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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
離島ザザ編
50/462

第50話

 夏真っ盛り。

 雲一つない空からは、大地を焼き尽くすほどの熱量を伴って、陽光がギラギラと降り注ぐ。いつもならば涼しさを感じられる風ですら、夏の熱さのあまりに熱風と化して、受ける者の身体を焼きつけるようだ。


「暑いね……」

「そうだな……」


 ノアの言葉にも覇気がない。見れば、額のみならず顔中から汗が滴り、げっそりと生気を削がれた顔になってしまっている。

 かく言うヤマト本人も、傍から見れば似たようなものだろう。先程から絶えず汗が噴き出し、あまりの気持ち悪さに無性にイライラとする感情が湧き出てくる。


(少し気分を変えなくては)


 そう思い立って辺りを見渡してみても、特に目新しいものは何一つない。

 どこまでも続く大海原だ。それが、ヤマトたちが乗る船の四方八方に広がっている。見渡す限りはどこまでも青く、どこまでも広く続いている。鳥や魚が見当たればまた気分も変わるかもしれないが、それらも影一つ見られない。不定期に揺れる波以外に動きのない海だけが、ここ数日ヤマトとノアが見続けてきたもの。

 ノアと共に旅するようになってからは経験がないが、ヤマトは故郷の極東から飛び出してきた際に、船を使って大陸に渡ってきている。そのときも似たような景色を見てきたはずだが、今目の前にしている海の光景に、うんざりとする気分しか湧いてこないのはどういう理由なのか。


(全てはこの季節が原因か)


 これが春や秋であったならば、まだ海上の生活にも安らぎが得られたはずだろうが。

 幾ら恨んでみても、それで暑さが和らぐわけではない。


「海水でも浴びたら、少しはマシになるかな?」

「さてな。だが、乾いた後はひどいことになるぞ」

「それもそっか」


 長い航海なのだ。水は少しでも節約しなければならない。

 諦めたように溜め息をつくノアに、ヤマトも思わず同情の視線を向けてしまう。


「こうなるから、空調魔導具は設置した方がいいんだって……」

「食料やら道具やらで荷物が多すぎて入れられない、という話ではあったな」


 それもどこまでが事実なものか、とヤマトも毒づきたい気分になっていた。

 こんな暑い陽の下で、なぜヤマトとノアがたむろしているのか。その理由が、ここにあった。空調魔導具の一つも導入していない船内は、陽光が差し込まない他方で風も吹き抜けないために、もはや人が生活できないほどの熱気と湿気が充満しているのだ。それこそ、陽光を避けるために室内へ入るよりも、炎天下で風を浴びた方が涼を取れるというほどに。

 もっとも、仮にも船客であるヤマトたちの扱いはマシな方なのだろう。船員として従事している者たちは、より過酷な環境で働かされているはずだ。


「――二人共、ここか」


 暑さで意識すら朦朧とし始めたヤマトたちの耳に、その声が届いた。

 振り返れば、アルスの街で少しの縁を築いた男の姿があった。身の丈二メートルに届こうかというほどの巨躯に、体表にびっしりと書き込まれた不可思議な紋様。ひどく無愛想な男ではあるが、実際にはそれなりに感情豊かであるらしいことを、ここ数日でヤマトたちは知った。


「あぁゴズヌ。どうかした?」

「暑すぎて耐えられない。気分変えたいと思った」

「やっぱりゴズヌも耐えられないかぁ。人が生きられる環境じゃないでしょこれ」


 視線をゴズヌの顔に向けてみれば、相変わらずの無表情であるものの、ひどく憔悴した様子も見て取れる。海を越えた先の島国育ちのゴズヌと言えども、この暑さは流石に耐えかねるらしい。

 ゴズヌ。グランツのところで雇われていた、元々は遠く離れた島国出身の男だ。そんな彼がここにいることは、ヤマトたちの今回の船旅の目的と関係している。

 本来、ゴズヌは『海鳥』の面々に故郷へ連れ帰ってほしいという願いと共に、グランツについての情報を密告したという話であった。しかし、その騒動の折に『海鳥』の面々は負傷し、船を出せる状態ではなくなった。それでも何とかして故郷へ帰ろうとするゴズヌが目をつけたのが、ヤマトとノアであった。

