第47話
(増長するだけのことはあるか)
異形となったグランツと対峙しながら、ヤマトはそのことを実感していた。
当然ながら、ヤマトはグランツの元々の力がどれほどなのかは知らない。しかし、『刃鮫』の名を継承したのだから無力ということはないとしても、護衛役のロイには満たないだろうという見立てであった。
その見立てを、目の前のグランツは凌駕している。
『クハハハッ! 雑魚! 雑魚雑魚雑魚雑魚!!』
「よく回る口だな」
俊敏性に長ける魔獣であっても、かくも素早く動くことはできまい。
重力の存在を忘れたかのように、グランツは屋敷の中を縦横無尽に駆け回る。床のみならず壁や天井にも足をつけ、目で追うのがやっとの速度でヤマトを翻弄するのだ。
(厄介だな)
今のところはヤマトが速度に反応できていることを察知しているのか、グランツは迂闊に仕掛けてこない。ゆえに、戦況は拮抗しているように見える。
だが、この場の主導権を握っているのはグランツの方だ。速度の面で絶対の差が開いている以上、ヤマトはグランツに仕掛けることができない。グランツからすれば、ゆっくりと時間を使ってヤマトに隙を見出だせばいい。
こうした相手と戦う際の定石は、一度の接触で決着させるところにあるのだが。
(まずいな。時間がない)
クロの言葉が脳裏に蘇る。
彼が宣告した攻撃は陽の出と同時に行われるという。既にアルスはその攻撃を受けているように見えるが、更なる襲撃に備える必要はある。そのためにも、グランツ関連の騒動は早く収めてしまいたい。
そんなヤマトの思いと同じものを、ノアも感じていたのだろう。
「ヤマト、合わせて」
「分かった」
言葉は最低限に、ノアが魔導銃を構える。
ヤマトも認識が精一杯のグランツを、ノアも認識するのみならず、狙撃で動きを止めようと言うのだ。改めて、ノアのポテンシャルの高さに舌を巻く。
『――――っ!?』
銃声。それと同時に、声にならない悲鳴が屋敷中に響く。
高速で飛び跳ねていたグランツの脚を的確に狙撃したらしい。壁を駆けられなくなったグランツが、床に落下している。
好機だ。
「シ――っ!」
即座に疾駆する。刀の刃を立て、もっとも効率的な斬撃の軌道を頭に描く。
グランツはすぐにその場から飛び退ろうとしているが、逃すつもりはない。
「『斬鉄』っ」
絶対の斬撃。多少硬くなったところで、防げるような一撃ではない。
咄嗟に掲げられたグランツの腕を斬り落とし、そのまま上体に一筋の傷を刻み込む。
『――――!!』
あまりの叫声に、ヤマトは思わず身体を硬直させた。
次いで振るわれたグランツの豪腕を、咄嗟に飛び退ることで衝撃を緩和。派手に空を舞うものの、ダメージはない。難なく体勢を整えて着地して、グランツの方へ目を向ける。
ヤマトが放った『斬鉄』は確かに深い傷をグランツに負わせたらしい。左腕は半ばほどで切断され、胸元に刻まれた傷口から赤黒い血が流れ出ている。人の身であれば、間違いなく致命傷だっただろう。
「うわ、あれで治るんだ。いよいよ人間離れしてるね」
うんざりしたようなノアの言葉に、ヤマトも首肯する。
かつてグランダークでバルサと対峙したときにも見たように、グランツの傷口がしゅうしゅうと煙を立てながら塞がっていく。確かな手応えと共に刻んだ傷が、ほんの十秒ほどで完治にまで行き着いた。
苦悶の声を上げていたグランツが、傷があった場所を撫でながら不気味な声を上げている。
『痛、痛痛痛ッ! 殺殺殺ッ!!』
「もう何言ってるのかも分からないんだけど」
辛うじて、憤っているらしいことが伝わるだけだ。
叫んでから、グランツの身体から殺気が立ち昇る。魔獣と相対したときにも感じられる、野生の殺気だ。
『―――ッ!!』
グランツが身体を震わせる。
