第453話
大爆発。
つるりとした餅のような姿をした黒いスライム——黒竜が、閃光爆音をともなって爆発四散した。
「——伏せろッ!」
そう叫んだはいいものの、はたして意味があったのかどうか。
手近にいたアナスタシアの腕を引き、抱えこむようにして地に伏せる。目を閉じ息を止めたところで。
衝撃。
(く、そっ!?)
飛ばされるまいと踏ん張ってみても、数秒ほどしか抵抗はできない。
気がつけば身体は空に舞い、吹き荒れる爆風のままに二転三転していた。腕のなかにいるアナスタシアを庇うことに必死で、なにが起きているかと考える暇もない。
そんな時間が、どれほど経ったのだろうか。
「———」
「おいヤマト。生きてるか」
ぐわんと揺れていた意識に、アナスタシアの小声が滑りこんできた。
次いで、ぺチッと頬に軽い痛みがはしる。
「ぐ……ぅ」
「さっさと起きろ。傷は浅いぞ」
水底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上する。
やたら重い目蓋を開ければ、すぐ近くにアナスタシアの顔があった。ひとまず彼女が無事でいることを確かめれば、胸のなかに安堵が広がる。
腕の力をゆるめた。
「意識ははっきりしているな。なら頭でも打ったか」
「……じょ、状況は、どうなった」
まともに喋れないほどに唇は震えていたが、段々と力が戻っているのも分かる。
なんとか四肢に力を入れなおそうとしながら、ヤマトは尋ねた。
「ヒカルたちは?」
「俺たちは全員大丈夫だ。なんとか、ではあるがな」
ぐりんと首を曲げられる。
そちらに視線を流せば、確かに五体満足なヒカルたちがいた。ヒカルとレレイはリーシャに、ノアはラインハルトに守られたようだ。
ホッと安堵の息をもらす。
次にヤマトの頭に浮かんできたのは、この惨事を引き起こした犯人のことだ。
「黒竜は!?」
「………」
沈黙したまま、アナスタシアは顎で示す。
うながされるに任せて視線を動かしたところで。
眼に入ってきたのは、深々とえぐられてできた巨大なクレーターだ。その中心奥深くに、不気味に蠢動する黒竜がいた。
「あれは、なにを——」
「喰った竜たちを消化してるんだろうさ。さすがの“あれ”でも、竜五体を喰うのは手間だったらしい」
「竜たちを!?」
慌てて視線をめぐらせれば、封印されていたはずの竜たちの姿がなかった。
彼らが飛び去ったはずもない。きっと、血も鱗も残せないほどに喰い散らかされてしまったのだ。
怖気のあまりに、思わず身震いする。
(これは……っ!?)
ヤマトの脳裏に、いつか見た光景がフラッシュバックした。
ありえたかもしれない未来。かつてヤマトたちが経験し、そしてヒカルと人工神の手によってなかったことにされた未来。
その戦場にも、ちょうどこのようなクレーターができていた。
(嫌な感覚だ)
立ちのぼる不吉な予感を、首を振って払おうとする。だがいちど差しかかった暗雲は、そう簡単には消えてくれない。
暗澹とした気持ちのまま、再びクレーター内部にくまなく視線をはしらせて。
「あれは……」
「直撃したみたいだな」
うなずく。
ヤマトが見やった先、クレーターの外縁部。そこには、いつもの飄々とした態度が嘘のようなありさまのクロがいた。
満身創痍。
身を隠すローブはズタズタに裂かれ、そこかしこから血がにじんでいる。ぜいぜいと肩で大きく息をし、立つことでやっとのようでもあった。
極めつけに、クロの背後に浮かんでいたはずの魔導術が——跡形もなく消えている。
「やられましたね」
クロがつぶやいた。
口調こそ丁寧なものの、そこにある感情は敬意とはかけ離れている。黒竜に対して、憎悪に似た感情をむき出しにしていた。
ぐらりとよろめきながら、それでも倒れるまいと踏ん張って。クロは黒竜を睨めつける。
「想定外でしたよ。まさかここにきて、“あれ”に背中を刺されるとは。たくわえていた力もすべて吐かせたはずだったんですけどね……」
『———』
「実は私たちへの恨みを募らせていたのか。それとも、かつての因果に導かれたのか」
独白を続けるクロを前にして、黒竜はその身体はぷくっと膨らませる。
その体躯は、人をたやすく飲みこめるほど巨大に。
「——いずれにしても、私はここまでのようですね」
「まさか……」
なにかに勘づいたのか。
眼を見開いたアナスタシアが、その勢いのままにヤマトへ叫んだ。
「あのスライムを止めろッ」
「……っ、分かった!」
