第46話
「終わったか」
床でピクリとも動かなくなったロイを見下ろして、ヤマトは呟いた。
結果だけを見ればヤマトの完勝に近い勝負であったが、あまり対等な勝負とは言えなかったところにその原因はあるだろう。既にノアとの戦いでロイが体力を消耗していたこともあるが、ロイの使う技をヤマトがある程度知っていたのに対して、ロイはそうではなかった。初見殺しを信条とする戦い方のロイからすれば、それは致命的とも言える不利条件であったはずだ。
とは言え、勝負に泣き言は通用しない。勝利は勝利として、素直に享受することが勝者の義務だ。
「流石だね、ヤマト」
「ノアか。怪我はないな?」
「うん。おかげでね」
ララを連れて物陰に隠れていたノアが出てくる。
その佇まいに怪我の気配がないことを再び確かめて、ヤマトも首肯する。
「ずいぶん派手にやったみたいだけど、大丈夫だよね?」
倒れたままのロイに視線を向けて、ノアは尋ねる。ララも、言葉にこそ出さないものの、心配げな視線をロイに向けていた。
「安心しろ。峰打ちだ」
「そういう問題なのかな……」
「それで死ぬような鍛え方はしていないはずだ」
これ以上の手加減は勝敗に関わるから、勘弁してほしいところだ。
そんなヤマトの思いを受け取ってか、ノアはそこでロイについての追求を止めた。代わりに、悪戯っぽい目でヤマトを見やる。
「ところで、さっきの技って何なの? 僕見たことなかったけど」
「そうか? ……そうかもな」
故郷で刀の扱いを学んだときや、武者修行として各地を練り歩いたときに、ヤマトは幾つもの技を編み出してきた。
グランダークの戦いで使った『斬鉄』や、先程ロイに使った『疾風』もその一つだ。
一点を斬ることに特化した『斬鉄』に対して、『疾風』は長射程広範囲の斬撃を実現すべく編み出した技だ。一対一の決闘には不向きであるものの、一対多の戦いであれば使い勝手はいい。
「どういう原理なのさ。魔力が動いた形跡はなかったけど」
「気だ」
「………?」
ヤマトの言葉に、ノアが訝しげな表情を浮かべる。
「体内の魔力ってこと? でも魔力は動いてないし……」
「厳密なところは分からんが、違うはずだ」
「うん? でもそんなものあるなんて聞いたことないけど」
確かに、大陸では気についてはあまり知られていないらしい。
ヤマトの故郷である極東や、その近場の大陸では気の扱いに熟達した者は多く見られたのだが。
「精神力や気力と同じと思っておけばいい。『疾風』はそれを放つ技だ」
「うっわオカルト……」
微妙に引き気味なノアに、ヤマトは苦笑する。
ノアは知る由もないが、ヤマトの故郷では気が一般的であり、逆に大陸で常識とされる魔力の存在は認知されていなかったのだ。初めて大陸に渡った折、今のノアと同じように、魔導技術を前にしたヤマトは胡散臭いものを見る目つきになっていたはずだ。
(これが文化の違いというものなのだろうな)
ここ最近はあまりそれを感じることはなくなっていたが。
どことなく懐かしい気持ちになりながら、ヤマトは腰元の刀を揺らす。
「雑談はここまでにしておこう。何かやることがあるのだろう?」
「まぁ、そうなんだけどね」
未だに納得ができていない様子ではあったが、ノアは思考を切り替えることに成功したらしい。
「グランツが魔王軍と手を組んだってことが分かってね。今は逃げようとしているグランツを捕まえるところだよ」
「ふむ。魔王軍と組むか」
ヤマトの脳裏にクロの姿が浮かび上がる。
結局、特に何かを明かすわけでもなくクロは姿を消してしまい、相変わらず胡散臭い奴だという印象が拭えない。ああした腹の奥が見えない手合いと手を組むなど、ヤマトからすれば正気を疑うレベルの行為なのだが。
「魔獣を使役する技術を使って、他商会の船を襲わせていたみたいだね。それでアルスを統一したのかも」
「汚い奴だよ」
床で血を流しながら倒れている男たちの応急処置を施しながら、ララが吐き捨てる。
他方で、ヤマトは虚空を眺めて考え込む。
「そうまでして、アルスを求めるのか」
「どういうこと?」
訝しげな様子のノアに応えず、ヤマトは脳裏にグランツの姿を描く。
海流信仰の神殿で軽くすれ違った程度の間柄だが、尋常ではない才覚を感じたものだ。それこそ、正当な手段でアルスを統一したと言われて納得するほどの才だ。
つまり。
「魔獣を使役する術を得たのならば、更なる事業に手を出せたはずだ」
「……それは」
言われて、ノアもその可能性に思いが至ったらしい。
本来は人智の及ぶところではなく、ただ不規則に現れては人を襲う魔獣。それを使役できるのならば、街一つどころでなく、国一つを治めることも容易であろう。単に使役した魔獣で自作自演するだけでも、国の英雄になれる。
なのに、なぜグランツは未だにアルスに留まっているのか。
「――よし! 終わった!」
ヤマトとノアの思考を遮るように、ララが声を上げる。男たちの応急処置が一段落したらしい。
「待たせたね、ごめん」
「いいって。大切な人たちなんでしょ?」
ノアの言葉に、ララは照れたような表情を浮かべる。
「そう大層なものじゃないけどね。どうにも目を離せない奴らなんだ」
かつては『海鳥』一派の一員として、共に航海した仲なのだ。首領が飲食店の店主になったからと言って、断ち切れるようなものではあるまい。
とは言え、弟や息子を見るような目になっているララには、ヤマトとノアも苦笑する他ない。仮にも年長者なのだから、兄や父のように接してやってほしいと願うばかりだ。
