小屋に入るほど落ちぶれていない。
(舐めやがって)
髪を一つ抜き取り、息を吹きかける。それだけで今のアオと寸分違わない分身が完成し、家の中へ入っていく。
ひとまずその動きの自然さに満足しながら、アオは人気のない方へ足を進める。
辺りに誰の気配もない。やかましく騒ぐ声も遠のいたところで、ようやくホッと一息つく。
(屈辱だ)
一人になったところで、胸の奥から沸々と怒りが湧き上がってくる。こうして下等生物の姿を模さねばならないこと、その中に混じって和気あいあいを演じなければならないこと、全てが屈辱。
最近は、何もかもが腹立たしい。まるで子供のように癇癪を起こし、全てを破壊したくて仕方なくなる。
それもこれも、あの日が全ての始まり。
(必ず殺す……!!)
白い光をまとった戦士。
脆弱な人の身でありながら、己に拮抗し、勝ってみせた存在。その武勇は称賛すれども、決して認められるものではない。
空を見上げれば、空から太陽は既に姿を隠し、代わりに月が出ている。憎たらしいほどの円を描く月。あれすらも、破壊してみせようか。
思わず覇気が漏れ出そうになったことに気がついて、引っ込める。
(今はまだ、そのときではない)
客観的に見つめれば、己の身は絶体絶命。一手を間違えれば即破滅が待っている。だから、慎重に動かねばならない。
最初に打つ手は既に定まっている。
アオが脳裏に描くのは、昼間にチラリと見かけた少女。脆弱な身でありながら、それに分不相応な力を自然と宿す下等生物。奴を喰らえば。
(俺は、更なる力を手にできる)
口角が釣り上がる。
静かに笑いを零すアオを月だけが見つめる。人の姿を模していたその影は、やがてそれを歪ませ――竜の姿を取った。