第45話
空に上がった銃撃を見たヤマトが駆けつけたとき、グランツの屋敷は異様なほどの静けさに包まれていた。
「妙だな」
アルスの街全体を襲った振動の後、街中が喧騒に包まれている。
崩れた石垣の回収作業を行う者や、その瓦礫に埋もれた者の救出作業に従事する者などが慌てた様子で駆け回り、悲鳴や鳴き声が絶えず聞こえていたのだ。だというのに、ここには人の声が少しも聞こえない。
衛兵が一人も立っていない門を潜り抜けたヤマトは、その先の光景に息を呑んだ。
死屍累々と言うべきなのだろうか。派手な怪我をしているようには見えないが、全員が気を失って地面に転がっている。
意識はないものの、命に別状はないようだ。そのことだけを確かめて、ヤマトは改めて辺りを見渡した。
「打撃、それも急所のみを的確に狙っている」
人の拳では、ここまで的確に貫くことはできない。指先を一つの武器として急所を狙う武術は実在するが、それは遠く離れた東洋の地で生まれた武術だ。ここアルスの街でその使い手がいるとは考えづらい。
ふと、気絶した衛兵の傍にゴムの銃弾が転がっていることに気がつく。
「ノアか。流石だな」
ざっと見渡した限り、倒れている衛兵の数は優に十を越えている。それだけの人数を相手に寸分違わぬ狙撃を成功させるのは、並大抵のことではない。
本人に言っても否定するであろうが、これができるノアは嘘紛れのない天才だ。しかも、銃の扱いのみでなく、ヤマトも詳しくは知らないような武器ですら器用に扱ってみせるのだからたまらない。
思わず腕が疼くのを自覚しながら、目の前にそびえ立つ屋敷を見上げた。
「凄まじい威容だ」
誰の屋敷なのかは分からないが、相当な権力者だろう。そのことを自ずと感じ取ってしまうような荘厳さだ。
重厚そうな扉がピッタリと閉じられている。その奥から、聞き覚えのある銃声が漏れ出ていることに気がつく。
「この先か」
この先に、ノアがいる。
もっと言うと、ノアがヤマトに助けを求めるほどの相手がいる。
息を整えてから、腰元に下げていた刀を抜き払う。いつもと変わらない刀身の輝きに、徐々に心が落ち着きを取り戻していく。
「………?」
銃声が止んだ。
内心で疑問を抱きながら、扉を思い切り蹴破った。
まず目に入ってきたのは、燃えるような赤毛の男。左肩は負傷しているのか、血に滲んだ布を巻いているものの、ヤマトも思わず身体に力が入るほどの闘気をみなぎらせている。次いで、そのすぐ傍にいるノア。外傷はないようだが、男に近距離まで踏み込まれたことで、焦りの表情を浮かべていた。
「ふっ!!」
それだけを確認して、ヤマトは駆け出す。殺気と共に、刀の刃を立てる。
ノアはすぐにヤマトの存在に気がついたらしい。相手がすぐ傍にいるにも関わらず、既に表情から焦りが消えている。
赤毛の男の方も、ノアに遅れてヤマトに気がつく。即座に飛び退き、ヤマトの太刀の間合いから逃れていく。
「お前は……」
何かを言いたげな赤毛の男をひとまず置いて、ノアの方へ視線を向ける。
「咄嗟に手を出したが、構わなかったか?」
「問題なし。むしろ、ちょっと待ちくたびれたくらいだよ」
そんな軽口を叩くノアに、思わず苦笑する。
「それで、どういう状況だ。あいつは敵でいいのか」
「うーん、一応敵ではあるんだけどね」
言いながら、ノアは隣に視線を転じる。
そちらの方向を見やれば、見覚えのある赤毛の少女――ララが座り込んでいた。
「あの人、ララのお兄さんみたいなんだよ」
「……殺すのは不味いか」
死合うのならば、そんなことを言ってられないのだが。
ひとまず、そのことを頭に入れておく。
「グランツが先に行っちゃっててね。捕まえるために、あのロイって人をどうにかしないといけないってわけ」
「ふむ」
ロイと言うのか。
赤毛の青年は油断なくヤマトの動行を観察している。その闘気は萎えるところを知らず、それだけでもヤマトを楽しませてくれるところではあるが。
「……ヤマト?」
