第53話
木々を抜けてすぐ先に、その集落は広がっていた。
少し小高い丘から見渡した限りでは、正しく村と言うくらいの大きさしかない。人口も百人いれば上出来くらいだろうか。
「ほぅ。これが」
「大陸じゃあまり見ない様式だね」
ノアの言葉にヤマトも頷く。
辺りの点在している家々は、レレイの家を更に簡素にしたもののようで、細い木枠と編んだ草を重ねて組み立てただけの代物に見える。ヤマトたちが持ってきているテントの方が、まだ文明を感じられる作りであり、機密性も保たれているようだ。陽を遮り雨を凌ぐ天井こそ備わっているものの、横からの視線を遮るような壁は頼りなく、やろうと思えば幾らでも中が覗き込める。
言葉には出さないが、レレイに保護されたことをヤマトは思わず感謝する。いかに極東出身のヤマトとは言え、家の概念すら怪しい家屋の中ですごすのは難しいものがある。生粋の帝国人であるノアにとっては、なおのことであろう。
ノアの方も同様のことを考えていたらしい。興味深げに家屋を眺めているものの、それに観察対象以上の思いを抱いてはいないようだ。
「あの天井で雨は凌げるの?」
「だいたい防げる。が、雨漏りは日常茶飯事だ」
何事もないように応えたレレイに対して、ノアは小首を傾げる。
「濡れて困るものとかはないってこと?」
「いや。そうしたものは地下室に置くのが普通だ」
説明しながら、レレイはすぐ傍の家を指差す。
「この村の家にはどこにも地下室が作られている。食料は貴重品はそこに置くようにしている」
「じゃあレレイの家にもあるってこと?」
「無論だ。少し変わってはいるがな」
レレイの家は広く、すぐに島の探索へ出ることになったヤマトとノアはまだ全貌を把握できていないのだ。
興味深そうな視線を向けるノアに苦笑しながら、レレイは頷く。
「戻ったら案内するとしよう。それよりも、今は島の探索だろう?」
「それもそっか」
会話が一区切りされたところで、ヤマトも改めて辺りを見渡す。
先述した通り、村の規模は大きくない。まばらに家屋が点在するばかりで、その置かれ方に規則性は見出だせない。各々が好き勝手に自身らの家を建てたのだろうという印象だ。そんな寒村のような有り様とは裏腹なのが、村の周囲を取り囲む柵と堀の存在だろうか。
まるで砦だ。村の外周を囲うように高さ二メートルほどにまで柵が組まれ、更にその外側には、傍目でも深そうな堀が掘られている。柵に使われている木材は太く頑丈そうなものばかりで、大型魔獣でもなければ、柵を一掃することは困難だろう。島に住む魔獣――せいぜい中型程度の魔獣が相手ならば、充分以上なほどの防衛力に見える。
「この島の魔獣は強大なのか」
「ふむ? 他の魔獣は知らないから答えられない、すまない」
ヤマトの質問にそう応えて眉尻を下げるレレイに、手を振って気にするなと伝える。
考えてみれば、レレイの反応も当然であった。聞き方を変える必要がある。
「あれほどの柵でなければ、魔獣は凌げないのか」
「そうなる。なんとか手を凝らしているのだが、防ぎ切れてはいないというのが実情だ」
その言葉に、ヤマトとノアは思わず唸り声を漏らす。
それほどの魔獣が大陸で出たならば、街の守護兵や冒険者が出動しなければならない。一体いるだけでも村が危険に晒されるのだから、それが自然であろう。そんな魔獣が、レレイの口振りから察するに、この島にはゴロゴロと生息しているらしい。
大陸では既に数少なくなってしまった秘境。このザザの島は、その一つと言えるのかもしれない。
「――うむ?」
唐突に、レレイが顔を上げて村を眺める。釣られて、ヤマトとノアも同様に目を凝らす。
遠目からではあるが、特別な異変は起きていないように見える。気になるところと言えば、日中であるにも関わらず人通りが少なく思えるのだが、そういうものかもしれない。
「どうかしたの?」
堪えられなくなったノアが問うと、レレイは自信なさげに首を傾げながら応える。
「うむ。妙に騒がしい気がしてな」
「騒がしい?」
むしろ、静まり返っているようにすら見えるが。
そんなヤマトとノアの視線に、頷きながらレレイは言葉を続ける。
「いつもよりも風が落ち着いていない。何かあったのかもしれない」
「風……? でも傍目からじゃ、何もないように見えるけどね」
「うむ。少し先に行かせてもらう」
言い残して、レレイは駆け足で村の門へと寄っていく。
森の中で二人を先導していたときよりも速い足に驚きながらも、ヤマトとノアはレレイの背中を追う。
「風って何だろうね」
「さてな。だが、確かに慣れた場所であれば空気の気配を感じることもある」
「本当? オカルトだなぁ」
呆れたように呟くノアには苦笑する他ない。
一昔前であれば、大陸でもこうした胡散臭い話は割と受け入れられたのだろう。だが、帝国の台頭に従って技術が浸透し始めてから、そうした「気」に関する話は、オカルトや胡散臭い戯言として遠ざけられがちである。極東の地で武術を学んだヤマトからすれば、気の存在は慣れ親しんだものなのだが。
この問題について、あれこれと議論してもいいのだが、今はそのときではないだろう。
先に行って背中が見えなくなってしまったレレイの後を追って、二人は村の門を潜り抜ける。
(守衛がいない……?)
