第5話
「……魔族」
「――そこの君、早くそこから立ち去りなさい!」
舞台の脇から警備員が出てくる。
尋常ならざる現れ方にいささか呑まれ気味ではあったが、どうにか職務をまっとうしようとしているらしい。
気怠い様子で警備員を睨みつけた魔族の男は、何を思いついたのか、唐突にニヤリと怪しい笑みを浮かべた。
「おい、お前何を笑って」
「――失せろ」
唸るような風切り音を残して、魔族の腕が振るわれた。
その拳で打ち抜かれた警備員は、呆然とした表情のまま空を舞い、舞台上を二転三転していく。やがて舞台の壁に激突した後、口端から血を流してピクリとも動かなくなった。
「お前……!!」
震えを伴った声をナナシが上げる。
沈黙に閉ざされていた闘技場に、徐々に恐怖が染み渡っていく。
『殺人だ――ッ!?』
半ば悲鳴のような声が、会場全体に響き渡る。司会の男が拡声器をつけたままで叫んでしまったらしい。
それを皮切りに、観客席が一斉に喧騒に包まれた。警備員の惨状を目にしてしまった者の悲鳴、我先に闘技場から逃れようとする者の怒声、騒ぎの中で怪我をした者の泣き声などが闘技場中に響き渡る。
「――うるせえなあ」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた男の魔族は、一瞬だけ表情に苛立ちを浮かべると、おもむろに腕を上げる。
「ヤマト止めてっ!」
舞台袖で固まっていたノアが叫ぶのと同時に、ヤマトは駆け出していた。何かは分からないが、猛烈に嫌な予感がする。
瞬く間に距離を詰め、木刀を振りかぶる。
「シ――ッ」
高速の振り抜き。
それを目の端で捉えた魔族は、観客席に向けていた腕をヤマトに向け直す。
「避けて!!」
言われるまでもない。
ノアの声と、胸中でけたたましく鳴り響く警鐘に従って、身を翻す。――直後。
「爆ぜろ」
魔族の指の動きと共に、不自然に盛り上がった地面が光を伴って爆発する。
至近距離からの爆風に煽られて地面を転がりながら、ヤマトは事態を把握する。
(魔力を強引に操作したのか!?)
魔力とは本来、適性がある者であっても僅かに操作できるくらいの代物だ。魔導技術として応用されるためには、専用の機械を用いる必要がある。それを目の前の男は、何の補助もなく強引に、しかも大量に操作してみせた。
魔力との適性が高い傾向にある魔族としても、破格の力だ。
爆風の威力を受け流したところで立ち上がる。特に傷は負っていない。
そんなヤマトを眺めた魔族の男は、口元の笑みを深めた。
「お前、面白いじゃねえか。まったく力は感じねえが、思ったよりもしぶとい」
力。魔力のことだろうか。魔族の男が言う通り、ヤマトは魔力への適性は皆無であった。
「まずはお前から遊んでやるよ。すぐに壊れるんじゃ」
「――そこまでだ」
魔族の言葉を遮って、ナナシが口を開く。
額に青筋を浮かべた魔族は、剣呑な目つきでナナシを見やる。
「うるせえな。てめぇはこいつを殺った後で遊んでやる。おとなしくしてろ」
「そうはさせないと言っている」
毅然とした調子のナナシに、魔族は更に苛立ちを募らせた。ヤマトの方へ向いていた身体をナナシの方へと向き直し、腰を落とす。
「そんなに遊んでほしいなら、てめぇから壊してやるよ。後悔するんじゃねえぞ」
「早く来い。自信が無いのか?」
「――ぶっ殺すッッッ!!」
魔獣のような勢いで魔族が突っ込む。走る勢いをそのままに、腕を大きく振りかぶる。
大型魔獣をも凌ぐような威力の一撃に対して、ナナシは正面から受け止めた。およそ人同士がぶつかったとは思えないような派手な音を立てて、魔族の動きは止められる。
「へぇ、言うだけはあるみたいだな」
「そちらは存外、軽いようだな」
平静さを保ったままのナナシに、魔族の顔色が変化する。憤怒のあまりに、赤黒くなっている。
「うぉおおおッ」
ナナシに拳を掴まれたまま、反対の拳を突き出す。更には爪先、膝、肩に加えて角までをも駆使した連撃。
目にも留まらぬ勢いのそれを、ナナシはことごとく正面から受け止めていく。
「いやはや、呆れた力だね」
二人の殴り合いを脇から見ていたヤマトに、ノアが近寄ってくる。
「加勢しなくていいの?」
「必要ないだろう」
「まあ、それもそうか」
やはり、ノアもナナシの正体には勘付いているらしい。