思わず目を見張るヤマトたちの前で、グランツの全身から、可視化されるほどに濃縮された魔力が、黄金色の霧となって徐々に広がる。
「何だあれは……」
「ヤマト! あれには絶対触っちゃ駄目だ!」
ノアの叫び声に従って、忍び寄っていた霧を斬撃の圧で押し流す。
「これは……」
「魔力に触れたものが、全部金になってる」
錬金術という言葉が脳裏に浮かぶ。
ありとあらゆるものを金へと変じさせる技術。数多の技術者がその実現を目指し、夢の前に散った空想の存在。
それを体現するような力が、目の前で発現していた。黄金色の霧に触れたもの――床や壁などが、全て金になっていく。その純金の全てがグランツの支配下にあるらしく、床や壁の表面が独りでに剥がれて、グランツの元へ漂っていく。
『金! 金金金! 全金!』
何事かを喚きながら、グランツは辺りの金を見渡して陶酔しているようだ。
その様に思わず顔をしかめる。
「どれだけ金が好きなのさ……」
「商人らしくはある」
触れたもの全てを金に変える魔力。それは異能と呼ぶに相応しい力だが、その発現にはたいてい、その者の根源に眠る欲望ないしは性質が大きく関わっている。
ならば、グランツという人間の根源にあるものは、何だろう。
(今はそれどころではないか)
改めて刀を構えながら、脳内で戦略を練る。
「さっきの技はどうなの? あいつが遠くからでも当たりそうだけど」
「発動までに時間がかかる。動きは止められるだろうが、決定打にはならない」
「じゃあ、そこは僕が補うとしようか」
ノアの言葉に、ヤマトは頷く。
先程の銃撃を見た限り、ノアの攻撃ではグランツの鱗を貫くのが限界だ。それ以上の威力を出そうとすれば、銃本体が耐えられない。ゆえに、取れる手段は急所への狙撃のみ。
最後の詰めをノアに譲ることに忸怩たる思いは若干あるが、それを言っている場合ではないだろう。
刀を鞘に収める。同時に、鞘を通じて気を刀身にまとわせる。
『隙! 隙隙隙!!』
「させないよ!」
獣の嗅覚で一気に飛びかかってきたグランツを、ノアが迎撃する。
威力よりも弾数を重視した弾幕形成。強引に通り抜ければ、少なくない傷を負わせられる。
そう考えての迎撃であったが、グランツはノアの想定を越えた。身にまとった魔力を拡大させて、銃撃全てを飲み込む。
「げ……」
ノアが呻く。
銃弾――魔力で構成された弾も含めた全てが、純金へと変じている。そして、グランツは金を操作することができる。
純金製の弾丸が一斉に方向転換する。それが向かう先は、銃を構えたノアだ。
『殺殺殺! 滅滅滅!』
「く……っ!?」
純金は非常に重い金属だ。金属の中では柔らかいことは知られているが、それも、人を貫くには問題ない程度の硬さ。つまりは、非常に弾丸に適している。
一発でも直撃すれば、重傷は免れない。そんな弾丸の雨を目前にして、ノアは表情を引きつらせた。咄嗟に身を隠そうとして――留まる。逆に、グランツ目指して足を踏み出す。
「待たせたな。――『疾風』」
駆けるグランツ目がけて、抜刀。
気をまとい、辺りの風を巻き込んで。巨大な斬撃となった居合斬りが、グランツを飲み込んだ。
『―――!?』
大気や風をも金に変えることは、流石にできなかったらしい。巨大な斬撃が一文字の傷をグランツの胸元に刻み込む。それに伴って、幾つもの鎌鼬が小さな切り傷を無数に刻みつける。風に流された純金の弾丸を操っても、それら全てを操ることはできない。
猛風が吹き荒れる中、グランツの苦悶の声が轟く。だが、これが決定打にならないことはヤマトも理解している。だから、
「これで終わりだよ」
ノアが銃を真っ直ぐ、グランツの顔面に向けた。