 アルスの外海へ繰り出そうとしていたヤマトとノアに、故郷の島周辺の事情を案内する代わりに、船旅に同行させてほしいというのがゴズヌの願いだ。思えば、海の魔獣という脅威に対する護衛こそが、ゴズヌがもっとも願った存在なのだろう。船旅の代金を肩代わりするわけでもないので、ヤマトたちはこれを快諾。こうして、ヤマトとノアはゴズヌというお供と共に、果てしなく広い海へと乗り出したのだった。


「そういえばさ」


 ノアが口を開いたのに反応して、ヤマトは意識を目の前の二人に戻す。


「ゴズヌの故郷の島って、どの辺りなの? あとどのくらいで着きそう?」

「む。たぶん、あと少し」


 ゴズヌは応えながら、辺りを見渡す。

 釣られてヤマトとノアも視線を巡らせるが、島影のようなものはやはり見当たらない。すぐにうんざりとした気分になって、視線を戻す。


「この辺りの海に覚えがある。すぐではない。が、近い」

「ふぅん?」


 半信半疑という表情のノアであったが、それを口には出さない。事実であってほしいと、少し願う気持ちもあるのだろう。


「どんな島なのか、聞いてもいい?」

「構わない」


 その質問に、ゴズヌは心なしか表情を緩めたように見える。


「大きくない、小さな島。住んでいたのは百人いない」

「へぇ。特産品とかはあるの?」

「む? ……分からない」


 ゴズヌの言葉に、ノアは反応に困ったように苦笑いをする。

 それに慌てたような雰囲気を出したゴズヌは、目を彷徨わせながら口を開く。


「島、巫女がいる。水竜の巫女」

「水竜の巫女?」


 思わず、ヤマトとノアは目を見合わせる。

 アルス一帯を守護してきた竜種が、魔王軍の策謀に乗ってアルスを襲撃したことは、二人の記憶に新しい。世界の最強の種族と目されるだけはある威容に、二人共圧倒されたものだった。――同時に、単騎でその竜を退けてみせたヒカルの手腕にも。


「それはどういう人なの?」

「島を守る。竜と交信して、危地から島を守る」


 それだけ言ってから、ゴズヌは困ったように表情を歪める。


「けど、俺見たことない。皆おとぎ話と思ってる。今、島を治める人が巫女」

「まあ伝説ってのはそういうものか」


 落胆したようにノアは肩を落とす。

 他方で、ヤマトとしては俄然興味が湧いてきたところだ。


(火のないところに煙が立たない、とは違うが)


 竜と交信する巫女の存在が語り継がれるのならば、その原因となる出来事が過去にあったはずだ。事実がどうであるかは分からないにしても、全く信じる余地のない言い伝えということはないだろう。

 そも、この世界には人の常識など及びもつかないほどの異能を持つ存在は、それこそ星の数ほどに確認されているのだ。竜と交信する巫女くらいならば、まだまだ可愛いものではないか。

 ヤマトの中で冒険者としての血が騒ぎ始める。


「その島に腕自慢はいなかったのか?」

「……分からない。俺、島で一番弱かった。皆、強く見えた」

(ほぅ)


 気まぐれの問いかけに、期待以上の答えが返ってきた。

 ゴズヌは島で一番弱かったと言っているが、アルスではそれなり以上に腕の立つ男であったのだ。チンピラ同然に成り下がったとは言え、かつて大海賊として名を馳せた『海鳥』と同等程度には。

 そんな男が歯が立たない強者が、島には無数にいると考えていいのだろうか。思わず、腰元の刀に伸びそうになる腕を押さえる。


「……嬉しそうだね」

「そんなことはない」


 若干のジト目を向けるノアには、白を切る。

 しばしの無言。同時に、忘れかけていた陽射しの暑さが身に沁みてくる。


(気分転換にはなったか?)


 どれほどの時間が経ったのかは分からないが。

 懲りずに大海原を見渡そうとしたヤマトだったが。すぐ近くに“それ”の気配を感じ取り、刀の柄に手をやる。


「どうしたのヤマト」

「――魔獣だ」


 その言葉に、ノアが暑さで歪んでいた表情を改める。ゴズヌは慌てた様子で走り去っていく。恐らくは、船員に事態を告げに行ったのだろう。

 「どこにいるの?」と視線で尋ねてくるノアに、ヤマトは海面を指差す。

 相変わらず、不定期な波で揺れる水面。まったく先が見通せないほどに深く青黒い色をしているそれの奥に、キラリと銀色の光が見えた。

 直後、水面が爆ぜる。


「シッ!」


 気迫の声と共に、抜刀し居合斬りを放つ。確かな手応え。

 刀を振り抜いてから見下ろせば、身体を真っ二つに分けられた魚型の魔獣の死骸が見える。全体的な造形こそただの魚同然だが、その頭部にはゾッとするほど鋭利な角がついている。