門の両脇に誰も立っていないことを確認して、ヤマトは内心で首を傾げる。
これだけ立派な防衛施設を作り上げたというのに、それを使う人間がいないのであれば、正しく宝の持ち腐れというものだ。
(何かがあったということか)
レレイが何故それを感じ取れたのか、ヤマトには分かるようで分からない。だが、確かに村で何かがあったことは間違いないらしい。
ひとまず、村の中から剣呑な気配は感じられないことを確かめてから、ヤマトは歩を進める。
相変わらず、村に人気はない。家の中を見通すことができるが、覗き込んでみても人影がないのだ。
「……誰もいないや」
結局、村の広場までやって来たものの、人の姿がまったく見られない。
これだけの家をそのまま残して、村人が一斉に移動するとは考えづらい。何か火急のことでも起こったのだろうか。
「あ、レレイ」
「ふむ?」
ノアが顎で示した方を見やると、レレイが村の柵を軽々と飛び越える姿が目に入る。魔獣の侵入を阻むべく強固に作られた柵のはずだが、レレイの前にはないも同然らしい。
「身軽だな」
「何かあった?」
ヤマトの呟きを無視して、ノアはレレイに声をかける。
それに対して、レレイは「うむ」と短く首肯する。その表情に深刻そうな色がないことに安堵するも、同時に、レレイが何かを悩む素振りを見せていることに気がつく。
「どうかしたの」
「うむ。直に分かる」
レレイの言葉と同時に、ヤマトは村の外に人の気配を感じる。かなりの数だ。
顔を上げれば、門を大勢の人が通り抜けているところが視界に入った。ほとんどの者がヤマトたちと同様に、緑色を基調に赤か青に染め上げられた服を身につけている。
問題なのは、その服を着ていない例外の方だろう。
「あの人たちは……」
「やはり、そなたらの知り合いか」
「知り合いってほどじゃないけど、そうだね」
村人に担がれるようにして、彼らは運ばれている。身につけたのは大陸風の服で、顔立ちも大陸育ちのもの。――ヤマトたちが乗ってきた船の乗組員だ。全員が気を失っているか、著しく体力を消耗しているようだが、命に別状はないらしい。
「よかった。無事だったんだ」
「よく助かったものだ」
正直に言えば、船員全員が死んでいてもおかしくなかったというのがヤマトの思いだが。
それを口には出さず、ただノアの言葉に首肯する。
「おう? あんたらは……」
船員たちを担ぎ込んでいた男たちの一人が、ヤマトたちに気がつく。
確か、この村の者は排他的な気質だと聞いていたが。僅かな緊張感と共に会釈する。
「他所者か?」
「彼らは私が先日保護した者たちだ」
村人たちの訝しげな視線を遮るように、レレイが前へ出る。
「保護? ってことはあんたらもそうなのか」
「恐らくはな」
会話の流れは掴めないものの、ひとまずヤマトとノアは沈黙を保つ。
溜め息をついた村人は、レレイ越しにヤマトたちに視線を向ける。
「あんたら、ゴズヌって男に覚えは?」
「あるぞ」
ゴズヌの名前が飛び出てきたことに、驚きと納得の両方を覚えながら、ヤマトは即座に首肯する。
「そうか……」と口の中で呟いた村人は、深々とヤマトたちに頭を下げる。
「何があったかは分からねえが、あいつを連れ帰ってくれたことに感謝するぜ」
「……おう」
助けを求めるようにレレイへ視線を向ければ、困ったような苦笑いをしながら、レレイは村人の前に立つ。
「彼らも先程目を覚ましたばかりだ。後は私が引き継ごう」
その言葉に村人は頷き、その場を後にする。
辺りからジロジロと村人たちの視線が突き刺さることを感じながら、ヤマトは口を開く。
「やはり、ここがゴズヌの故郷か」