「この話は終わり! あいつらはあそこで転がしておけば大丈夫だから、私たちも行こう」
「そうか」
ララとしては、あまり触れてほしくない話題のようだ。
ノアと共に小さく笑みを零しながら、ヤマトは廊下の奥を見つめる。その奥から、微かに人の気配が感じられる。
「ヒカルの援護もしたいし、早く片づけないとね」
「何かやっているのか?」
「あぁ、まだ言ってなかったっけ。ヒカルは今、竜の方を止めに行ってもらってるんだよ」
咄嗟の理解は追いつかないが、勇者とはそういうものなのかもしれない。一見すれば無茶苦茶に思えるものを成し遂げることに、勇者の真価がある。
とは言え、ヒカルはヤマトにとっても友人だ。共にグランダークの修羅場を乗り越えた以上は、それに「かけがえのない」がつくほどの存在にもなっている。
「ならば、急がなくてはな」
ロイと遊んでいる暇はなかったかもしれない、と少し後悔する。
少しでも挽回しなければと気張ったところで、感じ取っていた気配が動き出していることに気がつく。遠ざかるような動きではない。むしろ、こちらに近づく動きだ。
「……向こうから来るか」
「え?」
声を上げたララには、顎で応える。
ヤマトがしゃくった先――廊下の奥から、グランツが姿を現した。何をしていたのか服装は少し乱れているが、その表情に焦りの色はない。むしろ、どこか超然とした様子すら伺える。
「グランツ、どうして……?」
戸惑った様子のララであったが、すぐに表情を改める。
「まさかあんたの方から来るなんてね。出頭する気になった?」
「出頭? ふふふっ、おかしなことを言いますね」
グランツの声を聞いて、ヤマトは僅かに眉をひそめる。
「私が何か罪を犯したと、あなたはそうお考えなのですか?」
「何を今更……! 魔王軍とかいう連中と手を組んで、魔獣に船を襲わせていたんだろ! ちゃんと証拠だってある!」
「えぇえぇ。船を沈めたことは認めましょう。ですが、それに何の問題が?」
「は――」
あまりに傍若無人な言葉に、ララは声を詰まらせる。
「敵の船を沈める。それは、あなた方もやってきたことでしょう? 何を今更、偽善者になっているのですか」
その言葉は、恐らく事実なのだろう。
海賊が跋扈していたかつてのアルスでは、他海賊の商船を襲撃することなどは日常茶飯事だったと聞く。
「で、でも私たちは魔獣を使ってなんか――」
「魔獣を使わず、人の手で沈めたから正義なのですか? それはまた、おかしな論理ですねぇ」
「ぐ、ぬ……」
「あなたたち『海鳥』に、私を弾劾する権利などありません。お分かり頂けましたか?」
挑発するようなグランツの物言いに、怒りのあまりに顔を赤くしながらも、ララは反論することができない。
次いで、グランツはヤマトたちの方に視線を向ける。その目の光を見て、ヤマトは一つの確信を得た。
「そして、あなたたち。あなたたちは――」
「――安い男になったな」
「………はい?」
ヤマトの言葉に、グランツはきょとんと首を傾げる。
ヤマトの言うことを心底理解できていないという顔だ。
思わず、溜め息を漏らす。
「前に見たときは、大した男だと感心したが。見込み違いだったか」
「………」
視線だけで刺し殺せそうな目つきになるグランツに、ヤマトはどこ吹く風と平然としている。
「窮地の中、欲に喰われたか? 憐れだな」
「何のことを言っているのです?」
「よくないものを手にしただろう」
その言葉に、グランツは声を詰まらせた。
「お前の気に紛い物がある。似た男を前に見たが、そいつはそれを御していたぞ」
グランダークを襲撃してきたバルサの姿を、目の前のグランツに重ねる。
バルサはクロの前でこそ力に呑み込まれた素振りを見せていたが、実際には、完璧に理性を保っていた。並外れた精神力だと感心させられたものだ。
「言っていることが分かりませんね。私は力を制御できている。この絶大なる力を、己のものに、に、できでき――」
「……やれやれ」
グランツの目の焦点が合っていない。理性を保てていたのは最初だけか、何かに取り憑かれたような素振りのまま、身体から異様な魔力がドロドロと漏れ出ている。
ノアだけでなくララも、グランツの異変に気がついたらしい。顔を引きつらせている。
「なっ、何あれ!?」
「恐らくは魔王軍から、妙なものを受け取ってしまったのだろう」
魔王軍とは言いつつ、ヤマトはその元凶がクロであることを半ば確信している。
ノアもヤマトと同意見なのだろう。顔をしかめながら、魔導銃をグランツに向けた。
魔力を垂れ流していただけのグランツの姿が、徐々に崩れていく。人の姿が融解し、異形のそれへ変貌を遂げていく。
「結構強そうじゃない?」
「力だけだ」
端的にノアに返して、ヤマトは変貌したグランツの姿を見る。
小型の人型竜と言うべきだろうか。二足歩行で両手が自由になっている身体つきこそ人間のものであるが、その身体全てが黄金色の鱗で覆われている。顔も爬虫類を思わせる面長のものいなっており、目に理性は宿っていない。破壊衝動だけを剥き出しにして、ヤマトたちを睥睨する。
ノアに言った通り、力は相当なものを感じる。だが、それだけだ。
「わた、わた、私のやぼ、野望を邪魔する者は――っ!!」
「せめてもの手向けだ。その姿など残らぬよう、完膚なきまでに斬ってくれよう」
刀を抜き払う。
ヤマトの戦意を受けて、異形となったグランツも臨戦態勢を取った。
「――いざ、参る!」