ノアからじっとりと湿度を帯びた視線が向けられる。ヤマトが何をやろうとしているのか、ノアは察してしまったらしい。
微妙に居心地の悪さを覚えながら、ヤマトはロイに視線を転じる。
「持っているものをさっさと使え」
「……何のつもりだ」
ララはヤマトの言葉を理解できなかったらしいが。
表情を固くしたロイは、ヤマトの顔を凝視する。
「お前の任務はここの守護なのだろう? なら、さっさと使った方が合理的だ」
「………」
警戒した目つきでヤマトを注視しながら、ロイは懐から一つの薬瓶を取り出した。その中の赤い液体を、左肩の傷に注ぐ。
液体がかかった肩から、しゅうしゅうと音を立てて煙が立ち昇る。煙の中から、銃撃で傷ついていた肩が瞬く間に治癒していく様子が伺える。
「それは……」
「帝国製の回復薬。あまり深刻じゃなければ、すぐに傷を治すことができる優れもの」
ララの疑問にノアが答える。
その高価さゆえにあまり一般的とは言えないものの、そう珍しいものではない。各国の重鎮レベルならば一本は常備しておきたい品物だ。とは言え、ただの護衛にすぎないロイが回復薬を持っているのは、いささかおかしくはある。
「流石の経済力ってところか」
ノアの言葉に小さく首肯する。
ヤマトたちが見つめる先で、肩の傷が完治したロイは左手にも曲刀を握る。両手に曲刀を携えたその姿を見て、ヤマトは思わず感心の溜め息を漏らす。
「流石に様になっているな」
楽しめそうだ、という言葉は呑み込む。
刀を正眼に構え、整息。
「ヤマト。冒険者だ」
「……ロイ」
名乗るのと同時に、辺りの緊張感が増していく。
ララを伴ったノアが離れる。その姿を最後に確認して、意識を戦闘にのみ集中させる。
ロイが持つ曲刀という武器は、ヤマトの刀と同様に斬撃に特化した得物と言える。頑丈さを犠牲にして斬れ味を研ぎ澄ませた刀とは違い、普段使いしやすいよう、ある程度は頑丈に作られているのが違いだ。
他方で、二つの得物を同時に扱う流派は、それぞれによって大きく形を変えるものの、比較的受けに特化している特徴を持つ。利き手の武器を攻撃用に、もう片方の武器を防御用に使うのが一般的だ。ゆえに、少なくとも防御用の得物は取り回しやすいものにするのが定石。
そうした面を踏まえると、両方に寸分違わない曲刀を備えるロイのスタイルは、少し異様であると言える。どちらも、攻撃を受けるのに適した得物とは言えない。ならば、攻撃特化のスタイルなのだろうか。
何を仕掛けてくるかが読めない。迂闊に踏み込むのは危険か。
(だが――)
相手の出方が分からないのに、受けに回るなどは愚の骨頂。
ゆえに。
「推して参るッ!」
前進。同時に、地に伏せるような体勢から刀を素早く繰り出す。威力よりも速度を重視した一撃だ。
対して、ロイは後退することで斬撃に対応しようとするが、それで凌げるほど温い攻撃ではない。振りかけた刀を身体の傍に添え、切っ先をロイの胸元へ向ける。刺突の構え。
「シ――ッ!」
稲妻のような一撃。
咄嗟にロイが身体を捻ったことで直撃はしなかったものの、胸元に一文字の傷を残す。
「まだ行くぞ」
突くのと同等の速さで刀を引き寄せ、再び刺突。曲刀で切っ先を逸らされるも、構わず更に刺突。
計三撃の刺突を一息に放ってから、ヤマトは一度間合いを離す。
「くそっ」
刃は確かにロイに届いたらしく、胸元と腹部と頬に三つの切り傷が刻まれた。動きに支障が出るほどの傷ではないが、鮮血がたらりと流れる。
ロイはそれに表情を歪めるが、ヤマトの方に手を休めるつもりはない。刀を上段に構え、刃を立てる。
「抗ってみせろ」
見た目こそ分かりやすいものの、それを止めることは困難な一撃。
そのことをロイを察したのか、覚悟を決めた様子で刀の切っ先に意識を集中させた。
「『斬鉄』」
目で追うことは叶わず、軌跡が分かったところで防ぐこともできない。文字通りの必殺の一撃。
それを前にして、ロイは曲刀を構えない。脱力したまま、ゆらりと舞踊のような足捌き。
