第460話
聖剣の一撃によるダメージから脱し、またもとの人型を取り戻した黒竜。
それに相対するのは、ヤマトとヒカルだ。
ふたりの背をなかば祈りに似た心地で見守りながら、アナスタシアはひとり静かに思案をめぐらせる。
(勇者として目覚めつつあるヤマトと、これまで勇者でいたヒカル。本来ならば、魔物相手にはこの上ないペアなんだが……)
そっと視線を、ふたりが対峙する黒竜へと飛ばした。
大ダメージを受けたばかりだというのに、黒竜の雰囲気に怯えや怒りのようなモノは混じっていない。見ていて底冷えするほどに、純粋な闘気ばかりがそこには満ちていた。
どこか超然とした黒竜のたたずまいに、アナスタシアは頬が釣りあがるのを止められなかった。
(今回ばかりは相手が悪い。ヤツを屠るなら、生半可な勇者じゃ役者不足なんだ。もっと完成された勇者でないと——)
そうこう悩むうちに、戦いの幕が切って落とされた。
はじめに動きだしたのは黒竜だ。アナスタシアではもはや認識できないほどの速度をもって、ヤマトらのもとへ肉薄する。
相対するは、やはりヤマトだ。
戦いに長けたヤマトが黒竜と対峙し、その間にヒカルが渾身の一撃を放つ。そういう算段なのだろう。
「退がれヒカル! ヤツは俺が止める!」
剣戟。
甲高い鋼の悲鳴と、色鮮やかな火花が狂乱する。
かろうじて初撃は防いでみせたらしい。立て続けに振るわれる黒竜の刃に対しても、一歩も退かずに立ち向かう姿勢は、あっぱれのひと言に尽きる。
——だが、そこがヤマトの限界だ。
「くっ」
「ヤマト!?」
ヒカルの悲鳴。
同時に、ヤマトの身体が勢いよく跳ね飛ばされた。斬撃の勢いを前にして踏んばることができなかった形だ。
まだまだ余裕を窺わせる黒竜に、ヒカルがひとりで対峙することになった。
大技前の準備モーションをキャンセルし、ヒカルは聖剣を構えた。
「く、来るなら来い!」
『———!!』
一瞬にも満たないだけの交錯。
ただそれだけの間に、ヒカルの身体も大きく跳ね飛ばされていた。もともと戦う術を身につけてはいない彼女では、黒竜の暴力にあらがうことはできない。
(……終わりだ)
そう内心でつぶやくのと同時に、アナスタシアは嘆息した。
すでに勝敗は決した。
少なくとも彼女の眼には、そのように映っていた。
ヤマトとヒカルが聞いたならば、すぐに否定の言葉が返ってくることだろう。だが戦いに疎いアナスタシアでも——いや、むしろ疎いからこそ、彼我の戦力差が歴然としたものに思えた。
どれほど周到に策を練ってみせたところで、覆せるようなものではない。
(可能性があるとすれば、土壇場になってヤマトが“完成”するってところだろうが……)
アナスタシアが推測した通りならば。
黒竜はすでに真なる魔王——世界を滅ぼしうる存在として、覚醒している。ゆえにラインハルトに斬られてもまるで効いた様子がなく、真ある勇者以外には滅ぼせない存在に昇華していることだろう。
今の黒竜を滅ぼしたいのならば、真なる勇者が目覚める以外に方法はない。その兆しがあったのが、唯一ヤマトだけだったのだが——。
(ヤマトとヒカルが共闘し、勇者性を共有——いや分担してしまった。勇者は世界にただひとり。そうである以上、もうヤマトが勇者として目覚めることは——絶対にない)
だからこその、嘆息。
ここから可能性があるとしたら、ヒカルが死に、ひとり残されたヤマトが真なる勇者として覚醒するくらいだろうか。
(そんなこと、ヤマトが起こさせるはずがねえか)
いっそのこと、アナスタシア自身の手でヒカルを殺してしまおうか。
ふいに浮かんできた危険な思考に、だがすぐに棄却することができず、なかば取り憑かれる形でアナスタシアは思案して、
「——舐めるなッ!」
猛然と、駆ける影があった。
ヤマトだ。
『———ッ』
「バカのひとつ覚えみたく、同じ型ばかり振りまわして!!」
完璧なタイミングで振るわれた迎撃の刃。
それに対してヤマトは、一瞬の迷いもみせることなく刀を振りぬいてみせた。
鋼鉄同士が弾け——今度は黒竜の刃が軌道を逸らされる。
(なんだと!?)
