第451話
帝国の英雄、ラインハルト。
予想だにしなかった人物の登場に、場の空気が一変したことをヤマトは肌に感じた。
威風堂々と歩を進めたラインハルトが、封じられている竜たちに視線を流す。
「……竜。兵が観測したモノの正体は、これか」
「だろうね。しかも雑種じゃなくて、伝説にうたわれるような至高の五体。今は封印されているみたいだけど、放っておくわけにはいかなさそうだね」
そこで、ヤマトはハッと我に返った。
「ノア。どうしてここに……?」
「ナニカ——竜たちが、この場所に降りたことが分かったからね。まずは現場を確かめようってことで、僕とラインハルトがこっちに来たんだよ。ヤマトたちもいたのは、正直予想外だったけど」
「そう、か」
ひとまず彼らがここに来た理由については理解できた。
ならば、次に気になってくるのは彼らの立場についてだ。
(かつて帝国とクロは手を結んでいた。先の動乱を経て、その関係は切れたようだったが)
チラリと視線をノアに流す。
その意図を無言のうちに悟ってか、ノアは小さく縦にうなずいた。
「安心して。ヤマトたちの悪いようにはならないはずだから」
「……そうか」
すなわち、ラインハルトとノアは敵にまわらないということ。
可能性は低いとふんでいたが、改めてそう明言されたことで、ホッと安堵の息をもらした。
ヤマトとノアのやりとりをよそに、ラインハルトはまっすぐにクロと向き合った。
「クロ。皇都で顔を合わせたきりか。息災なようだな」
「ええどうにか。あなたたちの協力のおかげで、計画のほうも順調に進んでいますからね。——それで、ここへはどういった用で?」
先程まで飄々とした態度でいたはずのクロ。だがその声音に、いつになく焦りの色がにじんでいるようだった。
対するラインハルトは態度を少しも変えることなく、仏頂面でうなずく。
「そこの竜たちを封じたのは、お前か?」
「いきなり襲われたものですから、咄嗟に。なにか問題がありましたか?」
「いや。竜は帝国の脅威になりうる存在だった。それを封じたことは感謝しよう」
「だが——」と、ラインハルトはさらに言葉を続けた。
「だがクロ、陛下よりの勅命だ。お前が進めようとしている計画を、帝国は認めない。ただちに拘束させてもらう」
「……私の邪魔をすると?」
「それが陛下の命だ」
かたくななラインハルトの言葉に、クロは溜め息をもらす。
「互いが互いの利となるかぎり、手出しは無用。皇帝とはそう契約していたはずなんですが、なかなかどうして。不意討ちのような真似をするとは、帝国の品位が疑われるとは思いませんか?」
「先帝が結んだ契約を、陛下は認めておられない。それが現実だ」
「先帝? 先帝ですって?」
感情の読みづらかった黒眼を、驚愕に丸めた。
なにかを思案する素振り。
はたと気づいたように、クロは眼をラインハルトの隣——ノアへ投げた。
「まさかあなたが——」
「残念ながら違うよ。今の僕は皇弟にすぎない」
「皇弟——第一皇子は北征に出ている。ならば姉のほうが即位したと?」
姉。
すなわち新皇帝フラン。
虫も殺せない気性をした彼女が即位したことに、さすがのクロも驚きを隠せなかったのだろう。
そう考えたヤマトだったが、それとは対照的に。クロは深く疲れた息を吐いた。
「皇弟——いえ先帝は油断ならない男だからと手を打ったのですが、まさか獅子が起き出すとは。裏目に出ましたね」
「陛下は聡明な方だ。なにをしたところで、お前の計画が成就することはあるまい」
「その様子だと、あなたも彼女のことはよく知っているみたいですね。この大一番に迷わずあなたを送る手腕は、さすがとしか言えませんよ。おかげでこちらも、分の悪い賭けをしないといけなさそうだ」
クロとラインハルトが交わす言葉の意味が、今ひとつ理解しきれない。