見ている内に余裕を無くしていく魔族の男とは対照的に、ナナシはまだまだ余力を感じさせる動きだ。力の差――加護の差がありすぎる。
肩で息をするようになった魔族は、一気にナナシとの間合いを離す。
「――爆ぜろォ!」
先程、ヤマトに仕掛けた攻撃と同じもの。地中を巡る魔力を強引に操作し、凝縮して破裂させる技。
相変わらず不可解なほどに強力な魔力操作だと感心するヤマトは、ナナシの方へ目をやり、
「ふんっ!」
「ほう……」
「これはまた凄い力技だね」
ナナシが行ったのは、傍目から見れば単なる足踏みだ。だが、魔力を伴ったその足踏みの威力は計り知れない。
地表近くまでせり上がっていた魔力に対して、足踏みの衝撃を強引にぶつける。足裏から漏れ出た魔力が地中の魔力を押さえ込み。爆発の衝撃を無理矢理拡散させた。
あまりに常識外れな行動に、魔族は目を見開いて固まっている。
「もらった!!」
更に踏み込んだナナシが、手にしていた試合用の剣を振り抜く。刃を潰されたその剣は、強すぎる膂力に従って魔族の身体を大きく吹き飛ばす。
球のように吹き飛ばされた魔族の身体は、闘技場の壁に激突すると、そのままズルズルと落ちていく。あまりの衝撃に、強靭な肉体の各所から赤い血が流れ出ている。
「あれ死んだんじゃない」
「さて、どうだろうな」
もはや完全に他人事のように観戦していたヤマトとノアの前で、ぐったりとしていた魔族の身体がピクリと動く。
「生きてる。魔族の頑丈さってのは凄いね」
「魔族としても常識の埒外なはずだが」
あれでは、魔族というよりは魔獣に近いようにすら思えてくる。
尋常ではない量の血を流しながらも動き出した魔族の前に、ナナシが剣を片手に立ちはだかる。もはや勝敗は決した。魔族の男もそのことを理解しているのか、抵抗する素振りを見せない。
舞台の脇から捕縛用の枷を持ってきた警備員が入ってくる。
「クソっ! てめぇ、何者だ……!!」
ボロボロに傷ついて身動きの取れない有り様でありながら、魔族の男は荒々しい口調で詰問する。
それを受けたナナシは、ふと観客席に残っている不安げな人々を見渡すと、何かを決意した様子で口を開く。
「――勇者だ」
決して大きな声ではなかったが、それは闘技場中に広まる。
不安の色に覆われていた人々の顔に、歓喜の色が浮かんでいく。彼らがナナシ――勇者の勝利に歓声を上げようとした瞬間。
「ククク……! クハハハハッッッ!! 勇者! てめぇが勇者か!!」
魔族の男が大笑いする。傷ついた身体から血が噴き出すのにも構わずに笑い転げるその様に、ナナシは一歩後退る。
「何がおかしい」
「ククク! まさかまさか、初手から大当たりとはな! こりゃ、俺たちの勝ちも遠くなさそうだ」
「何を言っている」
兜で見えないものの、険しい表情を浮かべているのだろう。ナナシは固い声を上げる。
「いいぜいいぜ、てめぇの強さに免じて教えてやるさ」
笑い転げた果てに力を失った咳をこぼした魔族の男は、禍々しい笑みをそのままに言葉を続けた。
「楽しみにしてな。俺の死に気づいた同胞が、すぐにここを攻めるぜ」
「な――ッ!?」
「魔王軍第五騎士団、将軍バルサが率いる精鋭部隊の侵攻だ。てめぇら一人残らず皆殺しになるだろうよ! クハハハハッ!!」
「黙れっ!!」
ナナシの怒声に魔族の男は反応しない。死が近いのか、目の光が失われつつある。
闘技場中を見渡せば、歓喜の色を浮かべていた人々は皆一様に顔面蒼白になっていた。伝説だったはずの勇者が目の前に実在する以上、魔王軍の存在もまた確からしいことは誰の目にも明らかであった。
「くそっ! そいつを死なせるな! 死ねば魔王軍に伝わる!!」
魔族の言葉の真偽は分からないが、ここで死なせてしまうのはまずい。そう判断した警備員が、魔族に応急手当を施そうとする。
にわかに立ち込める不穏な空気を感じながら、ヤマトは魔族を見ると、男はもごもごと口の中で何かを動かしていた。
「―――! お前何をしている!!」
いち早く気がついた警備員が警告を発するが、それは既に手遅れであった。
既に大半の力を使い果たした様子の魔族が、不敵に笑みを浮かべる。
「貴様! 何をした!!」
「念を入れた連絡さ。勇者がいると知った奴らは、間違いなくここにやって来る」
必死に状況を打破しようとしていた警備兵の顔が絶望に染まる。
それを満足気に眺めた魔族は、一際大きな笑い声を上げながら、息を引き取った。