「―――!?」
刹那、ロイの身体がぶれる。
目で捉えていたロイの身体を刀が斬り裂いたものの、手応えがまったくない。まるで、幻を斬ったような感覚。
ふらふらと力のこもってない動きで立ち回るロイの姿が、幾重にもぶれているようだ。
それを見て、ヤマトは何かを思い出したように、一つ頷いた。
「確か『海鳥』の技だな」
「………」
ロイは何も応えない。だが、その目が一層の真剣味を帯びたように見える。
「代々女海賊が首領を務めた『海鳥』は、膂力で劣る点を補うべく、技巧に長けるようになった。結果、相手を幻惑する技を身につけた」
「詳しいな」
「前に見たことがある」
その言葉に、ロイは目を見開く。
そんなロイに何も告げないまま、再びヤマトは刀を構えた。今度は下段に置き、素早くコンパクトに刀を振れる構え。
「理屈自体は単純。意識を誘導し、一目では錯覚する動きをするのみ。初見であれば無類の強さを誇るだろうが、それ以上にはなり得ない」
かつてのアルス――海賊たちがしのぎを削る街であれば、それで充分だったのだろう。一度の敗北が即座に死を意味する世界でならば、初見殺しの戦法は無類の強さを誇る。
だが、その戦法の理屈を知っている相手には、とても通用するような技ではない。
同じことをロイも理解したのだろう。独特な足取りを止め、真っ直ぐに曲刀を構える。
その出鼻をくじくように、再びヤマトは口を開いた。
「『刃鮫』は曲刀の扱いに長けた海賊だった。高い経済力によって得た優れた武器を活かすため、その武術は基本に忠実。速く鋭い連撃を的確に叩き込むことに特化する」
「………」
「基本に忠実であるがゆえに、強力。だが、その技は見切りやすい」
直接対決の相性を見れば、『海鳥』は『刃鮫』に勝っていたと言える。
その勢力が拮抗していたのは、航海術では『刃鮫』がリードしていたために、経済力に差があったから。得物の点で『刃鮫』一派は質の高いものを使ったために、『海鳥』も直接対決を避けたがった。
「得物比べで負けるつもりはない」
「……そうか」
ロイは苦々しい表情で呟く。
『海鳥』と『刃鮫』の技。その二つを修めていることは驚嘆に値するが、それで敗北するほど、ヤマトも温い鍛え方はしていない。
何か隠し玉があるのだろう? と問いかけるようなヤマトの視線に、ロイは曲刀を十字に重ねることで応える。
「『幻霧』」
「ほぅ?」
ロイの足元から、白い霧が立ち込める。
視界が塞がれ、ロイの姿も霧の中に隠れる。魔力で察知することもできない。だが、これで手が打てないわけではない。
「ふんッ!!」
何も見えないが、霧の一点を目がけて刀を振るう。刃が何かを斬り裂く手応え。
「見えているのか……?」
「ただの勘だ」
適当に応えておく。
実際には、武人が無意識に放つ闘気を感じ取っただけのこと。だが、それを律儀に教える必要はあるまい。
だが、これでロイも、生半可な技が通用しないことは理解しただろう。
「本気を出せ。でなければ、次で斬り捨てる」
「奥義――」
霧の奥で、ロイの闘気がぶれ始める。
興味深く思いながらも刀を構えたヤマトの先で、ロイはその技を発動させた。
「――『夢幻刃』ッ!!」
闘気が複数に分かれて、霧の中を突貫してくる。
「分身か?」
初めて見る技。
咄嗟に対策が思い浮かばない。まともに喰らえば、それで押し切られる。――ならば。
「押し通るまで」
刀を腰元の鞘に収める。
体内を巡る闘気を集中させ、鞘の中の刀身にまとわせる。
想像するのは一陣の風。大地を速く駆け、全てを吹き飛ばす巨大な力。
「――『疾風』」
居合斬り。同時に、気も解き放つ。
荒れ狂う刃の嵐が霧を薙ぎ払い、幾つにも分かれたロイの闘気全てを斬り払う。
近寄る者のことごとくを斬り捨てる刃の暴風雨が収まる。ロイが放った『幻霧』の霧は跡形もなく消え去り、ロイは床に倒れ伏している。
それを見届けてから、ヤマトは刀を鞘へ収めた。