問う視線をそっとノアに送ってみたものの、返ってくるのは否定の首振りだけ。どうやら彼も、新皇帝まわりの事情をすべて知っているわけではないようだ。
戸惑うヤマトたちを尻目に、クロたちの会話は熱をおびていく。
「今は敵とはいえ、お前は帝国の恩人でもある。構えろ。そのくらいは待ってやる」
「……対話で解決するつもりは、ありませんか? 今ならばまだ——」
「——構えろ」
有無を言わさない口ぶり。
それが本心からのものであると裏づけるように、ラインハルトの身体から闘気がほとばしった。ただの気迫だというのに、それだけで身体が裂けそうなほどに鋭い。
気乗りしない様子ながら、クロもナイフを手にした。
「やれやれ。どうなっても知りませんよ?」
「———」
「聞く耳持たずですか」
呆れる言葉をひとつ。
それを最後に、クロもようやく戦闘態勢に入った。ナイフをだらりと下げた姿ながら、全身に丹念に力がめぐらされている。
緊張感が高まっていく。
思わず生つばを飲みこんだヤマトに、いつの間にか退避してきたノアが苦笑いをもらした。
「ラインハルトなら大丈夫だよ。戦いだと認識した以上、あいつが負けることはない」
「……だがクロは竜をも凌いでみせたぞ」
「大丈夫だよ」
妙に自信がありそうなノアの言葉。
その根拠はなにも分からないが、彼がそう断言していると、不思議とそんな気分になってくる。
それでも、いつでも加勢できるようにと身構えつつ、ラインハルトの戦いに眼を向けた。
「初手はもらいますよ」
トンと足踏みをひとつ。
それだけの動作をもって、クロは魔導術を発動させた。
大地がなめらかに動きはじめ、岩の槍がその矛先をラインハルトに向ける。
「器用な真似をする」
「まだ終わりじゃありませんよ」
言いながら、今度は手を空へ。
光がゆがみ、風の槍がいくつも空に浮かびあがった。
視界の上下を埋める槍ぶすま。それを前にして、ラインハルトは腰もとの軍刀を軽く抜きはらった。
「笑止」
一閃。
胴のあたりを横一文字に薙ぐ斬撃。どの槍にもかすりもしない位置を薙いだ一撃は、だがその剣気のみをもって、殺到する槍を迎え討とうとする。
津波のごとき衝撃波が、あたりを飲みこんだ。
後に残されたのは、ただ一撃をもってすべてが一掃された草原だけだった。
「……本当に、無茶苦茶な人ですね」
溜め息混じりでクロは嘆く。
工夫の凝らした魔導術の数々が、ただの力業にもみえる一撃で退けられてしまったのだ。そう嘆きたくもなるだろう。
だがラインハルトのほうは、その嘆きを待ってはくれない。
「呆けている暇があるのか」
「———っ」
鋭い踏みこみ。
ヤマトたちがそれに気がついたときには、ラインハルトはクロを剣の間合いにまでとらえていた。
大上段で剣を振りかぶる。
「ぬんッ」
対するクロの反応も大したものだ。
即座に飛び退くとともに、空に身を投げ出したままの体勢で魔導術を展開。いくつもの防壁を張り、斬撃の勢いをゆるめようとするが——、
今回ばかりは、相手が悪いというほかないだろう。
縦一文字の斬撃が、障壁のことごとくを紙のようにたやすく斬っていく。続く剣気が、なおも抵抗しようとしていたクロの身体を打ちあげた。
クロの身体が、空を舞う。
「これは……」
「いやはや圧倒的だね。さすがはラインハルト」
帝国の英雄という肩書きを持つラインハルトと、目の前で竜たちをたやすく封殺してみせたクロ。
ふたりの戦いは熾烈を極めるものと思われたが、ふたを開けてみれば、このありさまだ。竜との戦いでみせた圧倒的な力が嘘のように、ラインハルトの暴力を前にして倒れている。
驚愕を隠せないヤマトに対して、ノアのほうは「さもありなん」とうなずく。
疑問のままに、視線をノアのほうへと移した。
「どういうことだ」
