第461話
光と闇がぶつかり、溶け合い、やがて終息する。
暴れ狂う衝撃波から身を守ることで必死だったヤマトが、ふいにそれが止んだことに気づく。そのときにはすでに、光と闇の相剋は終わっていた。
「これは……」
徐々に眼の焦点が合っていく。
まず見えてきたのは、聖剣を振り切った姿勢でいるヒカルだ。肩で大きく息をし、立っていることすら精一杯という様子だが——ひとまずは無事だ。
そのことに安堵の息をもらしながらも、ヤマトの眼はもうひとつの姿を探して、周囲をめぐっていく。
(黒竜はどこにいった? 攻撃の余波に耐えられず、どこかへ失せたか?)
そうであってくれたら、どんなによかっただろう。
だが現実は無情だ。
『———!』
いた。
大きく消耗はしている。もはや満足に人型を保つこともできておらず、かろうじて二本足で立ちながらも、全身各所から黒い滴が落ちている姿は、満身創痍といっていいだろう。
それでも、黒竜は健在だ。
その姿を、ヒカル自身も確かめたのだろう。
「は、はは。少し足りなかったみたい……」
「ヒカル!」
ヒカルの身体がグラリとよろめく。
慌てて駆け寄ろうとするが、それを制止したのはヒカル自身だ。耐えられず片膝を地につきながらも、手をあげてヤマトを止める。
「大丈夫。少し疲れが出ただけだから」
「だが!」
「それよりも、さ」
震える指先で、ヒカルは黒竜を指した。
「後のこと、お願いしてもいいかな」
「……それは」
「悪いけど、私はこれ以上戦えそうにないから」
その言葉をしぼりだすことすら、今のヒカルにとっては苦行だったに違いない。
言い終えたところで、ふっと安堵の息をもらして——そのまま、ドウッと地に倒れ伏してしまった。
「ヒカル……」
もはやピクリとも動かない。
一見して死体にも思える有り様だ。だがそれでも規則的に胸もとが上下していることから、ひとまず気を失っているだけなことは察せられた。
「——分かった」
彼女のもとへ駆け寄る代わりに、ヤマトは拳を握りしめた。
ジンと痺れる腕に力をこめなおし、刀を正眼に構える。虚脱感のあまりに膝から崩れそうになるが、腸の底から活力をしぼりだすようにして、かろうじて身体を支える。
見据えた先には、黒竜がいた。
「後は任せろ」
「………」
つぶやいたところで、それにヒカルが応えるはずもない。
だがなんとなく、ヤマトの耳には彼女の声が——「任せた」という信頼の声が、どこからともなく木霊したように思えた。
ふっと頬がゆるむ。
『———ッ』
「まだやる気なのか。大したヤツだ」
なおも立つ黒竜を前にして、思わずそんな声がもれた。
改めて確かめるまでもなく、満身創痍。
ヒカルが放った一撃のダメージは、途方もなく大きかったのだろう。あれほど脅威的に思えた覇気は、今やすっかり落ち着いてしまっている。全身もグズグズと溶けだしており、放っておけばそのまま黒い水溜まりになってしまいそうな雰囲気さえあった。
それでも、油断できるはずがない。
(手負いの獅子がもっとも恐ろしいとは、よく言ったものだ。確かに今のヤツからは、妙な気迫が感じられる)
言うなれば、むきだしの獣性だ。
ただひたすらに生を渇望する、狂気じみた妄執。あまりにも純粋な渇望に、ただそれだけで人は気圧される。
なりふり構わなくなった黒竜が、次にどんな手を打ってくるかは読めない。
(——だが、こちらにも譲れない理由がある)
整息。
恐怖に震えそうになっていた己に、改めて喝を入れた。
「もしも俺ひとりだったなら、お前には勝てなかっただろう。リーシャやレレイ、ノアにヒカル。あいつらがいたから、俺はお前を追い詰めることができた」
『———』
「あいつらの想いに背かないためにも——終いにしよう」
刀の刃を立てる。
脳裏にて思い描くは、これまでの己が放ったこともない至高の太刀。
だがそうでもしなければ、この魔を断つことはできまい。
「来い」
『———ッ』
踏みこんだのは、黒竜のほうだ。
最初の鋭さはもはや見る影もない。だがいかに稚拙な足取りであっても、勢いだけは一級——いや特級というべきか。その手にある刃のほうにも、黒竜の気が収束していくのが見て分かった。
猛然と駆ける黒竜を前にして、ヤマトは刀を大上段に構える。
(ひたすらに強く、ひたすらに疾く、ひたすらに鋭く——)
つまるところ太刀の極意とは、その三点をいかに極めるかということ。
肉体を完璧に統御するに留まらず。邪念を排し、己の半生を振り返り——全霊をただ「斬る」の一事にのみ集約させる。
放つ。
「し——ッッッ!」
『———!!』
刹那の交錯。
互いに斬りぬけたヤマトと黒竜との間に、永劫にも等しいひと時が流れた。
その静寂を破ったのは——ヤマトだ。
「ぐっ」
大きく裂かれた左肩から、鮮血が噴きでる。
失血するがままに、グラッと身体もよろめいた。耐えられずに膝を地につき、刀すらも取り落とす。
もはや刀を握ることも、立つこともできまい。文字通りで全身全霊をこめた一撃だったがゆえに、それが許されるほどの余力さえも残っていないのだ。
『———』
勝利を確信したか。
黒竜が余裕綽々に振り返り、ヤマトの背に視線を投げて。
『ッ?』
ボトリと、黒竜の右腕が落ちた。
そしてそれだけでは終わらない。右腕の次は左腕、やがて脚までもが壊れていく。
黒竜自身もわけが分からないという様子で、だがこのまま崩れまいと踏んばろうとして——それすらもできずに、地に崩れ落ちた。
「は、は……」
息づかいにも似た、微かな笑い声。
ヤマトだ。
もう眼を開けることすら億劫そうながらも、衝き動かされる想いのままに、口角を釣りあげる。
「俺たちの、勝ちだ」
『———……』
その言葉を、最後にして。
なんとか生きながらえようともがいていた黒竜が——ついに、弾け散った。