「うわぁ」

「まだまだ来るぞ」


 角の鋭さに顔を歪めたノアに促す。

 海面に銀色の煌めきが無数に伺える。その全てが、魔獣の鱗の煌めきだ。


『魔獣だ――――ッ!!』


 船中に男の叫び声が響く。

 それを皮切りに、海面が一斉に爆発した。


「迎撃するぞ!」

「千客万来だねまったく!!」


 ヤマトはノアの前に陣取り、飛来する魔獣を片っ端から斬り伏せる。遠くを飛ぶ魔獣はノアが狙撃して撃ち落とす。

 瞬く間に十を遥かに越す死骸が辺りに転がるが、魔獣の飛び込む勢いは緩む気配を見せない。船員たちがワラワラと出てきて魔獣の迎撃に加わるが、それでもなお、魔獣の数は少なくならない。

 あまりの勢いに、徐々にヤマトも後ろへ抜けていく魔獣が出始める。今のところ、ノアはそれを避けられているようだが。


「多すぎるって!?」

「怪我はしてないな?」

「それは大丈夫だけどさっ!」


 いつしか暑さも忘れて、刀を振るい魔獣を斬り捨てる。

 時間の感覚はない。一分か数分か、はたまた数十分か数十秒かの間、刀を振り回したところで。ピタッと魔獣の攻撃が止む。直後、グラリと船が大きく揺れた。


「なんだっ!?」

「嵐が来てる!!」


 空を見上げれば、雲一つなかったはずの空が、灰色の分厚い雲に覆われていた。これから惨劇が起こると予言しているかのような、不吉な雲だ。

 そんなヤマトの思いに応えるわけではないだろうが、ポツリと雨粒が垂れ落ちる。それから一気に、大雨が降り注ぐ。


「帆を畳め! 嵐を凌ぐぞ!!」


 船長の野太い声に押されて、呆然としていた船員たちが動き始める。

 そんな彼らの様子を伺いながら、ヤマトは油断なく刀を握り続けていた。


「ヤマト? まさか――」

「あぁ。まだいる」


 うんざりするようなノアの溜め息。

 それと同時に、荒れ狂う海の大波が船の横っ腹を打ちつけた。一つだけではない。何回も何回も執拗に、船を破壊するという絶対の意思を感じられるほどに、大波が船を叩きのめす。


「うおっ」

「ちょっ、これはまずいんじゃ!?」


 悪いことは更に重なるらしい。

 体勢を保つこともままならないヤマトたちを目がけて、再び魔獣が突っ込んできた。


「くそっ!!」


 一匹は斬り捨てるが、体勢を立て直せない。勢いのままに床を転がって、魔獣の突貫を回避する。

 ヤマトが数瞬前までいたところを、魔獣の鋭利な角が貫く。頑強な船の甲板に幾つもの穴が空けられていく。

 沈没。その言葉が脳裏をよぎる。


「ヤマト、あれ!!」

「な――ッ!?」


 ノアの指差す方を見て、絶句する。

 大粒の雨と殴るような風に紛れて、圧倒的な威容を放つ“何か”が海上にいた。人の身では抗うことなどできないと本能的に察することができる、凄まじい威圧。


(だが、この気配は――)


 一瞬だけ思案に意識を取られた隙に。

 その“何か”が、力を溜めるような仕草をする。

 直後に何が起こるのが、その場にいた全員が直感で理解したはずだ。


「ノア! 掴まれ!」


 咄嗟に伸ばした手をノアが握る。

 その刹那に、爆発的な衝撃が船を叩きつけた。穴の空いた甲板が木っ端微塵に砕かれ、船が中腹で真っ二つに分かれる。男たちの悲鳴が響く中、更に追い討ちをかけるように高波が船を飲み込む。

 もはや立つことすらままならない。海水に押し流されるがままに身体をもみくちゃにされながら、手に握ったノアの感覚だけに集中した。


「―――!?」


 一瞬の解放。

 大破する船から打ち上げられ、身体が空を舞う。グルグルと回る視界の中、悠然と海の中で佇む影と、迫る海面を認める。


(絶体絶命の危機というやつか)


 諦めのあまりにだろうか。

 どこか呑気にそう考えながら。

 ヤマトとノアは、海の中へ叩き落とされた。

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