「んー……、まあヤマトならいいか。機密事項にはなるんだけどね。帝国の大将軍に任命されたとき、ラインハルトには“ある加護”が授けられたみたいなんだ」
「加護?」
「そう。誰が授けたとかはもうはっきりとは伝わってないけどね。名を『絶対勝利』。帝国の存亡に関する戦いならば、ラインハルトは絶対に勝利する。互いの戦力差は関係なしにね」
「それは……」
理解は追いつかない。
だがその加護ゆえに、ラインハルトはクロに勝つことができた。そうノアは言いたいらしい。
今ひとつ納得はできないまま、それでも曖昧にうなずく。
「まるでお伽噺だ」
「というより、お伽噺そのものだよ。ただ事実として、ラインハルトは出陣した戦のすべてで勝利している。相手がどれほど強大でも、不条理にね。普通じゃ考えられないでしょ?」
「………だがな……」
ノア自身、それが荒唐無稽な話であることは自覚しているのだろう。
だが現実に、ラインハルトはただのいちども敗北してこなかった。加護を授かっているとでもしなければ、到底理解できるものではないということか。
釈然としない心地のまま、見上げたヤマトの視線の先で。
宙に舞いあげられたクロが地に叩きつけられた。
「ぐ、がほっ」
「勝負あったな」
呆気なくすら思えるほどの圧勝。ふぅっと吐息をひとつ、ラインハルトは手にしていた軍刀を鞘に収めた。
一方のクロは、もはや立ちあがることもできないらしい。ぐったりと身体を横たわらせたまま、クツクツと笑い声をあげた。
「……まったく。ここまで無茶苦茶だと、悔しいとすら思えませんよ。さすがは英雄殿。私では勝てませんか」
「お前は確実に始末せよと、陛下から命じられている。悪く思うなよ」
「新皇帝のほうも、嫌になるほど冷酷ときた。もう少し手順を踏むべきだったかもしれませんね……」
後悔にも似た口ぶり。
だがそこに、後悔ならばあるはずの苦々しい感情がないことに、ヤマトは気づいた。むしろここから一矢報いようとするかのような、妙な気迫すら感じられる。
思わず身構える。
「英雄に授けられた絶対勝利の加護——いいえ、あれはもう呪詛でしょうか。こと帝国が関わる戦いにおいて、あなたの勝利は約束されている。この力ならばあるいはと期待しましたが、そう甘くはなかったようですね」
「………」
「仕方ありません。切り札をひとつ、使いましょうか」
そうつぶやいた直後のことだった。
地響き。
クロが妙なことを仕出かさないかと気を張っていたヤマトの五感が、ふいに登場した新たな気配を察知した。
振り返る。
「あれは……っ」
見た瞬間に、フラッシュバックする。
かつてあったはずの未来。そこで目の当たりにした光景が、脳裏によみがえる。
咄嗟に声を出せなかったヤマトに代わって、ヒカルが口を開いた。
「魔王、なの?」
『ぁ———?』
その造形を説明することは、ひどく難しい。
言うなれば、それは黒く濁ったヘドロだ。かろうじて五体があることだけ分かるものの、それ以外はヘドロとしか言いようがない。身体の各所がドロドロと溶け、まがまがしい瘴気を振りまきながら滴っていた。
唯一形を残していた角——魔族の長たる証だけが、“それ”が魔王であることを示している。
息をのんだヤマトたちを嘲笑い、クロは再び声を張る。
「少々刺激が強すぎたのか、形は変わってしまいましたが。“それ”は間違いなく魔王ですよ。世界そのものを脅かす絶対悪であり、勇者の手によってのみ討たれるという呪縛を背にした獣」
『——ぃ——!』
「さてラインハルトさん。あなたは帝国の守り手として、その脅威すべてを討ち果たすという宿業を得ている。ですがあなたに——」
慟哭にも似た叫び声。
もだえ苦しみながら、だがはっきりとした敵意をむきだしにして、魔王だったモノはラインハルトに吠える。
「あなたに、世界の敵を討つことはできますか」