それに一番驚愕したのは、黒竜ではなくアナスタシアのほうだった。
急に力が増した、のではない。むしろ力という一点だけをみるならば、先程までよりも遥かに格落ちしているくらいだ。
理由はもちろん、疲労。
だというのに、ヤマトはここにきて、これまででもっとも冴えた太刀筋をもって黒竜を退けてみせた。
(勇者として——いや違う。それならば力が増してなきゃおかしい。あれはむしろ、その逆)
つまりはこういうことだ。
ヤマトがこれまでの生涯で磨き培ってきた、技と経験。それらが積もり積もって、圧倒的な力の差を覆してみせた。
魔王と同格である勇者としてではなく、あくまで人として、その暴威にあらがったのだ。
(そんなことがありえるのか!? 人が、神話にあらがえるなんて!?)
戦慄するアナスタシアを他所に、ヤマトは黒竜へ吠える。
「いい加減、眼も身体も慣れてきたところだ! ここから反撃開始とさせてもらおうか……!」
『———!』
剣呑さを増した雰囲気のままに、黒竜は刃をはしらせた。
傍目には、腕がいくつにも分裂したようにも見える。あまりに高速なゆえに、多方向から同時に刃を振ったものと錯覚してしまったのだ。
だがヤマトは、たじろぐ素振りすらみせない。
「速いだけならば——」
つかの間の納刀。
ヤマトが気を張った瞬間——時の流れが、一瞬だけ止まった。
はたと気づいたときには、ヤマトは刀を振り終えていた。
「すべて、斬れる」
刃の嵐が吹き荒れる。
いったいなにが起きたのか。
それをアナスタシアが知覚するよりも早く、世界のほうは結果を示していた。
ポトリと音を立てて——黒竜の刃が、地面に落ちる。
『———!?』
(なんだ……なにが起こった!?)
ヤマトが黒竜の刃を斬り落とした——そんなことは、見れば分かる。
だがアナスタシアの理性は、現実をすぐには認めようとしなかった。
(ありえねえ。こんな一瞬の間で、人がこう劇的に進化するはずがない。だというのに——)
その疑問に答えが出るよりも早く。
「ヒカル!」
「——準備はできているよ!!」
勇ましい声が響いた。
はっと眼をそちらに向ければ、そこには聖剣を——かつてないほど強い光をまとった聖剣を手に、ヒカルが五体満足で立っていることが分かった。
聖剣を大上段に構えた。
「あれは……」
『———ッ』
本能的に危険を感じたのか。
身をひるがえそうとした黒竜だったが、その前にヤマトが立ちはだかる。
「俺ごと撃て!!」
「———っ」
退魔の光は、魔を祓う。
それはつまり、魔というモノすべてを受けつけない体質であるヤマトには、ほとんど効果がないということ。
その事実を再認識したヒカルは、わずかなためらいも飲みこみ、毅然とした瞳をした。
踏みこむ。
(速い!?)
そのあまりの鋭さに、アナスタシアは瞠目した。
先程までの素人丸出しな動きとは、およそ対照的。歴戦の戦士もかくやという動きで、ヒカルは黒竜へ刃を振ろうとしている。
(加護が復活したっていうのか!? だがなぜ——)
なぜ、なぜ、なぜ。
理解不能なことばかりの事態に、頭がパンクしそうになる。
熱暴走した理性が回復するより先に、ヒカルは黒竜のもとへ到達した。
「はあああッッッ!!」
『———ッッッ』
ヤマトの阻害を退けることはできないと、判断したのか。
迫る聖刃を前にして、黒竜の選択は——迎撃。
まとわりつくヤマトの刀をその身に浴びながら。復元した剣を腰だめに、ヒカルの聖剣をすくいあげるような軌道で迎え討とうとする。
(こんな、ことが)
いうなれば、光と闇の相剋。
ただ呆然と、見惚れることしかできないアナスタシアの視線の先。
白光と黒光がぶつかり合い——衝撃波を周囲にばらまいた。