アナスタシアの意図を理解したわけではない。
だがあれこれと思案するよりも早く、ヤマトの身体は動きだした。刀に手をかけ、踏みこむ勢いのままに抜刀しようとする——が。
あと一歩、遅かったらしい。
『———ッ』
「……叶うことならば、もういちどあの景色を——」
なにかを言いかけたクロが、黒竜に喰われた。
黒と黒とが溶けこみ、混ざり、反発し、やがて一色に。
止める暇もなく、黒竜による捕食が終わってしまう。ふるりと振動。
「ちっ。これはマズったか……?」
「なんだと?」
呆然と見ていたヤマトの耳に、忌々しげなアナスタシアの悪態が届いた。
なにやらわけ知りのように聞こえる。
思わず問い返せば、アナスタシアはわずかにためらい——ややあってから、小さくうなずいた。
「これはあくまで研究中の推論だ。合ってるっていう確証もねえが、それでいいか」
「構わない。聞かせろ」
「分かった。なら手短にいくぞ」
ピンと指を立て、アナスタシアは黒竜を差す。
「“あれ”は——スライムは、古代文明に作られた魔導生物だとする説がある。魔力によって変異したんじゃなく、人の手によって、魔力に適合するよう設計された生物だってな」
「……そんなことが可能なのか?」
「可能か不可能かって話なら、まあ可能だ。それだけの科学力が古代文明末期にはあった。新人類創造計画なんてものが立案されるくらいだからな」
新人類創造計画。
聞くからにいい印象はないが、アナスタシアの表情を窺うかぎり、その想像はあまり間違っていないだろう。
コホンと咳払いをひとつ。
「スライムに設計された種族特徴は、魔力の捕食。魔力に侵食される生物が大多数のなかで、スライムだけは魔力を喰い、自分の糧にすることができる」
「ただ魔力を喰うのではなく、魔力を宿した生き物を喰うことで、か」
「そういうことだ。ああなった以上、ラインハルトでも勝てるかは怪しい」
その捕食風景が、ヤマトたちの前で繰り広げられている。
封印されていた竜を五体に加え、クリスタルの権能を奪ったとやらで力を増していたクロ。
それらを喰った黒竜が、はたしてどれほどの力を得たのか。
はたして、そんな黒竜を退けることができるのか。
そんな弱気に思わず飲まれかけた、瞬間のことだった。
「——唯一可能性があるとしたら、ヤマト。お前だけだと俺は考えている」
「なんだと?」
思わず耳を疑った。
本気で言っているのか。力の多寡を比べるならば、ラインハルトのほうが断然可能性が高いように思えるが。
そんなヤマトの眼差しに、だがアナスタシアは力強い瞳で応じた。
「いつか言ったろ。魔力をまったく感じることのできない特異体質。それはお前が、勇者になれる素質をもったからだって」
「………」
「勇者の因果ってのは退魔の力だ。退魔の力ってのは、つまり魔を斬り祓う力のこと。魔を喰らい魔そのものと化したモノに対しては、いわば特攻性がある」
激励にも似た言葉。
それを前にしてヤマトは——ふっとやわらかな笑みを浮かべた。
「……なんだよ」
「いや。めずらしいことを言うもんだと思っただけだ」
「茶化すんじゃねえ」
ギロリと本気の眼光がヤマトを射る。
その鋭さに苦笑し、だがヤマトは意気を高揚させる。
「——言われるまでもない」
「へえ?」
「もとより、黒竜は俺が斬るつもりだ。どんな事情があっても、そのことは変わらない」
差しかけた弱気は、すでに跡形もなく失せていた。
燃えたぎる闘志を胸に、黒竜を正面に見すえる。
『—————』
「あいつもやる気らしい。アナスタシア、下がったほうがいい」
ようやく捕食を終えたのだろう。
ふるふると小刻みに震えていた黒竜が、いつしかその動きを止めていた。眼はないものの、その凶暴な本能がヤマトたちのほうへ向けられていることをヒシヒシと感じる。
ちらりと横へ視線を流せば、ラインハルトもまた戦意をあらわにしていることが分かった。
(さて。どちらが先にしかけるか)
ヤマトの視線に気がついたのか。
ラインハルトはちらりと眼だけ向けてきた後、毅然とした態度で黒竜のほうへ向きなおった。
そこにあるのは、あくまで先手を取ろうとする強気さだ。
「……ならば俺は、隙をみてしかけるべきか」
『———ッ!!』
ひとまずは、ラインハルトのお手並み拝見とするか。
そう決めるのとほとんど同時に、黒竜がブルリと大きく震えた。圧倒的強者であるがゆえの覇気が、一気に駆けぬける。
(来る——っ!)
黒竜の身体が、ぐにゃりとゆがんだ。