薄々勘づいていたことだが、レレイたちが着ている服はゴズヌが着ていたものと酷似している。緑色を全体の基調としつつ、男ならば青色、女ならば赤色と染め分けているのだろう。
「あぁ。ゴズヌは数年前に島を去った男で、それから音沙汰がなかったのだがな」
「めでたく戻ってきたってわけか」
「うむ」とレレイは小さく頷く。
実際にゴズヌをこの島まで引率したわけではないため、感謝されるほどのこととは思えない。だが、そのおかげで排他的と伝えられた村人たちから、多少なりとも心を開いてもらえたのだから、そう悪いことではない。
「彼らも海から流れ着いた感じなのかな?」
「どうやらそうらしい。そなたらとは離れた場所のようだが。今は衰弱しているから、見舞いは後にした方がいいだろう」
説明しながら、レレイは手で一点を示す。
釣られてそちらへ視線を転じれば、そこには見覚えのない男が立っていた。
「あの人は?」
「ふむ? そなたらの知り合いではないのか」
「あいにくとね」
改めて、男の姿を注視する。
儚げな美青年というのが第一印象か。サラリと背中に流れる銀髪も相まって、立ち姿がひどく流麗だ。東洋で見られるような着物を身につけている。得物の類は何一つ見当たらないものの、その佇まいからは不思議なほどに力強さを感じる。他方で、その肌色は非常に青白い。よもや血が通っていないのではないかと疑いたくなるほどに白い肌が、力強い佇まいとは対照的な、儚げな雰囲気をまとわせているのだろう。
総じて、ひどく印象に残りやすい男だ。一度見れば、そのまま忘れるようなことはなさそうなほどに。
「彼らの居場所を村に伝えた男だ」
「ふぅん?」
船の中に、あんな男がいた覚えはない。
思わず首を傾げるヤマトとノアに、レレイは言葉を続ける。
「記憶喪失という話だ。目が覚め、気がついたときから島に潜んでいたという」
「ほう」
「今朝に海から彼らが流れ着いたため、前から存在は知っていたこの村へ助けを求めたという経緯らしい」
色々と引っかかる部分はあるものの。
どうやら、村人たちは男を歓迎するつもりらしい。ヤマトたちに向ける警戒心混じりの態度とは異なって、非常に親しげな雰囲気で家の中へ招こうとしている。
「今は声をかけない方がいいかな?」
「すまない。今は無理でも、直にその機会は訪れるはずだ」
村人たちは全員が集まって宴を始めそうな雰囲気だ。そこへ水を差すような真似はしたくない。
「レレイも参加したら? 僕たちは家の方で待ってるよ」
「客人を置いていくわけにはいかない。それに、どうせ数日は続くはずだ」
呆れたように言うレレイに、そういうことならばとノアも頷く。
広場の中心に、瞬く間に焚き火が組み上げられていく。非常に手慣れたその様を横目で伺ってから、レレイは村の門を指差した。
「まずは島を一巡りしよう。構わないか?」
「大丈夫だよ。しばらくは聞き込みをされる気分にはならなさそうだし」
今にも騒ぎ出しそうな村人をチラリと見やって、ノアは苦笑する。
遠洋の島ゆえに娯楽が少ないのだろうか。誰もが宴を非常に楽しみにしているように感じられる。
「すまないな」と言いながら、レレイはホッと一息つく。
レレイに従って村の門へ向かいながら、ヤマトはふと振り返る。
「………」
村人たちに囲まれた中で物静かな男。
確かに見覚えはない。すれ違った記憶もない。だが、それでも。
(何だこの気配は)
異質。その一言に尽きる。
とても人とは思えない。正しく格が違うような気配に、先程からヤマトの肌がチリチリと焼かれたようにひりついている。この感覚には、どこか覚えがある。
「ヤマト? 早く行くよ」
「……分かった」
溜め息で思考を止める。あまり考えすぎても仕方ないだろう。
ノアに首肯を返し、ヤマトはさっさと足を進めた。