鎌鼬で己の身が傷つくこともいとわない、超至近距離。ただひたすらに威力だけを求めた一撃。『疾風』を身に受けたグランツに、それを回避する術はない。
魔導銃が咆哮を上げた。
『痛―――ッ!? 痛ッ!? 苦苦苦しいッ!!』
あまりの反動に、ノアが後ろへ引っ繰り返った。
入れ違いに、グランツが悲鳴を上げる。のけぞり、顔を押さえながら地に膝をついた。
「無事か?」
「何とかね。やっぱり反動がきついや」
「よくやった」
ノアを助け起こす。身体のあちこちに細かな切り傷ができているだけでない。手を掴んだだけでも、ノアは顔を歪める。肩も外れているのかもしれない。
太古の火薬銃と比べると、零とは行かずとも圧倒的に反動が少ないのが魔導銃の特徴だ。にも関わらず、これほどの反動を受けているとは。
(威力の方は推して測るべし、か)
だが、ノアが無茶を通しただけあって、それは確かに決定打になったらしい。
もはや砲撃と言うべきノアの銃撃は、確かにグランツの顔面を捉えたようだ。顔面左半分を大きく傷つけたグランツが、そこを押さえながらうずくまっている。手の間から、血が滴り落ちる。異能を発揮させるほどの余力もないらしく、ただ小さく呻いているばかりだ。
それを確かめながら、ヤマトは刀を再び構える。
「トドメを刺してくる」
「気をつけてね」
もはや抵抗できないとは言え、グランツのような化け物を放置するわけにもいかない。
刀身をギラつかせながら歩み寄るヤマトに、グランツが咄嗟に後退ろうとする。
「恐怖を覚えるか。理性を失ったというのに」
『来るな! 来るな来るな来るな!!』
「もはや悪態をつく他できないか。……?」
歩み寄る途中で、ヤマトは足を止める。僅かに顔を傾ければ、すぐ鼻先を刃が通り抜けていった。
「もう起きたのか。流石に丈夫だな」
「グランツ様は、やらせない」
既に動くこともままならないグランツの前に、いつの間に目覚めたのか、ロイが立ちはだかっていた。
左手に持っていた剣は投擲し、今は右手の一振りのみ。燃えるような赤い髪も乱れ、身体の各所に切り傷が残されている。先程の戦いの負傷は癒えていないようで、フラフラと体勢は定まっていない。満身創痍もいいところだ。
「止められるつもりか?」
「止めてみせる!」
「そこまでする価値があるとは思えないが」
「グランツ様は俺たちの英雄だ! お前に否定などさせない!!」
そうした身体の具合とは裏腹に、ロイの意思は固いらしい。強い眼差しで、ヤマトを見返している。無理にどかそうとすれば、それこそ命果てるまで食い下がるだろう。
「……そうか」
ノアに視線を転じれば、仕方なさそうに頷くのが見える。ララも、グランツへの未練は断ち切れないながらも、ヤマトに一任しているように見える。
それらを確かめて、刀を鞘に収める。
「………?」
「止めだ。興が冷めた」
呆然としているロイに言い放つ。
そのまま踵を返そうとしたところで、グランツが鋭い目でヤマトを睨めつけていることに気がつく。
『何のつもりだ』
「相変わらず、何を言っているか分からないが」
虚空をぼんやりと見つめながら、言葉を整理する。
「金は確かに絶大な力だ。だが、あまり執着しない方が身のためだ」
『………』
「手段と目的を取り違えるなという話だ。金は手段であって、目的にはなり得ない」
「言うまでもないだろうがな」と最後につけ足してから、ヤマトは口を閉ざす。グランツは、先程までの狂騒が嘘であったかのように、その場に座り込んでいた。
無言のまま、屋敷の扉を押し開く。夜明けを目前に、東の空がほんのりと白くなっているのが分かった。
「思ったより長引いたか」
「結局、ヒカルの手助けはできそうにないねぇ」
「あいつなら、問題ないと思うがな」
言い合う二人を飲み込むように、アルスの街が大きく震えた。